みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.08
Q 心霊写真はトリックだという話をよく聞きますが。
A 多くの心霊写真はトリックだと思えます。人は普通にしてしると霊を見ることはありません。それは、霊が物質の世界のものではないからです。同じように、普通は霊的な世界のものが物質世界のカメラに写ることはありません。
したがって、トリックでなければ、光線が入ったといった物理的な現象であることが多いと思えます。
しかしながら、だからといって全て本物ではないとも言えません。
というのも、霊魂によっては、物質の世界のカメラに写るように細工をするといった、特殊な技術を行使する者もいるらしいからです。
また、霊魂が、心霊現象を研究する人達がエクトプラズムと呼ぶものを用いると、カメラに何かが写るということもあるようです。
したがいまして、数は少ないでしょうが、中には本物の心霊写真がありうるということです。
A 多くの心霊写真はトリックだと思えます。人は普通にしてしると霊を見ることはありません。それは、霊が物質の世界のものではないからです。同じように、普通は霊的な世界のものが物質世界のカメラに写ることはありません。
したがって、トリックでなければ、光線が入ったといった物理的な現象であることが多いと思えます。
しかしながら、だからといって全て本物ではないとも言えません。
というのも、霊魂によっては、物質の世界のカメラに写るように細工をするといった、特殊な技術を行使する者もいるらしいからです。
また、霊魂が、心霊現象を研究する人達がエクトプラズムと呼ぶものを用いると、カメラに何かが写るということもあるようです。
したがいまして、数は少ないでしょうが、中には本物の心霊写真がありうるということです。
2014.01.08
Q 幽霊の出る話は、調査すると嘘であることが多いようですが。
A 確かに嘘も多いと思います。また、錯覚も多いことでしょう。
でも、だからといって、全てが嘘や錯覚であるとは言えません。
例えば、誰かがどこかに知らない大陸があると主張したとします。それがその頃の人達にとって、いかにばかげたことであっても、絶対にないとは言えません。
そんな夢物語を信じた人が、いくら探しても見つからなかったとします。また、見つかったという人の話を後から第三者が検証すると、皆嘘であったとします。
しかし、それでも大陸の存在を信じて人生をかけて探求すれば、アメリカのように、まだ見ぬ大陸を発見する人もいるのです。
つまり、霊に関する話を後から学問的に検証すると、ほとんどが嘘や錯覚であったとしても、それで霊が存在しないとは言えないのです。
99%が偽りであっても、一つ本物があれば、霊は存在するのです。
ですから、大勢の人達の体験を検証して霊の非実在を証明するという場合は、世界中のあらゆる人の体験を正確に分析し、一つ残らず本当の体験はないと実証しなければ完全な否定は出来ないのです。
否、むしろ、過去に起こった事や未来に起こる事まで全て検証しないと完全な否定は出来ないのです。
霊の実在を科学的に立証する事は困難です。
しかし、否定する事も困難なのです。たった一つの事実があれば、それはあるのです。
A 確かに嘘も多いと思います。また、錯覚も多いことでしょう。
でも、だからといって、全てが嘘や錯覚であるとは言えません。
例えば、誰かがどこかに知らない大陸があると主張したとします。それがその頃の人達にとって、いかにばかげたことであっても、絶対にないとは言えません。
そんな夢物語を信じた人が、いくら探しても見つからなかったとします。また、見つかったという人の話を後から第三者が検証すると、皆嘘であったとします。
しかし、それでも大陸の存在を信じて人生をかけて探求すれば、アメリカのように、まだ見ぬ大陸を発見する人もいるのです。
つまり、霊に関する話を後から学問的に検証すると、ほとんどが嘘や錯覚であったとしても、それで霊が存在しないとは言えないのです。
99%が偽りであっても、一つ本物があれば、霊は存在するのです。
ですから、大勢の人達の体験を検証して霊の非実在を証明するという場合は、世界中のあらゆる人の体験を正確に分析し、一つ残らず本当の体験はないと実証しなければ完全な否定は出来ないのです。
否、むしろ、過去に起こった事や未来に起こる事まで全て検証しないと完全な否定は出来ないのです。
霊の実在を科学的に立証する事は困難です。
しかし、否定する事も困難なのです。たった一つの事実があれば、それはあるのです。
2014.01.08
