みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.13
HP(霊をさぐる PC版)の監修者で、契山館主宰。
◆霊魂学と霊的トレーニングを学ぶ会・契山館にて指導中。
霊的修行法(神伝禊法(1~5の伝)、神伝鎮魂法(1~5の伝)、その他に、神伝振魂法、幽育、他多数の霊的トレーニング。
指導の一環として守護霊や過去世の調査、霊的アドバイスも行なっている。
近況としては、これまでは原則として指導の一環として霊査を行なっていたが、HPを開設以来、深刻な霊的相談を受けることも多くなったため、現在では、時間の許す範囲で、一般の問い合わせ者からの各種の霊的な相談にも回答している。
◆著書
『神伝禊法入門』 (大陸書房)
『大霊力』 (天山出版発行)
『霊魂学を知るために』 (ライブ出版)
『禊 神秘の法』 (史輝出版)
上記四書は、出版社の倒産等により、現在、発売されておりません。
新刊のご案内
『神伝禊法』
新時代の霊的トレーニング (MyISBN - デザインエッグ社) [オンデマンド (ペーパーバック)] 水波 一郎 (著)
『霊魂は居ると思いますか?』
真の霊媒が示す霊魂現象の真偽 (MyISBN - デザインエッグ社) [オンデマンド (ペーパーバック)]
幽体の悲劇 - 人は幽体と共に生きている (MyISBN - デザインエッグ社)
◆霊魂学と霊的トレーニングを学ぶ会・契山館にて指導中。
霊的修行法(神伝禊法(1~5の伝)、神伝鎮魂法(1~5の伝)、その他に、神伝振魂法、幽育、他多数の霊的トレーニング。
指導の一環として守護霊や過去世の調査、霊的アドバイスも行なっている。
近況としては、これまでは原則として指導の一環として霊査を行なっていたが、HPを開設以来、深刻な霊的相談を受けることも多くなったため、現在では、時間の許す範囲で、一般の問い合わせ者からの各種の霊的な相談にも回答している。
◆著書
『神伝禊法入門』 (大陸書房)
『大霊力』 (天山出版発行)
『霊魂学を知るために』 (ライブ出版)
『禊 神秘の法』 (史輝出版)
上記四書は、出版社の倒産等により、現在、発売されておりません。
新刊のご案内
『神伝禊法』
新時代の霊的トレーニング (MyISBN - デザインエッグ社) [オンデマンド (ペーパーバック)] 水波 一郎 (著)
『霊魂は居ると思いますか?』
真の霊媒が示す霊魂現象の真偽 (MyISBN - デザインエッグ社) [オンデマンド (ペーパーバック)]
幽体の悲劇 - 人は幽体と共に生きている (MyISBN - デザインエッグ社)
2014.01.13
Q このHP(霊をさぐる PC版)の監修者(水波一郎師)はどんな高級霊魂と交流していらっしゃるのですか。
A 私が知り得る限りでは、大勢の霊魂が常に近くにいらっしゃるようです。
そうした霊魂方はさらに大勢の部下を持っていらっしゃるようで、あちらこちらにいる霊魂達から、いろいろな情報が入るようです。
とはいっても、高級な霊魂は物質界から霊的な距離が遠いようで、よほど高級な霊的身体を持つ人間がいない限りは、他の人の所には行かれない様子です。
そのため、人間の世界の情報は少ないようです。
そうした大勢の霊魂とそれぞれに交流する事は、人間では時間的に無理です。
そのため、主として顔を出す霊魂はだいたい決まっています。
以前は、日本の古代霊が多かったのですが、最近では、霊魂の世界で『キリスト』と呼ばれる、複数の高貴な霊魂に直接仕える高級霊魂が、頻繁に交流を求めていらっしゃるようです。
こうした霊魂の方々は地上の言葉を話す事がありません。
どうやら、霊魂の世界でも幽体ではない、別の身体を持っていらっしゃるようで、普通、高級霊と呼ばれるような霊魂からみても、違う次元の存在のようで、その姿は見る事は出来ない様子です。
