みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.11
(この文章は監修者 水波一郎師の発言をそのまま書いています。)
霊的な進歩は人の目には映らない。しかし、高級な霊魂の目には明らかである。
ところが、地上の人間の心は肉体という壁により、高級な霊魂にはむしろ、分かりにくい。そのため、高級な霊魂ほど人に霊感を送ることができない。
人間の側の霊的な進歩が必要なのである。
そのため、高級な霊魂は地上に霊的トレーニングを降ろされた。人は、それを行なうことにより、高級霊魂と接点を持ち得る。
しかし、だからといって、表面の心は向上しない。
小学生の心が大人のそれに成ることはない。肉体の脳による心は肉体の成長と共に成長するが、霊の成長とは比例していない。
つまり、霊的に進歩しても、地上の人間として立派に成るわけではない。
地上の人間としての進歩は、日々、日常の生活において努力するべきなのである。
ただし、地上の人間は知らねばならない。
表面の心理は深く潜在している意識の影響を受けている。
そのため、どんなに人格者と言われている人であっても、潜在している悲しい心情が浮き上がれば、犯罪的な行為をしてしまう可能性がある。
人は複合的な存在である。
そのために、心の奥を知らねば自分の本当の姿を知ることはないのである。
そのためには、過去、地上に生きた頃の自分をも知らねばならず、かつ、自分自身の心の光や闇をも知らねばならないのである。
心が進歩しても、それは地上でしか通じない。それは、地上社会の中での倫理である。
霊的な進歩は、霊的な生命体としての進歩であり、それは、人間の正体と自分自身の本当の姿を知るためのステップなのである。
霊的に進歩しても、地上の人間として立派なのではない。それは、私が神的な霊的トレーニングを指導しているのであるから明白である。
しかし、霊魂としての進歩向上は、自分自身の弱さも強さも教えてくれる。
それが新しい苦悩になっても、それを乗り越えようとするならば、未熟な我々にも神霊と呼ばれる高貴な存在は霊的な光の糸を垂らして下さる。
霊的な進歩は苦悩を乗り越えて初めて得られる。
霊的な進歩は人の目には映らない。しかし、高級な霊魂の目には明らかである。
ところが、地上の人間の心は肉体という壁により、高級な霊魂にはむしろ、分かりにくい。そのため、高級な霊魂ほど人に霊感を送ることができない。
人間の側の霊的な進歩が必要なのである。
そのため、高級な霊魂は地上に霊的トレーニングを降ろされた。人は、それを行なうことにより、高級霊魂と接点を持ち得る。
しかし、だからといって、表面の心は向上しない。
小学生の心が大人のそれに成ることはない。肉体の脳による心は肉体の成長と共に成長するが、霊の成長とは比例していない。
つまり、霊的に進歩しても、地上の人間として立派に成るわけではない。
地上の人間としての進歩は、日々、日常の生活において努力するべきなのである。
ただし、地上の人間は知らねばならない。
表面の心理は深く潜在している意識の影響を受けている。
そのため、どんなに人格者と言われている人であっても、潜在している悲しい心情が浮き上がれば、犯罪的な行為をしてしまう可能性がある。
人は複合的な存在である。
そのために、心の奥を知らねば自分の本当の姿を知ることはないのである。
そのためには、過去、地上に生きた頃の自分をも知らねばならず、かつ、自分自身の心の光や闇をも知らねばならないのである。
心が進歩しても、それは地上でしか通じない。それは、地上社会の中での倫理である。
霊的な進歩は、霊的な生命体としての進歩であり、それは、人間の正体と自分自身の本当の姿を知るためのステップなのである。
霊的に進歩しても、地上の人間として立派なのではない。それは、私が神的な霊的トレーニングを指導しているのであるから明白である。
しかし、霊魂としての進歩向上は、自分自身の弱さも強さも教えてくれる。
それが新しい苦悩になっても、それを乗り越えようとするならば、未熟な我々にも神霊と呼ばれる高貴な存在は霊的な光の糸を垂らして下さる。