時折、自分は心が弱くないから霊には絶対に憑かれない、という人がいます。
しかし、これは、実は間違っています。
つまり、霊に憑かれるのは心が弱いからなのではないからです。
もし、仮に心の弱い人が霊に憑かれるのであれば、落ち込んでいる人は霊に憑かれやすく、元気な人は霊に憑かれにくい事になります。
また、プロスポーツの選手などは根性があるので霊には憑かれない事になります。
ところが、現実はそうではありません。
精神力が強く弱音を吐かない人であっても霊は憑きますし、人生に疲れて何事も消極的に考える人であっても、霊が憑くとは限らないのです。
ある時、こんな事がありました。(PC版 霊をさぐるの管理人 と金さん)
(当事者が読むと困りますので設定を少し変えてお話します。)
私の友人が霊について知りたいというので、私はHPの管理者と打ち合わせをする席に、2人の友人を同席させました。
友人の紹介で、あるレストランで食事をしていた時の事です。友人の1人が監修者にこう聞きました。
「誰が霊に憑かれているか分かりますか?」
その時監修者はこう答えました。
「すぐ近くにそういう人がいますよ。もちろん、他人のプライバシーに踏み込む事は出来ませんけれども。」
「えっ。するとこのお店の中にもいるのですか。」
「もちろんです。」
店の中は心地よいBGMが流れていて隣の席の人の声でもほとんど聞こえません。それでも、こちらの会話は自然と小声になりました。
「誰ですか。」
友人がそう聞くと、監修者は何も言わずにそれとなくそちらを示しました。
もちろん、私達にしかわからないように、さりげなく指し示されたのです。
相手の人に気付かれると失礼だからです。その人は監修者からは前面、友人からは背面にいました。
後方に気付かれないように相手を確認した友人は、他の人達に分からないように話を進めました。
そして、こう言いました。
「霊というのは、自分の事を見抜かれても平気なのですか。」
監修者が答えました。
「いいえ、見抜かれたと分かれば慌てますよ。普通はそんな事はまずありませんからね。見抜かれたとなれば、よほどの大物だと考えて、すぐにでも逃げようとしますよ。」
友人は更に聞きました。
「では、こちらが見抜いたと知ったら、ここから消えますか。」
「多分ね。ただ、人間の中にしっかり入っていると、自分だけとはいかないでしょうけどね。」
「どうなるんですか。」
友人の問いに監修者は答えました。
「すぐに分かりますよ。」
それから10秒もたったでしょうか。その霊に憑かれた人は急に席を立ちました。
そして、トイレに行き、戻って来たかと思うと、そそくさと他の人を促し店を出てしまいました。
その人達にこちらの会話は聞こえているはずもなく、実際、その人達は1人もこちらを意識している様子がありませんでした。
何しろ、向こうもニコニコと会話をしていて、私から見ると帰る様子もなかったのですから。
友人が言いました。
「あの人はどうなるんですか。」
監修者が言いました。
「おそらく霊魂を信じていない人でしょう。それに、自分に自信がありそうなタイプに思えました。ああいう人は救いようがありません。自分に自信があると、霊なんているものか、そんなものいたとしても、俺には憑かない、そういう風に言う人が多いですからね。」
「では、不幸になるのでしょうか。」
監修者は答えました。
「絶対にとは言えません。でも、完全に入られていますから、たぶん霊魂の思うような人生になるでしょう。」
私たちはシーンとしてしました。
霊魂が入りやすいか否かは、心の強弱ではなく、「幽体」という、肉体とダブった身体や、幽体から発するオーラ、そういった霊的な要素を考えなければならないという事でした。
心は強くても弱くても、誰でも霊魂には憑かれ得るのでした。
しかし、これは、実は間違っています。
つまり、霊に憑かれるのは心が弱いからなのではないからです。
もし、仮に心の弱い人が霊に憑かれるのであれば、落ち込んでいる人は霊に憑かれやすく、元気な人は霊に憑かれにくい事になります。
また、プロスポーツの選手などは根性があるので霊には憑かれない事になります。
ところが、現実はそうではありません。
精神力が強く弱音を吐かない人であっても霊は憑きますし、人生に疲れて何事も消極的に考える人であっても、霊が憑くとは限らないのです。
ある時、こんな事がありました。(PC版 霊をさぐるの管理人 と金さん)
(当事者が読むと困りますので設定を少し変えてお話します。)
私の友人が霊について知りたいというので、私はHPの管理者と打ち合わせをする席に、2人の友人を同席させました。