それほど高級な霊魂になると、普通の霊能力者の霊視には全く映りません。
何しろ、守護霊クラスの霊魂でも見えないレベルです。
地上の人間に見る事は出来ません。
ところが、監修者はこうした霊魂でも部下として使っています。
なぜかと言うと、何か約束のような事があるようで、キリストと呼ばれる霊魂以外は、一切、監修者に頭を上げない様子です。
それというのも、日本の富士山には特殊な神域があって、そこには、霊魂学で神霊と呼ぶ、霊的生命体としては、これ以上は上がない、という最高ランクの力と交流しうる秘密があるらしく、監修者は神霊と何らかの契約をしているらしいのです。
そのためか、監修者は肉の身体を着た人間であるのに、霊魂達にとっては、ただの人間とは思えないらしいのです。
監修者に直接聞くと、たとえば、力のない駆け出しのような若者でも、大親分の息子となれば、皆、気を遣います。
強い後ろ盾がいると、誰も文句を言えないのだ、と、笑われてしまいました。
実際、イエス師が監修者の口を使って語る時もありますが、人間に入ると、力が下がってしまうらしいのですが、それでもその時は周囲の雰囲気が変わってしまうような感じがして、格が違うという感じがします。
そのイエス師ですら、監修者には師匠のような扱いをされる時があります。
地上の人間が神伝の法を成就するという事は、とんでもない事なのだと思います。
そのイエス師の言葉をここに記しておきます。
「私は本来、言葉を用いない。今、話す言葉は全て人間の脳の力によっている。そのため、霊媒となる人の霊力に頼っている面もある」
「真の霊力とは霊視の事ではない、霊魂にまで指示する力である」
「いかなる高級霊魂も、この霊力者の意思には逆らえない。なぜなら、高級霊魂はこの霊力者がいなければ、何のメッセージも地上に送れないからである」
「地上ではどのように呼ばれようと、我々にとっては、唯一の光であり、地上と神をつなぐ、ただ一つの力なのである」
「私の代わりはいても、霊力者の代わりはいない。私は彼が指示すれば、それに従うつもりである」
「私の霊力はこの師を通じてしか流れないのである」
私はもう何も言う事がありませんでした。
高貴な霊魂の力は、それを流しうる霊的な媒体、つまり、高度に訓練された霊的身体を用いないと流せないようです。
その上、そうした霊力者しか、上級レベルの霊魂からの思想は表現できません。
地上の人間といえども、真の霊力者は大変価値が高いのです。いわば、上級の霊魂が使用できる、たった一つの受信機でもあるのでした。
A 私が知り得る限りでは、大勢の霊魂が常に近くにいらっしゃるようです。
そうした霊魂方はさらに大勢の部下を持っていらっしゃるようで、あちらこちらにいる霊魂達から、いろいろな情報が入るようです。
とはいっても、高級な霊魂は物質界から霊的な距離が遠いようで、よほど高級な霊的身体を持つ人間がいない限りは、他の人の所には行かれない様子です。
そのため、人間の世界の情報は少ないようです。
そうした大勢の霊魂とそれぞれに交流する事は、人間では時間的に無理です。
そのため、主として顔を出す霊魂はだいたい決まっています。
以前は、日本の古代霊が多かったのですが、最近では、霊魂の世界で『キリスト』と呼ばれる、複数の高貴な霊魂に直接仕える高級霊魂が、頻繁に交流を求めていらっしゃるようです。
こうした霊魂の方々は地上の言葉を話す事がありません。
どうやら、霊魂の世界でも幽体ではない、別の身体を持っていらっしゃるようで、普通、高級霊と呼ばれるような霊魂からみても、違う次元の存在のようで、その姿は見る事は出来ない様子です。
それほど高級な霊魂になると、普通の霊能力者の霊視には全く映りません。
何しろ、守護霊クラスの霊魂でも見えないレベルです。
地上の人間に見る事は出来ません。
ところが、監修者はこうした霊魂でも部下として使っています。
