みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.08
時折、自分は心が弱くないから霊には絶対に憑かれない、という人がいます。
しかし、これは、実は間違っています。
つまり、霊に憑かれるのは心が弱いからなのではないからです。
もし、仮に心の弱い人が霊に憑かれるのであれば、落ち込んでいる人は霊に憑かれやすく、元気な人は霊に憑かれにくい事になります。
また、プロスポーツの選手などは根性があるので霊には憑かれない事になります。
ところが、現実はそうではありません。
精神力が強く弱音を吐かない人であっても霊は憑きますし、人生に疲れて何事も消極的に考える人であっても、霊が憑くとは限らないのです。
ある時、こんな事がありました。(PC版 霊をさぐるの管理人 と金さん)
(当事者が読むと困りますので設定を少し変えてお話します。)
私の友人が霊について知りたいというので、私はHPの管理者と打ち合わせをする席に、2人の友人を同席させました。
友人の紹介で、あるレストランで食事をしていた時の事です。友人の1人が監修者にこう聞きました。
「誰が霊に憑かれているか分かりますか?」
その時監修者はこう答えました。
「すぐ近くにそういう人がいますよ。もちろん、他人のプライバシーに踏み込む事は出来ませんけれども。」
「えっ。するとこのお店の中にもいるのですか。」
「もちろんです。」
店の中は心地よいBGMが流れていて隣の席の人の声でもほとんど聞こえません。それでも、こちらの会話は自然と小声になりました。
「誰ですか。」
友人がそう聞くと、監修者は何も言わずにそれとなくそちらを示しました。
もちろん、私達にしかわからないように、さりげなく指し示されたのです。
相手の人に気付かれると失礼だからです。その人は監修者からは前面、友人からは背面にいました。
後方に気付かれないように相手を確認した友人は、他の人達に分からないように話を進めました。
そして、こう言いました。
「霊というのは、自分の事を見抜かれても平気なのですか。」
監修者が答えました。
「いいえ、見抜かれたと分かれば慌てますよ。普通はそんな事はまずありませんからね。見抜かれたとなれば、よほどの大物だと考えて、すぐにでも逃げようとしますよ。」
友人は更に聞きました。
「では、こちらが見抜いたと知ったら、ここから消えますか。」
「多分ね。ただ、人間の中にしっかり入っていると、自分だけとはいかないでしょうけどね。」
「どうなるんですか。」
友人の問いに監修者は答えました。
「すぐに分かりますよ。」
それから10秒もたったでしょうか。その霊に憑かれた人は急に席を立ちました。
そして、トイレに行き、戻って来たかと思うと、そそくさと他の人を促し店を出てしまいました。
その人達にこちらの会話は聞こえているはずもなく、実際、その人達は1人もこちらを意識している様子がありませんでした。
何しろ、向こうもニコニコと会話をしていて、私から見ると帰る様子もなかったのですから。
友人が言いました。
「あの人はどうなるんですか。」
監修者が言いました。
「おそらく霊魂を信じていない人でしょう。それに、自分に自信がありそうなタイプに思えました。ああいう人は救いようがありません。自分に自信があると、霊なんているものか、そんなものいたとしても、俺には憑かない、そういう風に言う人が多いですからね。」
「では、不幸になるのでしょうか。」
監修者は答えました。
「絶対にとは言えません。でも、完全に入られていますから、たぶん霊魂の思うような人生になるでしょう。」
私たちはシーンとしてしました。
霊魂が入りやすいか否かは、心の強弱ではなく、「幽体」という、肉体とダブった身体や、幽体から発するオーラ、そういった霊的な要素を考えなければならないという事でした。
心は強くても弱くても、誰でも霊魂には憑かれ得るのでした。
しかし、これは、実は間違っています。
つまり、霊に憑かれるのは心が弱いからなのではないからです。
