みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.12
宗教団体には大勢の霊魂が関与しています。それは、霊的には当然のことと言えます。
霊的な見地から見ると、どんな人にもほとんど、「守護霊」という高級霊魂が担当しています。他にも「指導霊」と呼ぶ霊魂がいます。
その上、人によっては、悪い意味で近寄って来る霊魂までいるのです。
それを考えると、人が大勢集まる組織、団体に霊魂が集まらないはずがありません。
その上、宗教は霊魂の実在を説いている場合が多いのですから、当たり前のことと言わねばなりません。
こうした多数の霊魂が集まっている宗教団体には、様々な性質の霊魂が集まってきます。
その場合、真面目な霊魂ばかりなら良いのですが、現実にはそうでもないようで、むしろ、不真面目な霊魂が大勢集まっていたりもするようです。
そのためか、宗教団体によっては、各人を担当している守護霊や指導霊が嫌がる団体もあるそうです。
こうした団体に入ると、その人の守護霊との霊的な距離は遠ざかってしまいます。
これは、良い事ではありません。
守護霊は、人が地上に生まれて、何をするべきか、どう生きるべきか、そうした事を考えて、より正しい人生を送れるようにと願っている霊魂です。
それなのに、その守護霊と縁が遠くなってしまうと、その人は霊的な意味での正しい人生から離れてしまうのです。
仮に物質的に恵まれる事はあっても、過去世から持ってきた宿題をやらずに人生を終えたような結果となってしまい、結局、他界後は不幸になる事が多いのです。
つまり、宗教団体の説く教えが真面目であっても、霊的に正しいとは限らないのです。
たとえば、ある宗教団体が、人生における倫理的、道徳的な教えを聖典として、真面目に生きる事を教えていたとします。
その教えを実践していればそんなに悪い事は起こらないはず、と信者は考えています。
当然、死後は上の世界へ行けるものと信じていることでしょう。
ところが、現実はそうでもないのです。
教えがどんなに立派でも、その宗教団体に邪悪な霊魂ばかりが働いていれば、信者達のそれぞれの守護霊はだんだん信者達の側に寄りづらくなってしまい、そのうち、無関係のような遠い存在になってしまうのです。
そうなると、宗教団体で働く悪い霊魂の影響力が強くなってしまいます。
そのため、心の奥にある怒りや恐怖、恨みや悲しみ、そういった心理に影響を与え、人間関係を悪くさせたり、会社でトラブルを起こさせたりして、信者の人生を不幸にしてしまったり、あるいは、常に側にいて、悪影響を与え、幽体を不調にしたりしてしまうのです。
その結果、高級な霊魂からの力を受ける事が出来なくなり、他界後も上の世界へは行けなくなってしまうのです。
したがって、どんなに立派な教えを受けていたとしても、宗教団体にいる霊魂が悪い霊魂ばかりですと、結局、霊的に正しい人生にはならないのです。
もしも、誰かが世界中の宗教聖典の良いところだけを集めて編集し、最高の宗教教義を作ったとしても、そこに働く霊魂の質が悪ければ、当然のことながら、霊的に正しい宗教にはなりえないのです。
霊魂学では、良い宗教とは、教えの高度さよりもむしろ、そこに関与する霊魂の高貴さである、と考えているのです。
霊的な見地から見ると、どんな人にもほとんど、「守護霊」という高級霊魂が担当しています。他にも「指導霊」と呼ぶ霊魂がいます。
その上、人によっては、悪い意味で近寄って来る霊魂までいるのです。
それを考えると、人が大勢集まる組織、団体に霊魂が集まらないはずがありません。
その上、宗教は霊魂の実在を説いている場合が多いのですから、当たり前のことと言わねばなりません。
こうした多数の霊魂が集まっている宗教団体には、様々な性質の霊魂が集まってきます。
その場合、真面目な霊魂ばかりなら良いのですが、現実にはそうでもないようで、むしろ、不真面目な霊魂が大勢集まっていたりもするようです。
そのためか、宗教団体によっては、各人を担当している守護霊や指導霊が嫌がる団体もあるそうです。
こうした団体に入ると、その人の守護霊との霊的な距離は遠ざかってしまいます。
これは、良い事ではありません。
守護霊は、人が地上に生まれて、何をするべきか、どう生きるべきか、そうした事を考えて、より正しい人生を送れるようにと願っている霊魂です。
それなのに、その守護霊と縁が遠くなってしまうと、その人は霊的な意味での正しい人生から離れてしまうのです。
仮に物質的に恵まれる事はあっても、過去世から持ってきた宿題をやらずに人生を終えたような結果となってしまい、結局、他界後は不幸になる事が多いのです。
つまり、宗教団体の説く教えが真面目であっても、霊的に正しいとは限らないのです。
たとえば、ある宗教団体が、人生における倫理的、道徳的な教えを聖典として、真面目に生きる事を教えていたとします。
その教えを実践していればそんなに悪い事は起こらないはず、と信者は考えています。
当然、死後は上の世界へ行けるものと信じていることでしょう。
ところが、現実はそうでもないのです。
教えがどんなに立派でも、その宗教団体に邪悪な霊魂ばかりが働いていれば、信者達のそれぞれの守護霊はだんだん信者達の側に寄りづらくなってしまい、そのうち、無関係のような遠い存在になってしまうのです。