霊的な進歩は苦悩を乗り越えて初めて得られる。
2014.01.13
Q 最近は宗教団体について悪い噂や報道が多く、一般の人達からの評判を悪くしています。
これは、そうした質の低い宗教が多すぎるからだと思います。
でも、宗教の悪い面しか報道されないために、人々は宗教に対して過剰に嫌悪感を持っているように思われます。
これに対してどう思われますか。
A 大変、困った事態です。悪い部分が一斉に吹き出て来たような感があります。
しかし、警察と同じで、宗教も全部が悪いというものではありません。
質が向上する事を願ってやみません。
Q 多くの人達は、宗教は弱い人達が入るものだと考えていますが、やはり、そうですか。
A 確かに、そうした面はあります。
実際、病気になったり、悩みがあったりして、苦しい時に宗教に入る人が多いのは事実だと思います。
そうなると、ワラをもすがる、で普段では信じないようなおかしな教えを信じたり、騙されたりする事も大勢います。
しかし、だからといって、それが、すぐに宗教の値打ちを下げるものではありません。
つまり、大切なのは、そうした人の心が弱っている時に、その人を騙すのではなく、そうした人達の相談に乗ったり、道を示してあげたりといった事を真剣に取り組んでくれる宗教であれば良いのです。
人間は誰でも苦しい時があります。死にたいと思う事もあります。
そうした時に親や友人に相談して解決出来る人は幸せです。
でも、世の中にはそうでない人も大勢います。
また、友人では解決出来ない悩みを抱えた人もいらっしゃいます。
そうした時に、たまたま縁の付いた宗教がその人の為に親身になってくだされば大変喜ばしい事です。
霊魂学の立場からすれば、宗教は霊的に高級な霊魂の指導下に入っていなければならないのですが、人がぎりぎりの苦しみを抱えている時はそうとばかりは言っていられません。
とりあえず、悩みを聞いてくれる人が必要になります。
宗教は弱い人の集まりだと言われれば、やはりそうかもしれません。
もともと、そうした状態で入った人が多いのですから。
とはいえ、やがて、元気な笑顔が戻ることがあれば、それは充分価値があったと私は考えています。
宗教に入る人達を笑うような人達が、宗教団体以上に苦しむ人達の力になって下さるのであれば、宗教家はあまんじて批判を受けるのではないでしょうか。
でも、そうではない時、たとえ、10人のうち、8人までが結局、自殺してしまったとしても、たった2人でも、笑顔に戻ることが出来たら、その宗教は値打ちがあったのではないでしょうか。
単純に否定する事は簡単です。
しかし、人を救うという事は並大抵の事ではないのです。
よく、宗教に入って大金を取られたと言う人がいます。
もちろん、それが本当に騙されたのなら悪い事です。
しかし、人は、わが子を助けるためなら、他人の臓器をもらってでも、一千万円掛かると言われてでも、我が子を助けてほしいのです。
そのためには、お金も惜しくないのです。
それを思えば、自分の子供が宗教に入って自殺せずにすんだら、それを感謝すべきではないでしょうか。
それなのに、すぐに子供が宗教の教祖に騙されたとか、子供を返せとか叫ぶのです。
もう少し、親から逃げようとする子供の気持ちを理解しようとすべきではないでしょうか。
もちろん、世間で騒がれている宗教はいろいろと問題があるのも事実だと思います。
しかし、中には誤解もあるかもしれません。
今、救いを求めているわが子の心を知ろうともせず、子供が信じた宗教を責め立てる。
これでは、高級霊魂も、そんな親を正しいとは言いません。
悪い宗教は無くさねばなりません。
けれども、宗教を求めるのは人の自由で、他人がとやかく言う筋合いのものではないと思います。
一部の過度な布教をする宗教は確かに迷惑でしょう。
それは、その宗教の人達に、迷惑だ、とはっきり言うべきです。
が、数えきれない程ある宗教の全ての人達から強引な布教をされたという人はいないはずです。
悪口は宗教全てに対して言うものではなく、悪い宗教に対して言うべきものです。
今、苦しんでいる人達が救いを求める時、それが、霊的に高級な団体との遭遇につながる事を、私はいつも願っています。