もし、仮に心の弱い人が霊に憑かれるのであれば、落ち込んでいる人は霊に憑かれやすく、元気な人は霊に憑かれにくい事になります。
また、プロスポーツの選手などは根性があるので霊には憑かれない事になります。
ところが、現実はそうではありません。
精神力が強く弱音を吐かない人であっても霊は憑きますし、人生に疲れて何事も消極的に考える人であっても、霊が憑くとは限らないのです。
ある時、こんな事がありました。(PC版 霊をさぐるの管理人 と金さん)
(当事者が読むと困りますので設定を少し変えてお話します。)
私の友人が霊について知りたいというので、私はHPの管理者と打ち合わせをする席に、2人の友人を同席させました。
友人の紹介で、あるレストランで食事をしていた時の事です。友人の1人が監修者にこう聞きました。
「誰が霊に憑かれているか分かりますか?」
その時監修者はこう答えました。
「すぐ近くにそういう人がいますよ。もちろん、他人のプライバシーに踏み込む事は出来ませんけれども。」
「えっ。するとこのお店の中にもいるのですか。」
「もちろんです。」
店の中は心地よいBGMが流れていて隣の席の人の声でもほとんど聞こえません。それでも、こちらの会話は自然と小声になりました。
「誰ですか。」
友人がそう聞くと、監修者は何も言わずにそれとなくそちらを示しました。
もちろん、私達にしかわからないように、さりげなく指し示されたのです。
相手の人に気付かれると失礼だからです。その人は監修者からは前面、友人からは背面にいました。
後方に気付かれないように相手を確認した友人は、他の人達に分からないように話を進めました。
そして、こう言いました。
「霊というのは、自分の事を見抜かれても平気なのですか。」
監修者が答えました。
「いいえ、見抜かれたと分かれば慌てますよ。普通はそんな事はまずありませんからね。見抜かれたとなれば、よほどの大物だと考えて、すぐにでも逃げようとしますよ。」
友人は更に聞きました。
「では、こちらが見抜いたと知ったら、ここから消えますか。」
「多分ね。ただ、人間の中にしっかり入っていると、自分だけとはいかないでしょうけどね。」
「どうなるんですか。」
友人の問いに監修者は答えました。
「すぐに分かりますよ。」
それから10秒もたったでしょうか。その霊に憑かれた人は急に席を立ちました。
そして、トイレに行き、戻って来たかと思うと、そそくさと他の人を促し店を出てしまいました。
その人達にこちらの会話は聞こえているはずもなく、実際、その人達は1人もこちらを意識している様子がありませんでした。
何しろ、向こうもニコニコと会話をしていて、私から見ると帰る様子もなかったのですから。
友人が言いました。
「あの人はどうなるんですか。」
監修者が言いました。
「おそらく霊魂を信じていない人でしょう。それに、自分に自信がありそうなタイプに思えました。ああいう人は救いようがありません。自分に自信があると、霊なんているものか、そんなものいたとしても、俺には憑かない、そういう風に言う人が多いですからね。」
「では、不幸になるのでしょうか。」
監修者は答えました。
「絶対にとは言えません。でも、完全に入られていますから、たぶん霊魂の思うような人生になるでしょう。」
私たちはシーンとしてしました。
霊魂が入りやすいか否かは、心の強弱ではなく、「幽体」という、肉体とダブった身体や、幽体から発するオーラ、そういった霊的な要素を考えなければならないという事でした。
心は強くても弱くても、誰でも霊魂には憑かれ得るのでした。
2014.01.08
霊魂を信じる人達の中には、心が清らかになれば、心の清らかな霊が来てくれて、汚ない心の人には悪い霊魂がやって来る、と言う人がよくいます。
また、悪い霊に憑かれる人は心を変えて、プラス思考にしたり、愛の心を持てば霊魂が出て行くので、大切な事は霊能力者に除霊してもらう事ではなく、心が転換する事だと考える人達がいます。
これは、なかなか説得力のある考え方です。
もちろん、心は綺麗で積極的であるにこした事はありませんし、幸せも寄って来やすいかもしれません。