なぜかと言うと、何か約束のような事があるようで、キリストと呼ばれる霊魂以外は、一切、監修者に頭を上げない様子です。
それというのも、日本の富士山には特殊な神域があって、そこには、霊魂学で神霊と呼ぶ、霊的生命体としては、これ以上は上がない、という最高ランクの力と交流しうる秘密があるらしく、監修者は神霊と何らかの契約をしているらしいのです。
そのためか、監修者は肉の身体を着た人間であるのに、霊魂達にとっては、ただの人間とは思えないらしいのです。
監修者に直接聞くと、たとえば、力のない駆け出しのような若者でも、大親分の息子となれば、皆、気を遣います。
強い後ろ盾がいると、誰も文句を言えないのだ、と、笑われてしまいました。
実際、イエス師が監修者の口を使って語る時もありますが、人間に入ると、力が下がってしまうらしいのですが、それでもその時は周囲の雰囲気が変わってしまうような感じがして、格が違うという感じがします。
そのイエス師ですら、監修者には師匠のような扱いをされる時があります。
地上の人間が神伝の法を成就するという事は、とんでもない事なのだと思います。
そのイエス師の言葉をここに記しておきます。
「私は本来、言葉を用いない。今、話す言葉は全て人間の脳の力によっている。そのため、霊媒となる人の霊力に頼っている面もある」
「真の霊力とは霊視の事ではない、霊魂にまで指示する力である」
「いかなる高級霊魂も、この霊力者の意思には逆らえない。なぜなら、高級霊魂はこの霊力者がいなければ、何のメッセージも地上に送れないからである」
「地上ではどのように呼ばれようと、我々にとっては、唯一の光であり、地上と神をつなぐ、ただ一つの力なのである」
「私の代わりはいても、霊力者の代わりはいない。私は彼が指示すれば、それに従うつもりである」
「私の霊力はこの師を通じてしか流れないのである」
私はもう何も言う事がありませんでした。
高貴な霊魂の力は、それを流しうる霊的な媒体、つまり、高度に訓練された霊的身体を用いないと流せないようです。
その上、そうした霊力者しか、上級レベルの霊魂からの思想は表現できません。
地上の人間といえども、真の霊力者は大変価値が高いのです。いわば、上級の霊魂が使用できる、たった一つの受信機でもあるのでした。
2014.01.16
Q 水波師は普通の人ができないような荒行や、難行、苦行をされて、高貴な存在に認められるようになったのでしょうか?
A そうではないようです。
努力や苦悩を超える、という面では、普通の人と比べられるものではありません。
ですが、その努力の内容は、真冬に冷たい滝に一晩中浸かっているとか、山にこもって木の実を食べて何年も下りて来ない、というような種類のものではありません。
修行自体は誰にでもできるようなトレーニングのようです。
努力すべきはそうした荒行をすることではなく、むしろ自分自身との戦いにあるようです。
たとえば、「イエス・キリストは人類の罪を背負い、はりつけにされた」とキリスト教徒は言っています。
まだ正しい霊的知識を持っていない頃の、一修行者としての水波師はそうした主張を知って、もしも自分がイエスの立場であったとしたら人類のためにそこまで自分を犠牲にすることなどできるであろうか、できないとしたら、将来修行が進んでも神や人類のために何か役に立つことはあるのだろうか、といった自問自答をされたようです。
そうした過程で自分自身の人間としての弱さや未熟さ、そうしたものを発見したり、それを乗り越えようと努力したり、乗り越えられなくて苦悩したりということのようです。
つまり、普通の人のように自分はオリンピックに出たいから努力するとか、弁護士になりたいから勉強するとか、そういった自分自身の欲望や夢を達成するために努力し、苦悩に打ち勝った、というタイプではないようです。