これは、そうした質の低い宗教が多すぎるからだと思います。
でも、宗教の悪い面しか報道されないために、人々は宗教に対して過剰に嫌悪感を持っているように思われます。
これに対してどう思われますか。
A 大変、困った事態です。悪い部分が一斉に吹き出て来たような感があります。
しかし、警察と同じで、宗教も全部が悪いというものではありません。
質が向上する事を願ってやみません。
Q 多くの人達は、宗教は弱い人達が入るものだと考えていますが、やはり、そうですか。
A 確かに、そうした面はあります。
実際、病気になったり、悩みがあったりして、苦しい時に宗教に入る人が多いのは事実だと思います。
そうなると、ワラをもすがる、で普段では信じないようなおかしな教えを信じたり、騙されたりする事も大勢います。
しかし、だからといって、それが、すぐに宗教の値打ちを下げるものではありません。
つまり、大切なのは、そうした人の心が弱っている時に、その人を騙すのではなく、そうした人達の相談に乗ったり、道を示してあげたりといった事を真剣に取り組んでくれる宗教であれば良いのです。
人間は誰でも苦しい時があります。死にたいと思う事もあります。
そうした時に親や友人に相談して解決出来る人は幸せです。
でも、世の中にはそうでない人も大勢います。
また、友人では解決出来ない悩みを抱えた人もいらっしゃいます。
そうした時に、たまたま縁の付いた宗教がその人の為に親身になってくだされば大変喜ばしい事です。
霊魂学の立場からすれば、宗教は霊的に高級な霊魂の指導下に入っていなければならないのですが、人がぎりぎりの苦しみを抱えている時はそうとばかりは言っていられません。
とりあえず、悩みを聞いてくれる人が必要になります。
宗教は弱い人の集まりだと言われれば、やはりそうかもしれません。
もともと、そうした状態で入った人が多いのですから。
とはいえ、やがて、元気な笑顔が戻ることがあれば、それは充分価値があったと私は考えています。
宗教に入る人達を笑うような人達が、宗教団体以上に苦しむ人達の力になって下さるのであれば、宗教家はあまんじて批判を受けるのではないでしょうか。
でも、そうではない時、たとえ、10人のうち、8人までが結局、自殺してしまったとしても、たった2人でも、笑顔に戻ることが出来たら、その宗教は値打ちがあったのではないでしょうか。
単純に否定する事は簡単です。
しかし、人を救うという事は並大抵の事ではないのです。
よく、宗教に入って大金を取られたと言う人がいます。
もちろん、それが本当に騙されたのなら悪い事です。
しかし、人は、わが子を助けるためなら、他人の臓器をもらってでも、一千万円掛かると言われてでも、我が子を助けてほしいのです。
そのためには、お金も惜しくないのです。
それを思えば、自分の子供が宗教に入って自殺せずにすんだら、それを感謝すべきではないでしょうか。
それなのに、すぐに子供が宗教の教祖に騙されたとか、子供を返せとか叫ぶのです。
もう少し、親から逃げようとする子供の気持ちを理解しようとすべきではないでしょうか。
もちろん、世間で騒がれている宗教はいろいろと問題があるのも事実だと思います。
しかし、中には誤解もあるかもしれません。
今、救いを求めているわが子の心を知ろうともせず、子供が信じた宗教を責め立てる。
これでは、高級霊魂も、そんな親を正しいとは言いません。
悪い宗教は無くさねばなりません。
けれども、宗教を求めるのは人の自由で、他人がとやかく言う筋合いのものではないと思います。
一部の過度な布教をする宗教は確かに迷惑でしょう。
それは、その宗教の人達に、迷惑だ、とはっきり言うべきです。
が、数えきれない程ある宗教の全ての人達から強引な布教をされたという人はいないはずです。
悪口は宗教全てに対して言うものではなく、悪い宗教に対して言うべきものです。
今、苦しんでいる人達が救いを求める時、それが、霊的に高級な団体との遭遇につながる事を、私はいつも願っています。
2014.01.15
Q 精神を成長させ、人間としての知識を深め、愛の心を育てれば、当然、霊的なレベルも上がって行くと思うのですが?