ところが、そのことと霊魂の憑依とは特に関係はないのです。
心が綺麗でプラス思考の人であっても、またその逆の人であっても、悪い霊魂が肉体に入る事はありますし、心が変わったからといって、霊魂が出て行くとは限らないのも事実です。
つまり、霊魂から見た人間は、心がどうであろうとあまり関係がありません。
関係があるのは、たとえば、誰かを苛めてやろうと考えている霊魂から見て、自殺を考えている人は苛めやすいと思って寄って来たり、霊能力を持ちたいと考えている人には、持たせたいと考えている霊魂が寄って来たり、また、人を殺してみたいを考えている人には、手伝ってやろうか、というような霊魂が寄って来たりと、いわば意思が一致しているという意味で、人間に寄ってくる霊魂は多数います。
したがいまして、その人の心が綺麗でもそうでなくても、ほとんど関係がありません。
関係があるという場合は、宗教的な指導者になりたいという人に、それを指導したいという霊魂が来た場合とか、人を助けたいという気持ちがないと勤まらないという職業の人に、それを援助したいと願う霊魂がやって来た、といったような場合です。
こういった場合は、人間の心がどのような状態にあるかが大きな問題となります。
けれども、一般には心は特に関係がありません。
そのため、どんな人であっても、悪い霊魂は肉体に入ろうとしますし、心が変化しても霊魂は出て行かないのです。
心を重視する人達の大きな間違いは、人間と霊魂の波長が一致すると、その霊魂が寄って来ると考える点にあります。
この考えは日本の霊魂を認める宗教には数多くあります。
ところが、人間の波長なるものを、表面の心の質だと考えているために間違ってしまうのです。
霊魂に直接聞いてみますと、霊魂から見ると、よく見えるのは人間の幽体から発するオーラなのであって、肉の脳の感情や特徴は、あまり分からないのだそうです。
人間は霊的な生命体ですが、地上にいる間は肉体を使用して自己を表現しています。
そのために、肉体の脳に何らかの刺激を与えると、どんな人でもその刺激に応じた感情を発します。つまり、人間は肉体の脳を使用している間は肉体の作用によって生きているのです。
いくら、本当は肉体ではないのだと言ってみても、心というものはあくまでも肉的です。
その証拠に、たとえ、どんなに心の立派な人であっても、薬品を使えば、おとなしくなったり、幻覚を見たりします。
つまり、脳の物理的な作用次第で、性格も感情も意図的に変えられてしまうのです。
心は肉体の脳に縛られています。そのため、どんなに立派な心を持っているといっても、霊魂として長く生きている存在から見れば、しょせんは肉的なのです。
私達の肉体は心が綺麗な人でも、そうでない人でも、同じ仕組みで動いています。肉体の一部である脳も同じです。
霊魂が人間の肉体に入りやすい、あるいは入りにくいというのは、その人の幽体や幽体オーラ、又は間気、そして、肉体と幽体の接し方といった、人間の表面の心とはあまり関係ない要素が強く作用するのです。
霊魂から見ると、たとえば、自分が憑依している人間が薬品を飲んで一日中笑っていたからといって、それで出て行くものではありません。
仮に、いつも暗い、と言われている人が、笑い薬を飲んだからといって、霊魂が出て行くわけがないのです。
霊魂によると、足は足、首は首、頭は頭、感情も、怒りや笑い、涙などがいろいろと現れている、それが人間なのです。
別に、怒りが多かろうと、少なかろうと、肉体は、誰も、大きさや形しか違わないのです。
また、悪い霊に憑かれる人は心を変えて、プラス思考にしたり、愛の心を持てば霊魂が出て行くので、大切な事は霊能力者に除霊してもらう事ではなく、心が転換する事だと考える人達がいます。
これは、なかなか説得力のある考え方です。
もちろん、心は綺麗で積極的であるにこした事はありませんし、幸せも寄って来やすいかもしれません。
ところが、そのことと霊魂の憑依とは特に関係はないのです。