そうではなく、意識の奥にある宗教的な情熱、それは神霊のお役に立ちたい、という事のようで、そのためにどうすべきか、何をすべきか、というような事のようでした。
ですから、たとえばマラソンで歯を食いしばって最後まで走るのは大変感動的で立派です。
ですが、水波師の場合は、それが神霊のお役に立つことであれば必死に走りますが、そうでなければ無理をしない、というような考え方で修行なさったように思われます。
水波師は霊的な自分にとって一番大切な事は何なのか、何が正しい道なのか、そうした事を探求しながら、霊的な修行を重ねられたようです。
いずれにしましても、世間一般の霊能力者や宗教家とは「異質」の存在です。
A そうではないようです。
努力や苦悩を超える、という面では、普通の人と比べられるものではありません。
ですが、その努力の内容は、真冬に冷たい滝に一晩中浸かっているとか、山にこもって木の実を食べて何年も下りて来ない、というような種類のものではありません。
修行自体は誰にでもできるようなトレーニングのようです。
努力すべきはそうした荒行をすることではなく、むしろ自分自身との戦いにあるようです。
たとえば、「イエス・キリストは人類の罪を背負い、はりつけにされた」とキリスト教徒は言っています。
まだ正しい霊的知識を持っていない頃の、一修行者としての水波師はそうした主張を知って、もしも自分がイエスの立場であったとしたら人類のためにそこまで自分を犠牲にすることなどできるであろうか、できないとしたら、将来修行が進んでも神や人類のために何か役に立つことはあるのだろうか、といった自問自答をされたようです。
そうした過程で自分自身の人間としての弱さや未熟さ、そうしたものを発見したり、それを乗り越えようと努力したり、乗り越えられなくて苦悩したりということのようです。
つまり、普通の人のように自分はオリンピックに出たいから努力するとか、弁護士になりたいから勉強するとか、そういった自分自身の欲望や夢を達成するために努力し、苦悩に打ち勝った、というタイプではないようです。
そうではなく、意識の奥にある宗教的な情熱、それは神霊のお役に立ちたい、という事のようで、そのためにどうすべきか、何をすべきか、というような事のようでした。
ですから、たとえばマラソンで歯を食いしばって最後まで走るのは大変感動的で立派です。
ですが、水波師の場合は、それが神霊のお役に立つことであれば必死に走りますが、そうでなければ無理をしない、というような考え方で修行なさったように思われます。
水波師は霊的な自分にとって一番大切な事は何なのか、何が正しい道なのか、そうした事を探求しながら、霊的な修行を重ねられたようです。
いずれにしましても、世間一般の霊能力者や宗教家とは「異質」の存在です。
2014.01.17
〈このページは監修者 水波一郎師の文章をそのまま掲載しました〉
人が今しなければならないこと、それは、霊的な真実を知ろうとし、霊的なトレーニングに目覚めることである。
これは、私に関わった大勢の霊魂達の以前からの主張である。
だが、今、私は、それが困難なのではないか、と憂えている。
たとえば、ある国が侵略戦争を起こそうとしたとして、私に何ができるであろうか。
結局、新聞やテレビを見て戦争を批判するのみである。
一個人は結局、無力なのである。
やはり、国家には国家といった、同等の強い勢力でないと、戦争をやめさせることはできない。
つまり、一個人がデモをしても他国の戦争は終わらない。
それが力になるのは、大勢の人達がそれに賛同する場合だけなのである。
世界中の人達が侵略をやめさせるという強い意思をデモなどで示すことがあれば、現実も動くことがある。
しかし、それには、それが大勢の人達の共通の思いがなければならない。
大勢の人達が同じ考えを持っていれば、それが可能になるのである。