友人の紹介で、あるレストランで食事をしていた時の事です。友人の1人が監修者にこう聞きました。
「誰が霊に憑かれているか分かりますか?」
その時監修者はこう答えました。
「すぐ近くにそういう人がいますよ。もちろん、他人のプライバシーに踏み込む事は出来ませんけれども。」
「えっ。するとこのお店の中にもいるのですか。」
「もちろんです。」
店の中は心地よいBGMが流れていて隣の席の人の声でもほとんど聞こえません。それでも、こちらの会話は自然と小声になりました。
「誰ですか。」
友人がそう聞くと、監修者は何も言わずにそれとなくそちらを示しました。
もちろん、私達にしかわからないように、さりげなく指し示されたのです。
相手の人に気付かれると失礼だからです。その人は監修者からは前面、友人からは背面にいました。
後方に気付かれないように相手を確認した友人は、他の人達に分からないように話を進めました。
そして、こう言いました。
「霊というのは、自分の事を見抜かれても平気なのですか。」
監修者が答えました。
「いいえ、見抜かれたと分かれば慌てますよ。普通はそんな事はまずありませんからね。見抜かれたとなれば、よほどの大物だと考えて、すぐにでも逃げようとしますよ。」
友人は更に聞きました。
「では、こちらが見抜いたと知ったら、ここから消えますか。」
「多分ね。ただ、人間の中にしっかり入っていると、自分だけとはいかないでしょうけどね。」
「どうなるんですか。」
友人の問いに監修者は答えました。
「すぐに分かりますよ。」
それから10秒もたったでしょうか。その霊に憑かれた人は急に席を立ちました。
そして、トイレに行き、戻って来たかと思うと、そそくさと他の人を促し店を出てしまいました。
その人達にこちらの会話は聞こえているはずもなく、実際、その人達は1人もこちらを意識している様子がありませんでした。
何しろ、向こうもニコニコと会話をしていて、私から見ると帰る様子もなかったのですから。
友人が言いました。
「あの人はどうなるんですか。」
監修者が言いました。
「おそらく霊魂を信じていない人でしょう。それに、自分に自信がありそうなタイプに思えました。ああいう人は救いようがありません。自分に自信があると、霊なんているものか、そんなものいたとしても、俺には憑かない、そういう風に言う人が多いですからね。」
「では、不幸になるのでしょうか。」
監修者は答えました。
「絶対にとは言えません。でも、完全に入られていますから、たぶん霊魂の思うような人生になるでしょう。」
私たちはシーンとしてしました。
霊魂が入りやすいか否かは、心の強弱ではなく、「幽体」という、肉体とダブった身体や、幽体から発するオーラ、そういった霊的な要素を考えなければならないという事でした。
心は強くても弱くても、誰でも霊魂には憑かれ得るのでした。
2014.01.08
霊魂を信じる人達の中には、心が清らかになれば、心の清らかな霊が来てくれて、汚ない心の人には悪い霊魂がやって来る、と言う人がよくいます。
また、悪い霊に憑かれる人は心を変えて、プラス思考にしたり、愛の心を持てば霊魂が出て行くので、大切な事は霊能力者に除霊してもらう事ではなく、心が転換する事だと考える人達がいます。
これは、なかなか説得力のある考え方です。
もちろん、心は綺麗で積極的であるにこした事はありませんし、幸せも寄って来やすいかもしれません。
ところが、そのことと霊魂の憑依とは特に関係はないのです。
心が綺麗でプラス思考の人であっても、またその逆の人であっても、悪い霊魂が肉体に入る事はありますし、心が変わったからといって、霊魂が出て行くとは限らないのも事実です。
つまり、霊魂から見た人間は、心がどうであろうとあまり関係がありません。
関係があるのは、たとえば、誰かを苛めてやろうと考えている霊魂から見て、自殺を考えている人は苛めやすいと思って寄って来たり、霊能力を持ちたいと考えている人には、持たせたいと考えている霊魂が寄って来たり、また、人を殺してみたいを考えている人には、手伝ってやろうか、というような霊魂が寄って来たりと、いわば意思が一致しているという意味で、人間に寄ってくる霊魂は多数います。
したがいまして、その人の心が綺麗でもそうでなくても、ほとんど関係がありません。
関係があるという場合は、宗教的な指導者になりたいという人に、それを指導したいという霊魂が来た場合とか、人を助けたいという気持ちがないと勤まらないという職業の人に、それを援助したいと願う霊魂がやって来た、といったような場合です。