心が綺麗でプラス思考の人であっても、またその逆の人であっても、悪い霊魂が肉体に入る事はありますし、心が変わったからといって、霊魂が出て行くとは限らないのも事実です。
つまり、霊魂から見た人間は、心がどうであろうとあまり関係がありません。
関係があるのは、たとえば、誰かを苛めてやろうと考えている霊魂から見て、自殺を考えている人は苛めやすいと思って寄って来たり、霊能力を持ちたいと考えている人には、持たせたいと考えている霊魂が寄って来たり、また、人を殺してみたいを考えている人には、手伝ってやろうか、というような霊魂が寄って来たりと、いわば意思が一致しているという意味で、人間に寄ってくる霊魂は多数います。
したがいまして、その人の心が綺麗でもそうでなくても、ほとんど関係がありません。
関係があるという場合は、宗教的な指導者になりたいという人に、それを指導したいという霊魂が来た場合とか、人を助けたいという気持ちがないと勤まらないという職業の人に、それを援助したいと願う霊魂がやって来た、といったような場合です。
こういった場合は、人間の心がどのような状態にあるかが大きな問題となります。
けれども、一般には心は特に関係がありません。
そのため、どんな人であっても、悪い霊魂は肉体に入ろうとしますし、心が変化しても霊魂は出て行かないのです。
心を重視する人達の大きな間違いは、人間と霊魂の波長が一致すると、その霊魂が寄って来ると考える点にあります。
この考えは日本の霊魂を認める宗教には数多くあります。
ところが、人間の波長なるものを、表面の心の質だと考えているために間違ってしまうのです。
霊魂に直接聞いてみますと、霊魂から見ると、よく見えるのは人間の幽体から発するオーラなのであって、肉の脳の感情や特徴は、あまり分からないのだそうです。
人間は霊的な生命体ですが、地上にいる間は肉体を使用して自己を表現しています。
そのために、肉体の脳に何らかの刺激を与えると、どんな人でもその刺激に応じた感情を発します。つまり、人間は肉体の脳を使用している間は肉体の作用によって生きているのです。
いくら、本当は肉体ではないのだと言ってみても、心というものはあくまでも肉的です。
その証拠に、たとえ、どんなに心の立派な人であっても、薬品を使えば、おとなしくなったり、幻覚を見たりします。
つまり、脳の物理的な作用次第で、性格も感情も意図的に変えられてしまうのです。
心は肉体の脳に縛られています。そのため、どんなに立派な心を持っているといっても、霊魂として長く生きている存在から見れば、しょせんは肉的なのです。
私達の肉体は心が綺麗な人でも、そうでない人でも、同じ仕組みで動いています。肉体の一部である脳も同じです。
霊魂が人間の肉体に入りやすい、あるいは入りにくいというのは、その人の幽体や幽体オーラ、又は間気、そして、肉体と幽体の接し方といった、人間の表面の心とはあまり関係ない要素が強く作用するのです。
霊魂から見ると、たとえば、自分が憑依している人間が薬品を飲んで一日中笑っていたからといって、それで出て行くものではありません。
仮に、いつも暗い、と言われている人が、笑い薬を飲んだからといって、霊魂が出て行くわけがないのです。
霊魂によると、足は足、首は首、頭は頭、感情も、怒りや笑い、涙などがいろいろと現れている、それが人間なのです。
別に、怒りが多かろうと、少なかろうと、肉体は、誰も、大きさや形しか違わないのです。
2014.01.08
霊は普通、目には見えません。霊魂とか幽霊とか呼ばれている存在は物質ではないからです。
仮に霊が物質であったら、科学は必ずそれを発見するでしょう。だからこそ、科学を信奉する人達は、「霊は存在しない」とおっしゃるのです。
また仮に、死後の世界があって、霊魂が死後も生き続けたり幽霊として地上に現れることができるのであるならば、霊が物質とは違う存在として生き続けている可能性を考えるのがより自然です。
つまり、霊が物質ではない存在として別の次元の身体を持っているとするならば、その物質でないものを人間の目は見る事が出来ないのです。ただし、特殊な例外は別とします。