A 残念ながら、そうではありません。
人間的な知識や教養、愛の心といった人格は霊的なレベルとはあまり関係がないのです。
霊的なレベルという事も、先に説明が要ると思いますが、ここでは分かりやすく、死後の世界に入ってからの上下に置き換えて説明してみます。
霊魂になりますと、下の方の世界に入った人は、ただ辛い思いをしています。
それとは逆に、上の方へ行くにつれ、私達から見ると、まるで神様のような霊魂方が目立ってきます。
そうした上の方の貴い方々を霊的なレベルが高い存在と考え、それを前提に話を進めます。
他のコーナーでもご説明していますように、死後の世界の上下は幽体という死後の世界で使用する身体の質によって決まると言っても過言ではありません。
そして、その幽体は、その人の意識の霊的な質を強く反映しています。
つまり、幽体は地上にいる間は肉体の中に入っていますので、のびのびとはしていませんが、肉体を捨てて霊魂の世界に入ると、本来の状態に戻り、その性質が強く表現されるようになって行きます。
つまり、この時点から意識全体の質の高低が強く、はっきり現れるので、他者には一目で霊的なレベルが分かってしまうようです。
地上にいる間は意識といっても、私達の普段の意識は、表面意識といって、人間の意識のほんの一部が現われているにすぎません。
ところが、実際には潜在意識と呼ばれる更に深い意識も存在します。
人間の意識といった時には、その深い意識も含まれることになります。
私達の知識や人格といったものは、人間の意識のほんのわずかである表面意識に限られているものなのです。
つまり、人の意識全体としてのレベルにとっては、表面意識の人格はその一部でしかないのです。
したがって、人格者や愛の深い人であっても、必ずしも霊的レベルが高いというものではないのです。
もっとも、霊的レベルが高く、表面意識の人格も高ければ良いことは言うまでもありませんが。
人間は地上に生まれて来る前は霊魂の世界に霊魂として存在しています。
その霊魂が地上の胎児に入って生まれて来たのが人間です。
(「再生」の問題は高度なのでご説明は省かせていただきます。)
ということは、新しく地上に誕生する魂は、全員が同じ霊的レベルではないことになります。
何しろ、人間は皆、それぞれに違った魂の歴史を背負って来ています。
中には、イエスキリストのように、特別高い世界から生まれて来た魂もあります。
そのような魂は、もともと幽体の質が凄まじく高いので、小さい頃から高貴なオーラを放っています。
ですが、どんなに高貴な魂でも、地上の幼児の頃から大人のような知識、常識、人格等を持っているわけではありません。
それでも、霊的なレベルはすでに高いのです。
イエスやシャカは極端な例です。
ですが、一般の人でも、生まれた時からそれぞれに多少の差があるのです。
となれば、幼児であっても大人よりも霊的レベルが高い人もいておかしくないのです。
いずれにしましても、結論としましては、人格と霊的なレベルは必ずしも一致していないのでした。
A 残念ながら、そうではありません。
人間的な知識や教養、愛の心といった人格は霊的なレベルとはあまり関係がないのです。
霊的なレベルという事も、先に説明が要ると思いますが、ここでは分かりやすく、死後の世界に入ってからの上下に置き換えて説明してみます。
霊魂になりますと、下の方の世界に入った人は、ただ辛い思いをしています。
それとは逆に、上の方へ行くにつれ、私達から見ると、まるで神様のような霊魂方が目立ってきます。
そうした上の方の貴い方々を霊的なレベルが高い存在と考え、それを前提に話を進めます。
他のコーナーでもご説明していますように、死後の世界の上下は幽体という死後の世界で使用する身体の質によって決まると言っても過言ではありません。
そして、その幽体は、その人の意識の霊的な質を強く反映しています。
つまり、幽体は地上にいる間は肉体の中に入っていますので、のびのびとはしていませんが、肉体を捨てて霊魂の世界に入ると、本来の状態に戻り、その性質が強く表現されるようになって行きます。
つまり、この時点から意識全体の質の高低が強く、はっきり現れるので、他者には一目で霊的なレベルが分かってしまうようです。
地上にいる間は意識といっても、私達の普段の意識は、表面意識といって、人間の意識のほんの一部が現われているにすぎません。
ところが、実際には潜在意識と呼ばれる更に深い意識も存在します。
人間の意識といった時には、その深い意識も含まれることになります。
私達の知識や人格といったものは、人間の意識のほんのわずかである表面意識に限られているものなのです。
つまり、人の意識全体としてのレベルにとっては、表面意識の人格はその一部でしかないのです。