一方、霊魂の分野ではどうであろうか。
一個人が街角で霊的な進歩や霊的なトレーニングを叫んだら、人々は一緒にデモをしてくれるであろうか。
霊魂の実在を語り、その霊魂の中でも最も高級な意識体として神霊を位置付け、それを前提として霊的トレーニングを語る時、人々は新手の詐欺とか、気狂い集団とは見ずに、真面目に話を聞いてくれるのであろうか。
多数の人達は新しい「カルト宗教の宣伝」として嫌悪感を覚えるのではないだろうか。
霊魂が実在し、その霊魂達の意識に上下高低があるとすれば、ずっと上の方に位置する霊魂は、神とか神霊とか呼ぶべき存在である。
つまり、霊魂の世界が実在し、その霊魂達に上下があるとすれば、用語の定義に問題があるだけで、神霊と呼び得る存在は実在して当然なのであり、霊魂の実在を肯定するのであるならば、神霊を語るのは正常な理性にとって、合理的なことなのである。
しかし、それを主張すると、人々はそれを宗教と呼んで、軽蔑したり警戒したりする傾向にある。
これが、現代の日本の現実である。
こうした環境の中、高級な霊魂達は、人間が本来、地上で一体に何をすべきなのか、どう生きるべきなのか、そうした事を示し続けている。
霊的生命体として、死後もずっと生き続ける人間という存在は、物質だけの存在ではない。
そうであるからには、人間は死後どうなるのか、霊魂とは、魂とは、そうした事を霊魂に教わらなければ、人間という存在の真の姿を知ることはできない。
ところが、人々はなかなかそうした主張に耳を貸さない。これでは、霊魂達のメッセージは価値を失う。
私はこれまで、出版したり、講演会を開いたり、と、自分にできる限りの活動をしてきた。
ただし、今、考えている。このままでよいのか、と。
霊魂達の言葉を受け入れてくれる人は非常に少ない。
また、新しく、霊的なトレーニングを行ないたい、という人がいても、現代では家族や友人などから、「宗教に走っては絶対に行けない」と言われて、辛い立場に立たされてしまう。
そのため、かつては起きなかった新しい悩みができてしまう。
そうなると、世の中には、どう見ても宗教の分類に入りそうなのに、わざわざ、『宗教とは関係ありません』という但し書きを付ける人達が現れる。
だが、それをストレートには批判できないくらいに、世の中の目は厳しいのである。
人々は、宗教に入ると悩みが増えてしまう。
これが現実なのである。
そうなると、真実に目覚めた人が不幸になってしまう。
そこで、私は霊魂に聞いたのである。
本を読んで霊魂とか仏とかの教えを信じているだけなら、わざわざ団体を作る必要もないかもしれない。
だが、それは、表面的な心の変化にすぎず、魂の本質の進歩にはあまり関係がない。
今、やらねばならない事は、もっと、霊的生命体としての本質に迫ることなのである。
人々に真に必要な実習をするためには、必然的に団体ができる。(団体を参照)
そうなると、世間から非難される。
このままでは、いずれ霊的な真実は地上では示せなくなってしまう。
現代の人達には、霊的な進歩は無理なのではないか、と。
ある霊魂が答えてくれた。
「地上の師よ、あなたのおっしゃる事はもっともです」
「ですが、地上の人間にはいかなる場合にも自由意思があります。これは、どんな霊魂といえども無視できません」
「幸福になる自由も不幸になる自由も、真実から遠ざかる自由も保障されているのです」
「そうであるからには、どんな手を打っても、やはり、最後は、本人達の自由な意思がそれを求めるか否か、に掛かってくるのです」
「歴史が教えています。人は霊的な達人をはりつけにしてさえ、その意味が分からないのです」
「地上にどんな達人が現れても、大勢の人達はやはりその意味が理解できないのです」
「私達はそうした辛い現実を踏まえて、それでもこれから真実を知ろうとする人達に期待しています」
「人間が霊魂である限り、中には必ず理解しうる人がいるのです」