こういった場合は、人間の心がどのような状態にあるかが大きな問題となります。
けれども、一般には心は特に関係がありません。
そのため、どんな人であっても、悪い霊魂は肉体に入ろうとしますし、心が変化しても霊魂は出て行かないのです。
心を重視する人達の大きな間違いは、人間と霊魂の波長が一致すると、その霊魂が寄って来ると考える点にあります。
この考えは日本の霊魂を認める宗教には数多くあります。
ところが、人間の波長なるものを、表面の心の質だと考えているために間違ってしまうのです。
霊魂に直接聞いてみますと、霊魂から見ると、よく見えるのは人間の幽体から発するオーラなのであって、肉の脳の感情や特徴は、あまり分からないのだそうです。
人間は霊的な生命体ですが、地上にいる間は肉体を使用して自己を表現しています。
そのために、肉体の脳に何らかの刺激を与えると、どんな人でもその刺激に応じた感情を発します。つまり、人間は肉体の脳を使用している間は肉体の作用によって生きているのです。
いくら、本当は肉体ではないのだと言ってみても、心というものはあくまでも肉的です。
その証拠に、たとえ、どんなに心の立派な人であっても、薬品を使えば、おとなしくなったり、幻覚を見たりします。
つまり、脳の物理的な作用次第で、性格も感情も意図的に変えられてしまうのです。
心は肉体の脳に縛られています。そのため、どんなに立派な心を持っているといっても、霊魂として長く生きている存在から見れば、しょせんは肉的なのです。
私達の肉体は心が綺麗な人でも、そうでない人でも、同じ仕組みで動いています。肉体の一部である脳も同じです。
霊魂が人間の肉体に入りやすい、あるいは入りにくいというのは、その人の幽体や幽体オーラ、又は間気、そして、肉体と幽体の接し方といった、人間の表面の心とはあまり関係ない要素が強く作用するのです。
霊魂から見ると、たとえば、自分が憑依している人間が薬品を飲んで一日中笑っていたからといって、それで出て行くものではありません。
仮に、いつも暗い、と言われている人が、笑い薬を飲んだからといって、霊魂が出て行くわけがないのです。
霊魂によると、足は足、首は首、頭は頭、感情も、怒りや笑い、涙などがいろいろと現れている、それが人間なのです。
別に、怒りが多かろうと、少なかろうと、肉体は、誰も、大きさや形しか違わないのです。
また、悪い霊に憑かれる人は心を変えて、プラス思考にしたり、愛の心を持てば霊魂が出て行くので、大切な事は霊能力者に除霊してもらう事ではなく、心が転換する事だと考える人達がいます。
これは、なかなか説得力のある考え方です。
もちろん、心は綺麗で積極的であるにこした事はありませんし、幸せも寄って来やすいかもしれません。
ところが、そのことと霊魂の憑依とは特に関係はないのです。
心が綺麗でプラス思考の人であっても、またその逆の人であっても、悪い霊魂が肉体に入る事はありますし、心が変わったからといって、霊魂が出て行くとは限らないのも事実です。
つまり、霊魂から見た人間は、心がどうであろうとあまり関係がありません。
関係があるのは、たとえば、誰かを苛めてやろうと考えている霊魂から見て、自殺を考えている人は苛めやすいと思って寄って来たり、霊能力を持ちたいと考えている人には、持たせたいと考えている霊魂が寄って来たり、また、人を殺してみたいを考えている人には、手伝ってやろうか、というような霊魂が寄って来たりと、いわば意思が一致しているという意味で、人間に寄ってくる霊魂は多数います。
したがいまして、その人の心が綺麗でもそうでなくても、ほとんど関係がありません。
関係があるという場合は、宗教的な指導者になりたいという人に、それを指導したいという霊魂が来た場合とか、人を助けたいという気持ちがないと勤まらないという職業の人に、それを援助したいと願う霊魂がやって来た、といったような場合です。
こういった場合は、人間の心がどのような状態にあるかが大きな問題となります。
けれども、一般には心は特に関係がありません。
そのため、どんな人であっても、悪い霊魂は肉体に入ろうとしますし、心が変化しても霊魂は出て行かないのです。
心を重視する人達の大きな間違いは、人間と霊魂の波長が一致すると、その霊魂が寄って来ると考える点にあります。
この考えは日本の霊魂を認める宗教には数多くあります。
ところが、人間の波長なるものを、表面の心の質だと考えているために間違ってしまうのです。
霊魂に直接聞いてみますと、霊魂から見ると、よく見えるのは人間の幽体から発するオーラなのであって、肉の脳の感情や特徴は、あまり分からないのだそうです。