したがって、人格者や愛の深い人であっても、必ずしも霊的レベルが高いというものではないのです。
もっとも、霊的レベルが高く、表面意識の人格も高ければ良いことは言うまでもありませんが。
人間は地上に生まれて来る前は霊魂の世界に霊魂として存在しています。
その霊魂が地上の胎児に入って生まれて来たのが人間です。
(「再生」の問題は高度なのでご説明は省かせていただきます。)
ということは、新しく地上に誕生する魂は、全員が同じ霊的レベルではないことになります。
何しろ、人間は皆、それぞれに違った魂の歴史を背負って来ています。
中には、イエスキリストのように、特別高い世界から生まれて来た魂もあります。
そのような魂は、もともと幽体の質が凄まじく高いので、小さい頃から高貴なオーラを放っています。
ですが、どんなに高貴な魂でも、地上の幼児の頃から大人のような知識、常識、人格等を持っているわけではありません。
それでも、霊的なレベルはすでに高いのです。
イエスやシャカは極端な例です。
ですが、一般の人でも、生まれた時からそれぞれに多少の差があるのです。
となれば、幼児であっても大人よりも霊的レベルが高い人もいておかしくないのです。
いずれにしましても、結論としましては、人格と霊的なレベルは必ずしも一致していないのでした。
2014.01.15
Q 精神が成長し、愛が深まっても、霊的レベルとは一致しない、ということになりますと、高級霊魂は愛が深い人に寄ってくるとは限らないということになりませんか。
A そのとおりです。
高級霊魂が寄りやすいのは、あくまでも霊的な状態が基準なのであって、地上的な人格とは無関係です。
たとえば、ある人が熱心に神や高級霊魂に祈ったとします。
だからといって、その人が高級霊魂を呼ぶに相応しい幽体オーラを発していなければ、決してその祈りが届くことはないのです。
霊魂は物質の世界には生きていません。
私達が霊魂の姿を見ることができないように、霊魂も私達の姿がはっきりと見えるわけではないのです。
当然のことながら、霊魂には霊的なものの方が見やすいのです。
ですから、まず霊魂の目に見えるのは何かといいますと、地上の人間の幽体オーラなのです。
このオーラの質が高いか低いかが問題になるのです。
質が低い、つまり質が良くないオーラでは高級な霊魂の目にはとうてい入らないのです。
高級霊魂を呼ぶためには、何よりも、この幽体オーラの質を上げることが先決なのです。
それをせずにどんなに長く祈っていても、その祈りが高級霊魂に届くことはありません。
実は、世界中の人々が平和を祈念しても、高貴な霊魂に届くことはないのです。
私達はともすると、高級霊魂は私達の思いをすぐに理解してくれると思いがちです。
ところが、実際はそうではないのです。
霊魂は24時間人間にぴったりと付き添っているわけではないのです。
守護霊や指導霊であってさえ、皆、それぞれに他にやるべき事を持っています。
たとえば、指導霊などは、複数の人間の指導を掛け持ちしている霊魂もかなりいます。
ですから、人間が寝ている時まで常に側にいるわけではありません。
人間が学校に行っている時、守護霊はどの学校であるのかは探り当てたとしても、その中から自分が担当する人間を見つけ出すことは至難の技なのです。
クラスに40人いたとしても、それぞれの人が雑多な思いを発しています。
この中から、どれが自分が担当する人間なのか、それを探り当てるには、その人間がよほど特徴のあるオーラをしていないと難しいのです。
私達は霊魂を特別な存在と考えがちです。
でも、考えてみれば、誰でも皆、以前は、地上で生活していた私達の先輩達なのです。
先輩達は物質の肉体をなくして幽体の存在になったために、私達とは接点が持ちにくくなっていたのです。
ですから、地上の人間が、大勢の人達がてんでに会話している内容を全部理解することができないように、霊魂にしても、無数に飛び交う人間の想念を、全て分析して理解することなど不可能なのです。
その上、物質の脳を使って放たれる人間の想念は、霊魂達の想念とは少し違っているようで、愛が強かろうと弱かろうと、肉体を持たない霊魂の知覚には、なかなか感じ取れないらしいのです。
また、何とか、愛の深い想念の主を発見した霊魂がいたとしても、その人の幽体オーラが高級霊魂が接近するのに相応しくなければ、なかなか交流することができないのです。
つまり、実際には守護霊、指導霊も、地上の人間を担当はしたものの、なかなかその人間と交流できないのが現実なのです。
だからこそ、幽体オーラの質の向上が大切なのです。
それには、霊的トレーニングが必要だ、と高級霊魂達はしきりに訴えて来るのです!