「世間の目によって辛い思いをする修行者達も出ることでしょう」
「それに対して心を痛めるのは、師の心情としては当然のことだと思います」
「ですが、彼らの心の奥には霊的な光が染みています。彼らは霊的に特殊な修行を経て、霊的な部分に、真実を見抜く感性が一部目覚めているのです」
「ですから、本来なら、師が心配しなくても、何があっても自分に打ち勝てる霊力を秘めているのです」
「そして、それは、あなたが与えたのです」
「人類の歴史上、ついに誕生した高度な霊的技術です。彼らはその重みを表現できる力を持っているのです」
私はこう言った。
「弟子達は霊的な感性や力を内在させているが、表面の心がそれに伴っていない」
「何といっても、深い悩みがあって、それがきっかけで門に入った者も多い」
「そうなると、その事で頭がいっぱいで、それが解決してからやっと他の事にも気持ちが向いて来るようになる」
「その人達は、これからやっと始まる、と言っても過言ではない」
「ましてや、会員以外の一般の人達は最初の一歩さえ踏み出せないばかりか、霊的に悪い環境を作り出している」
現代は、霊的には暗闇のごとしなのである。
それでも、霊魂達は今、必死に動いている。私は少しでも多くの人達が、今、霊的生命体としての自分が何をすべきか、それを真剣に考えてくれることを願うのみである。
…、そして、神霊との契約について考えるのであった。
人が今しなければならないこと、それは、霊的な真実を知ろうとし、霊的なトレーニングに目覚めることである。
これは、私に関わった大勢の霊魂達の以前からの主張である。
だが、今、私は、それが困難なのではないか、と憂えている。
たとえば、ある国が侵略戦争を起こそうとしたとして、私に何ができるであろうか。
結局、新聞やテレビを見て戦争を批判するのみである。
一個人は結局、無力なのである。
やはり、国家には国家といった、同等の強い勢力でないと、戦争をやめさせることはできない。
つまり、一個人がデモをしても他国の戦争は終わらない。
それが力になるのは、大勢の人達がそれに賛同する場合だけなのである。
世界中の人達が侵略をやめさせるという強い意思をデモなどで示すことがあれば、現実も動くことがある。
しかし、それには、それが大勢の人達の共通の思いがなければならない。
大勢の人達が同じ考えを持っていれば、それが可能になるのである。
一方、霊魂の分野ではどうであろうか。
一個人が街角で霊的な進歩や霊的なトレーニングを叫んだら、人々は一緒にデモをしてくれるであろうか。
霊魂の実在を語り、その霊魂の中でも最も高級な意識体として神霊を位置付け、それを前提として霊的トレーニングを語る時、人々は新手の詐欺とか、気狂い集団とは見ずに、真面目に話を聞いてくれるのであろうか。
多数の人達は新しい「カルト宗教の宣伝」として嫌悪感を覚えるのではないだろうか。
霊魂が実在し、その霊魂達の意識に上下高低があるとすれば、ずっと上の方に位置する霊魂は、神とか神霊とか呼ぶべき存在である。
つまり、霊魂の世界が実在し、その霊魂達に上下があるとすれば、用語の定義に問題があるだけで、神霊と呼び得る存在は実在して当然なのであり、霊魂の実在を肯定するのであるならば、神霊を語るのは正常な理性にとって、合理的なことなのである。
しかし、それを主張すると、人々はそれを宗教と呼んで、軽蔑したり警戒したりする傾向にある。
これが、現代の日本の現実である。
こうした環境の中、高級な霊魂達は、人間が本来、地上で一体に何をすべきなのか、どう生きるべきなのか、そうした事を示し続けている。
霊的生命体として、死後もずっと生き続ける人間という存在は、物質だけの存在ではない。
そうであるからには、人間は死後どうなるのか、霊魂とは、魂とは、そうした事を霊魂に教わらなければ、人間という存在の真の姿を知ることはできない。