人間は霊的な生命体ですが、地上にいる間は肉体を使用して自己を表現しています。
そのために、肉体の脳に何らかの刺激を与えると、どんな人でもその刺激に応じた感情を発します。つまり、人間は肉体の脳を使用している間は肉体の作用によって生きているのです。
いくら、本当は肉体ではないのだと言ってみても、心というものはあくまでも肉的です。
その証拠に、たとえ、どんなに心の立派な人であっても、薬品を使えば、おとなしくなったり、幻覚を見たりします。
つまり、脳の物理的な作用次第で、性格も感情も意図的に変えられてしまうのです。
心は肉体の脳に縛られています。そのため、どんなに立派な心を持っているといっても、霊魂として長く生きている存在から見れば、しょせんは肉的なのです。
私達の肉体は心が綺麗な人でも、そうでない人でも、同じ仕組みで動いています。肉体の一部である脳も同じです。
霊魂が人間の肉体に入りやすい、あるいは入りにくいというのは、その人の幽体や幽体オーラ、又は間気、そして、肉体と幽体の接し方といった、人間の表面の心とはあまり関係ない要素が強く作用するのです。
霊魂から見ると、たとえば、自分が憑依している人間が薬品を飲んで一日中笑っていたからといって、それで出て行くものではありません。
仮に、いつも暗い、と言われている人が、笑い薬を飲んだからといって、霊魂が出て行くわけがないのです。
霊魂によると、足は足、首は首、頭は頭、感情も、怒りや笑い、涙などがいろいろと現れている、それが人間なのです。
別に、怒りが多かろうと、少なかろうと、肉体は、誰も、大きさや形しか違わないのです。
2014.01.08
Q 「霊障(れいしょう)」ということを聞きますが、どんな事なのでしょうか。
A 「霊に憑かれた」とか、「誰かに呪われている」とかいったような事、つまり、何らかの霊的な原因によって障害を受ける事を「霊障」と言います。
世間では、先祖の供養が足りないから災いが起きているとか、墓が良くないから悪い事が起きたとか、水子がいるから不幸になった、とかいった事をよく「霊障」と言っているようです。
Q それは霊能力者が見ればわかるのですか。
A 分かる人には分かります。そうでない人には分かりません。
Q では本当にあるのですか。
A もちろんです。
おどかすわけではありませんが、実はかなりの件数が確認できます。
みんなそれに気付くことが出来ないだけです。他にも人の念によって障害を受ける事があります。
ただし、霊能力者に水子の祟りだと言われても、それが本当だとは限りません。
実際、水子の祟りと言えるようなケースは大変少ないようです。
Q では、正確な分析が必要なのですね。
A そういうことです。
Q もしも、正確に分析したとすると、何割くらいの人に霊障がありますか。
A それは、実際に統計を取らないと分かりません。
ですが、二十歳以上の人になると、大多数の人は、それまでの人生で、大なり小なり、人の念に影響されたり、悪い霊魂に寄られたりした事があるようです。
日常的にちょっと気分がすぐれないとか、頭が重いとか、そういった時にでも、霊魂が影響している事もあるようです。
Q 分かりました。
A 「霊に憑かれた」とか、「誰かに呪われている」とかいったような事、つまり、何らかの霊的な原因によって障害を受ける事を「霊障」と言います。
世間では、先祖の供養が足りないから災いが起きているとか、墓が良くないから悪い事が起きたとか、水子がいるから不幸になった、とかいった事をよく「霊障」と言っているようです。
Q それは霊能力者が見ればわかるのですか。
A 分かる人には分かります。そうでない人には分かりません。
Q では本当にあるのですか。
A もちろんです。
おどかすわけではありませんが、実はかなりの件数が確認できます。
みんなそれに気付くことが出来ないだけです。他にも人の念によって障害を受ける事があります。
ただし、霊能力者に水子の祟りだと言われても、それが本当だとは限りません。
実際、水子の祟りと言えるようなケースは大変少ないようです。
Q では、正確な分析が必要なのですね。
A そういうことです。
Q もしも、正確に分析したとすると、何割くらいの人に霊障がありますか。
A それは、実際に統計を取らないと分かりません。
ですが、二十歳以上の人になると、大多数の人は、それまでの人生で、大なり小なり、人の念に影響されたり、悪い霊魂に寄られたりした事があるようです。
日常的にちょっと気分がすぐれないとか、頭が重いとか、そういった時にでも、霊魂が影響している事もあるようです。
Q 分かりました。