A そのとおりです。
高級霊魂が寄りやすいのは、あくまでも霊的な状態が基準なのであって、地上的な人格とは無関係です。
たとえば、ある人が熱心に神や高級霊魂に祈ったとします。
だからといって、その人が高級霊魂を呼ぶに相応しい幽体オーラを発していなければ、決してその祈りが届くことはないのです。
霊魂は物質の世界には生きていません。
私達が霊魂の姿を見ることができないように、霊魂も私達の姿がはっきりと見えるわけではないのです。
当然のことながら、霊魂には霊的なものの方が見やすいのです。
ですから、まず霊魂の目に見えるのは何かといいますと、地上の人間の幽体オーラなのです。
このオーラの質が高いか低いかが問題になるのです。
質が低い、つまり質が良くないオーラでは高級な霊魂の目にはとうてい入らないのです。
高級霊魂を呼ぶためには、何よりも、この幽体オーラの質を上げることが先決なのです。
それをせずにどんなに長く祈っていても、その祈りが高級霊魂に届くことはありません。
実は、世界中の人々が平和を祈念しても、高貴な霊魂に届くことはないのです。
私達はともすると、高級霊魂は私達の思いをすぐに理解してくれると思いがちです。
ところが、実際はそうではないのです。
霊魂は24時間人間にぴったりと付き添っているわけではないのです。
守護霊や指導霊であってさえ、皆、それぞれに他にやるべき事を持っています。
たとえば、指導霊などは、複数の人間の指導を掛け持ちしている霊魂もかなりいます。
ですから、人間が寝ている時まで常に側にいるわけではありません。
人間が学校に行っている時、守護霊はどの学校であるのかは探り当てたとしても、その中から自分が担当する人間を見つけ出すことは至難の技なのです。
クラスに40人いたとしても、それぞれの人が雑多な思いを発しています。
この中から、どれが自分が担当する人間なのか、それを探り当てるには、その人間がよほど特徴のあるオーラをしていないと難しいのです。
私達は霊魂を特別な存在と考えがちです。
でも、考えてみれば、誰でも皆、以前は、地上で生活していた私達の先輩達なのです。
先輩達は物質の肉体をなくして幽体の存在になったために、私達とは接点が持ちにくくなっていたのです。
ですから、地上の人間が、大勢の人達がてんでに会話している内容を全部理解することができないように、霊魂にしても、無数に飛び交う人間の想念を、全て分析して理解することなど不可能なのです。
その上、物質の脳を使って放たれる人間の想念は、霊魂達の想念とは少し違っているようで、愛が強かろうと弱かろうと、肉体を持たない霊魂の知覚には、なかなか感じ取れないらしいのです。
また、何とか、愛の深い想念の主を発見した霊魂がいたとしても、その人の幽体オーラが高級霊魂が接近するのに相応しくなければ、なかなか交流することができないのです。
つまり、実際には守護霊、指導霊も、地上の人間を担当はしたものの、なかなかその人間と交流できないのが現実なのです。
だからこそ、幽体オーラの質の向上が大切なのです。
それには、霊的トレーニングが必要だ、と高級霊魂達はしきりに訴えて来るのです!