そうしますと、見えなくて当たり前なのですから、見えたから怖いというのは、恐怖心が起きたからというべきです。実際には、見えていなくても霊に襲われているかもしれないわけです。
そうした意味では人間はいつ霊に襲われても不思議はないのです。
そして、それを見抜けるのが霊能力者のはずなのです。
また、本当の意味で霊から身を守ろうと思うのであれば、悪い霊魂が近付かないように、また、近付いても悪い事が出来ないようにならなければなりません。
そのためには、悪い霊魂が寄りにくいように、幽体からオーラを放つことが理想です。
ですが、本当にオーラを強くしようという場合は、霊的なトレーニングをしないとうまく行きません。
それをしない人は、どうしても一定の確率で霊に襲われる可能性があります。もちろん、本人は何も気づいていません。知らないうちに、霊によって不幸にされていたりするのです。
仮に霊が物質であったら、科学は必ずそれを発見するでしょう。だからこそ、科学を信奉する人達は、「霊は存在しない」とおっしゃるのです。
また仮に、死後の世界があって、霊魂が死後も生き続けたり幽霊として地上に現れることができるのであるならば、霊が物質とは違う存在として生き続けている可能性を考えるのがより自然です。
つまり、霊が物質ではない存在として別の次元の身体を持っているとするならば、その物質でないものを人間の目は見る事が出来ないのです。ただし、特殊な例外は別とします。
そうしますと、見えなくて当たり前なのですから、見えたから怖いというのは、恐怖心が起きたからというべきです。実際には、見えていなくても霊に襲われているかもしれないわけです。
そうした意味では人間はいつ霊に襲われても不思議はないのです。
そして、それを見抜けるのが霊能力者のはずなのです。
また、本当の意味で霊から身を守ろうと思うのであれば、悪い霊魂が近付かないように、また、近付いても悪い事が出来ないようにならなければなりません。
そのためには、悪い霊魂が寄りにくいように、幽体からオーラを放つことが理想です。
ですが、本当にオーラを強くしようという場合は、霊的なトレーニングをしないとうまく行きません。
それをしない人は、どうしても一定の確率で霊に襲われる可能性があります。もちろん、本人は何も気づいていません。知らないうちに、霊によって不幸にされていたりするのです。
2014.01.08
霊魂から見ると人間はアリのようなものだそうです。
なぜかと言いますと、霊魂にとっては地上の人間は、自分達がとうの昔に脱ぎ捨てた物質の身体を着ていて、何の自由もないからだそうです。
昨日や今日死んだばかりの霊魂は別として、年数を経た霊魂は、物質ではない幽体という自由な身体を持っています。
それは、たとえれば、蛹が蝶になったようなもので、それまで不自由だったのに急に空を飛べるようになった事と似ています。
ですから、年数を経た霊魂にとって、人間は地面をはいつくばって餌を探し、巣に持って帰るだけの働きアリのようにしか見えないようなのです。
もちろん、意識の高い霊魂は、そんなアリのような人間達が真の意味での幸福を掴むめるよう、人間達の霊的生命体としての、進歩と向上を願っています。
ですが、人間を指導しようという気持ちなど全くない霊魂達はそうではありません。どうすれば、人間にいたずら出来るか、そんな事しか考えていないらしいのでした。
人間達と来たら霊魂の事は何も知りません。悪い霊魂が寄って来ても、可愛そうな霊魂だと勝手に決め付ける自称霊能力者さえいます。
死んで間もない霊魂を除くと、霊魂達は肉体を持っていないために、自由に移動する事が出来ます。
ドアも通りに抜けられますし、どこへでも付いて行く事が出来ます。人間がどこへ逃げても追いかけられるのです。
そんな霊魂達が自由のきかない人間に、本気で助けを求める訳がありません。
霊魂が人間に助けを求める時は、まず、ほとんどの場合は、神主さんやお坊さんといった宗教家なのです。
その理由はもちろん、高級な霊魂に縁が付く可能性を考えるからなのです。