ところが、人々はなかなかそうした主張に耳を貸さない。これでは、霊魂達のメッセージは価値を失う。
私はこれまで、出版したり、講演会を開いたり、と、自分にできる限りの活動をしてきた。
ただし、今、考えている。このままでよいのか、と。
霊魂達の言葉を受け入れてくれる人は非常に少ない。
また、新しく、霊的なトレーニングを行ないたい、という人がいても、現代では家族や友人などから、「宗教に走っては絶対に行けない」と言われて、辛い立場に立たされてしまう。
そのため、かつては起きなかった新しい悩みができてしまう。
そうなると、世の中には、どう見ても宗教の分類に入りそうなのに、わざわざ、『宗教とは関係ありません』という但し書きを付ける人達が現れる。
だが、それをストレートには批判できないくらいに、世の中の目は厳しいのである。
人々は、宗教に入ると悩みが増えてしまう。
これが現実なのである。
そうなると、真実に目覚めた人が不幸になってしまう。
そこで、私は霊魂に聞いたのである。
本を読んで霊魂とか仏とかの教えを信じているだけなら、わざわざ団体を作る必要もないかもしれない。
だが、それは、表面的な心の変化にすぎず、魂の本質の進歩にはあまり関係がない。
今、やらねばならない事は、もっと、霊的生命体としての本質に迫ることなのである。
人々に真に必要な実習をするためには、必然的に団体ができる。(団体を参照)
そうなると、世間から非難される。
このままでは、いずれ霊的な真実は地上では示せなくなってしまう。
現代の人達には、霊的な進歩は無理なのではないか、と。
ある霊魂が答えてくれた。
「地上の師よ、あなたのおっしゃる事はもっともです」
「ですが、地上の人間にはいかなる場合にも自由意思があります。これは、どんな霊魂といえども無視できません」
「幸福になる自由も不幸になる自由も、真実から遠ざかる自由も保障されているのです」
「そうであるからには、どんな手を打っても、やはり、最後は、本人達の自由な意思がそれを求めるか否か、に掛かってくるのです」
「歴史が教えています。人は霊的な達人をはりつけにしてさえ、その意味が分からないのです」
「地上にどんな達人が現れても、大勢の人達はやはりその意味が理解できないのです」
「私達はそうした辛い現実を踏まえて、それでもこれから真実を知ろうとする人達に期待しています」
「人間が霊魂である限り、中には必ず理解しうる人がいるのです」
「世間の目によって辛い思いをする修行者達も出ることでしょう」
「それに対して心を痛めるのは、師の心情としては当然のことだと思います」
「ですが、彼らの心の奥には霊的な光が染みています。彼らは霊的に特殊な修行を経て、霊的な部分に、真実を見抜く感性が一部目覚めているのです」
「ですから、本来なら、師が心配しなくても、何があっても自分に打ち勝てる霊力を秘めているのです」
「そして、それは、あなたが与えたのです」
「人類の歴史上、ついに誕生した高度な霊的技術です。彼らはその重みを表現できる力を持っているのです」
私はこう言った。
「弟子達は霊的な感性や力を内在させているが、表面の心がそれに伴っていない」
「何といっても、深い悩みがあって、それがきっかけで門に入った者も多い」
「そうなると、その事で頭がいっぱいで、それが解決してからやっと他の事にも気持ちが向いて来るようになる」
「その人達は、これからやっと始まる、と言っても過言ではない」
「ましてや、会員以外の一般の人達は最初の一歩さえ踏み出せないばかりか、霊的に悪い環境を作り出している」
現代は、霊的には暗闇のごとしなのである。
それでも、霊魂達は今、必死に動いている。私は少しでも多くの人達が、今、霊的生命体としての自分が何をすべきか、それを真剣に考えてくれることを願うのみである。
…、そして、神霊との契約について考えるのであった。