2014.01.21
Q 音楽は霊的な修行法のように「真の意味での魂」を救い得るのでしょうか。
A 音楽であれ何であれ、地上の芸術は全て、人の「心」を救う事は有り得ますが、「魂」を救う事はありません。
なぜなら、魂というものが、表面的な意識ばかりではなく、それよりも巨大で深い無意識的な意識をも含んでいるからです。
そして、霊魂学でいう魂とは、更に、幽体や霊体といった霊的な身体によって自己を表現する意識をも含んでいます。
したがいまして、人の魂というものは、霊的修行法のような、そのために組まれた技法以外では、大きな変化はしないのです。
Q では、音楽は霊的には価値がないのでしょうか。
A そうではありません。
たとえば、医師は人の肉体の病を治療してくれます。これは高い価値があります。
しかしながら、それは肉体にとどまる事であり、幽体や魂を救うのではありません。
同じように、音楽は霊的な意識を含めた魂の深奥には作用できなくても、表面的な心には強い刺激をもたらします。
したがって、充分に価値があります。
Q 芸術は神に通じる、と言う宗教がありますが。
A それは、神を低く見ているからと言えます。
神を人間的な次元で考え、表面的な意識で理解し得る範囲に置いているためと言えましょう。
実際には地上の芸術はあくまでも人間の物質の脳に響いているものであり、高級霊魂の世界から見ると、幼児の歌のようなものなのです。
Q 宗教的な神人が踊ったりすると、高貴な霊世界にまで響くという話を聞いた事がありますが。
A それは確かにあります。
なぜなら、本物の神人は霊的な身体が高貴であり、その霊的身体から発するオーラや気は輝き、かつ、高級です。
また、側に集まる霊魂は高級な霊魂ばかりです。
そうなると、そうした神人が一つ動作をするたびに、高い幽気が発せられ、オーラが動きます。
そのため、周囲の霊魂達にも強い影響が出るのです。
別な視点から言うと、こうした事に宗教的な儀式や作法の意味があるのです。
Q では、音楽は表面の心に良くも悪くも影響を与えるもの、と考えて良いのでしょうか。
A 厳密に言えば、そうでもありません。
たとえば、幼児体験という事があります。
仮に誰かが小さい頃に火事に遭って、心が深く傷ついたとします。
こうした人が成人すると、火を見ると、たとえマッチの火であっても、急に気分が悪くなる、といった話を聞きます。
それと同じで、音楽も、潜在している意識に刺激を与える事があります。
これは、過去世の意識であっても同じことです。
人によっては、ある種の音楽を聞く事により、過去世の心情が表面に浮き上がってくる事があります。
Q それでは、より高貴な音楽とはどんなものなのでしょうか。
A 基本的には人々の心に響く音楽です。
それ以上を地上の音楽家に求めるのは無理でしょう。
ただし、霊的に高貴な音楽が地上にはないのかといえば、そうではありません。
つまり、神人が踊れば、霊的な変化が起きます。
という事は、地上の芸術家が神人のようであれば、霊的な変化が期待できるのです。
Q カセットやCDでも効果がありますか。
A どの程度かは実際に見てみないと分かりません。
それでも、少なからず良い影響はあるでしょう。
というのは、本でも同じような事が起きているからです。
宗教や心霊の本を読むと、人は知らないうちに想念を出しています。
その想念を感知した霊魂が寄ってくる事があるのです。
そのため、邪悪な人の出された本を読んでいて、邪悪な霊魂に寄られてしまったという人がいます。
つまり、音楽であっても、同じような作用があると推測されます。
たとえ、CDであっても、制作者や歌手などが霊的に高貴な部分を持っていると、製作に関与した霊魂の力が影響して、聞いた人にも、何等かの霊的な刺激を与える可能性があります。
Q ということは、芸術家も霊的に高貴な作品を生むためには、霊的な修行を極めて、高貴な霊的身体やオーラを所持すべき、ということでしょうか。
A 結局はそういうことです。