高級な霊魂が側にいない一般の人には、縋る霊魂は寄って来ません。それは、霊魂の立場になればすぐ分かる事なのです。
大多数の霊魂は、最近の自称専門家達の、霊魂に対する甘い考え方を利用し、わるふざけを考えています。
霊魂を救うなど、一般の人間に出来る事ではありません。
彼等は供養している人間達の背後で、どうやって人間を苦しめようかと笑っているのです。
どんなお経でもそのお経が高級霊魂を引き寄せない限り、悪い霊魂達には何の力もありません。
霊魂を悟らせたり救ったりできないばかりか、かえって、その念の力を利用する事をたくらんでいるのです。
くれぐれも霊魂を甘く見てはいけません。
考えても見てください。彼等は透明人間の上に空を飛び、鉄砲さえも当たらない超スーパーマンなのです。そんな強力なスーパーマンがアリに負ける訳がありません。
ましてや、アリに説教されて悟らせられるような弱い霊魂などまず居るはずがないのです。
地上の人間は、高級霊魂というスーパーマンをさらに超える存在と結び付くからこそ、霊魂を恐れないですむのです。
まずは、高級霊魂と交流出来るような霊的身体とオーラを作る事、それが霊的生命体としての真の幸福への第一歩と言えましょう。
なぜかと言いますと、霊魂にとっては地上の人間は、自分達がとうの昔に脱ぎ捨てた物質の身体を着ていて、何の自由もないからだそうです。
昨日や今日死んだばかりの霊魂は別として、年数を経た霊魂は、物質ではない幽体という自由な身体を持っています。
それは、たとえれば、蛹が蝶になったようなもので、それまで不自由だったのに急に空を飛べるようになった事と似ています。
ですから、年数を経た霊魂にとって、人間は地面をはいつくばって餌を探し、巣に持って帰るだけの働きアリのようにしか見えないようなのです。
もちろん、意識の高い霊魂は、そんなアリのような人間達が真の意味での幸福を掴むめるよう、人間達の霊的生命体としての、進歩と向上を願っています。
ですが、人間を指導しようという気持ちなど全くない霊魂達はそうではありません。どうすれば、人間にいたずら出来るか、そんな事しか考えていないらしいのでした。
人間達と来たら霊魂の事は何も知りません。悪い霊魂が寄って来ても、可愛そうな霊魂だと勝手に決め付ける自称霊能力者さえいます。
死んで間もない霊魂を除くと、霊魂達は肉体を持っていないために、自由に移動する事が出来ます。
ドアも通りに抜けられますし、どこへでも付いて行く事が出来ます。人間がどこへ逃げても追いかけられるのです。
そんな霊魂達が自由のきかない人間に、本気で助けを求める訳がありません。
霊魂が人間に助けを求める時は、まず、ほとんどの場合は、神主さんやお坊さんといった宗教家なのです。
その理由はもちろん、高級な霊魂に縁が付く可能性を考えるからなのです。
高級な霊魂が側にいない一般の人には、縋る霊魂は寄って来ません。それは、霊魂の立場になればすぐ分かる事なのです。
大多数の霊魂は、最近の自称専門家達の、霊魂に対する甘い考え方を利用し、わるふざけを考えています。
霊魂を救うなど、一般の人間に出来る事ではありません。
彼等は供養している人間達の背後で、どうやって人間を苦しめようかと笑っているのです。
どんなお経でもそのお経が高級霊魂を引き寄せない限り、悪い霊魂達には何の力もありません。
霊魂を悟らせたり救ったりできないばかりか、かえって、その念の力を利用する事をたくらんでいるのです。
くれぐれも霊魂を甘く見てはいけません。
考えても見てください。彼等は透明人間の上に空を飛び、鉄砲さえも当たらない超スーパーマンなのです。そんな強力なスーパーマンがアリに負ける訳がありません。
ましてや、アリに説教されて悟らせられるような弱い霊魂などまず居るはずがないのです。
地上の人間は、高級霊魂というスーパーマンをさらに超える存在と結び付くからこそ、霊魂を恐れないですむのです。
まずは、高級霊魂と交流出来るような霊的身体とオーラを作る事、それが霊的生命体としての真の幸福への第一歩と言えましょう。