やはり、人はまず、霊的な事実を知ろうとすべきなのでしょう。
A 音楽であれ何であれ、地上の芸術は全て、人の「心」を救う事は有り得ますが、「魂」を救う事はありません。
なぜなら、魂というものが、表面的な意識ばかりではなく、それよりも巨大で深い無意識的な意識をも含んでいるからです。
そして、霊魂学でいう魂とは、更に、幽体や霊体といった霊的な身体によって自己を表現する意識をも含んでいます。
したがいまして、人の魂というものは、霊的修行法のような、そのために組まれた技法以外では、大きな変化はしないのです。
Q では、音楽は霊的には価値がないのでしょうか。
A そうではありません。
たとえば、医師は人の肉体の病を治療してくれます。これは高い価値があります。
しかしながら、それは肉体にとどまる事であり、幽体や魂を救うのではありません。
同じように、音楽は霊的な意識を含めた魂の深奥には作用できなくても、表面的な心には強い刺激をもたらします。
したがって、充分に価値があります。
Q 芸術は神に通じる、と言う宗教がありますが。
A それは、神を低く見ているからと言えます。
神を人間的な次元で考え、表面的な意識で理解し得る範囲に置いているためと言えましょう。
実際には地上の芸術はあくまでも人間の物質の脳に響いているものであり、高級霊魂の世界から見ると、幼児の歌のようなものなのです。
Q 宗教的な神人が踊ったりすると、高貴な霊世界にまで響くという話を聞いた事がありますが。
A それは確かにあります。
なぜなら、本物の神人は霊的な身体が高貴であり、その霊的身体から発するオーラや気は輝き、かつ、高級です。
また、側に集まる霊魂は高級な霊魂ばかりです。
そうなると、そうした神人が一つ動作をするたびに、高い幽気が発せられ、オーラが動きます。
そのため、周囲の霊魂達にも強い影響が出るのです。
別な視点から言うと、こうした事に宗教的な儀式や作法の意味があるのです。
Q では、音楽は表面の心に良くも悪くも影響を与えるもの、と考えて良いのでしょうか。
A 厳密に言えば、そうでもありません。
たとえば、幼児体験という事があります。
仮に誰かが小さい頃に火事に遭って、心が深く傷ついたとします。
こうした人が成人すると、火を見ると、たとえマッチの火であっても、急に気分が悪くなる、といった話を聞きます。
それと同じで、音楽も、潜在している意識に刺激を与える事があります。
これは、過去世の意識であっても同じことです。
人によっては、ある種の音楽を聞く事により、過去世の心情が表面に浮き上がってくる事があります。
Q それでは、より高貴な音楽とはどんなものなのでしょうか。
A 基本的には人々の心に響く音楽です。
それ以上を地上の音楽家に求めるのは無理でしょう。
ただし、霊的に高貴な音楽が地上にはないのかといえば、そうではありません。
つまり、神人が踊れば、霊的な変化が起きます。
という事は、地上の芸術家が神人のようであれば、霊的な変化が期待できるのです。
Q カセットやCDでも効果がありますか。
A どの程度かは実際に見てみないと分かりません。
それでも、少なからず良い影響はあるでしょう。
というのは、本でも同じような事が起きているからです。
宗教や心霊の本を読むと、人は知らないうちに想念を出しています。
その想念を感知した霊魂が寄ってくる事があるのです。
そのため、邪悪な人の出された本を読んでいて、邪悪な霊魂に寄られてしまったという人がいます。
つまり、音楽であっても、同じような作用があると推測されます。
たとえ、CDであっても、制作者や歌手などが霊的に高貴な部分を持っていると、製作に関与した霊魂の力が影響して、聞いた人にも、何等かの霊的な刺激を与える可能性があります。
Q ということは、芸術家も霊的に高貴な作品を生むためには、霊的な修行を極めて、高貴な霊的身体やオーラを所持すべき、ということでしょうか。
A 結局はそういうことです。
やはり、人はまず、霊的な事実を知ろうとすべきなのでしょう。