そうなると、宗教団体で働く悪い霊魂の影響力が強くなってしまいます。
そのため、心の奥にある怒りや恐怖、恨みや悲しみ、そういった心理に影響を与え、人間関係を悪くさせたり、会社でトラブルを起こさせたりして、信者の人生を不幸にしてしまったり、あるいは、常に側にいて、悪影響を与え、幽体を不調にしたりしてしまうのです。
その結果、高級な霊魂からの力を受ける事が出来なくなり、他界後も上の世界へは行けなくなってしまうのです。
したがって、どんなに立派な教えを受けていたとしても、宗教団体にいる霊魂が悪い霊魂ばかりですと、結局、霊的に正しい人生にはならないのです。
もしも、誰かが世界中の宗教聖典の良いところだけを集めて編集し、最高の宗教教義を作ったとしても、そこに働く霊魂の質が悪ければ、当然のことながら、霊的に正しい宗教にはなりえないのです。
霊魂学では、良い宗教とは、教えの高度さよりもむしろ、そこに関与する霊魂の高貴さである、と考えているのです。
2014.01.12
世間では邪教と言うと、いくつかの宗教団体が有名です。
刑事事件を起こしたりして世間を騒がせている宗教団体の事です。
これらは実際、組織的に犯罪行為を起しているようなので、邪教と呼ばれても反論が難しいことでしょう。
ところが、世の中ではそれ以上に、他の多くの宗教団体を邪教と言っているそうです。
世間からカルトと呼ばれている宗教は、どうもこの邪教と同一の見方をされているようです。
人々の邪教の定義はいろいろでしょう。
しかし、それはあくまでも人間の側からの見方と言えます。社会と呼ばれる大勢の人達の一般的な見方と言えましょう。
宗教団体も国家の法律の中で存在していますから、法律に反する行為はできません。
それに反すれば、当然、邪教と言われます。
ただ、高級霊魂の側から見ると、どうなのでしょう。
彼らは物質の社会には生きていません。そうなると、少し違った考えを持っているのではないでしょうか。
当HP(PC版 霊をさぐる)の監修者(水波一郎師)が、それをある霊魂に聞いてくれました。霊魂はこう答えてくれたそうです。
「地上に悪い宗教団体は数多い。地上の法律による宗教が何を意味するのか、団体とは何か、そうした事は良く知らないが、我々の感覚から見れば、最も邪悪な組織は、邪悪な霊魂の集団に利用されている団体である」
「それも、大邪霊と言えるような大物の支配下に入っている団体である」
「それは、幾つかある……。それは別に宗教団体とは限らない。」
そして霊魂は更に言いました。
「サリン事件を起こした教団も、詐欺事件を起こした教団も、今ではそれほどの大物霊魂は動いていない。今でも確かに未熟で意識の低い霊魂達が関わってはいる」
「だが、犯罪が露見するような団体は、邪悪な霊魂達にとっては、将来的にはそれほどの利用価値はない」
との事でした。
つまり、真に邪悪な霊魂集団は、自分達の対抗勢力としての高級霊魂を活動しにくくしたいらしく、本物の高級霊魂が働く場を地上に作らせない、という活動しています。
そうなると、大物の邪霊は、その活動によって高級霊魂が活動できなくなるような団体、組織、個人に強く働きかけるようなのでした。
真の邪教は霊的真実を世に出す事を妨害する宗教団体であり、邪悪な組織とは、同様の趣旨を持つ宗教以外の集団のようでした。
人々の法律とは別に、霊魂としての長い歴史を生き続ける人間にとっての真の敵、それは意外にも人々の支持を集めているような善なる集団や個人かもしれないのでした。
霊魂を信じる人達の活動を攻撃する一般の人の背後にも、邪悪な霊魂の手が伸びているかもしれないのです。
人がなんと言おうと事実は動かないのです。
刑事事件を起こしたりして世間を騒がせている宗教団体の事です。
これらは実際、組織的に犯罪行為を起しているようなので、邪教と呼ばれても反論が難しいことでしょう。
ところが、世の中ではそれ以上に、他の多くの宗教団体を邪教と言っているそうです。
世間からカルトと呼ばれている宗教は、どうもこの邪教と同一の見方をされているようです。
人々の邪教の定義はいろいろでしょう。
しかし、それはあくまでも人間の側からの見方と言えます。社会と呼ばれる大勢の人達の一般的な見方と言えましょう。
宗教団体も国家の法律の中で存在していますから、法律に反する行為はできません。
それに反すれば、当然、邪教と言われます。
ただ、高級霊魂の側から見ると、どうなのでしょう。
彼らは物質の社会には生きていません。そうなると、少し違った考えを持っているのではないでしょうか。
当HP(PC版 霊をさぐる)の監修者(水波一郎師)が、それをある霊魂に聞いてくれました。霊魂はこう答えてくれたそうです。
「地上に悪い宗教団体は数多い。地上の法律による宗教が何を意味するのか、団体とは何か、そうした事は良く知らないが、我々の感覚から見れば、最も邪悪な組織は、邪悪な霊魂の集団に利用されている団体である」
「それも、大邪霊と言えるような大物の支配下に入っている団体である」
「それは、幾つかある……。それは別に宗教団体とは限らない。」
そして霊魂は更に言いました。
「サリン事件を起こした教団も、詐欺事件を起こした教団も、今ではそれほどの大物霊魂は動いていない。今でも確かに未熟で意識の低い霊魂達が関わってはいる」
「だが、犯罪が露見するような団体は、邪悪な霊魂達にとっては、将来的にはそれほどの利用価値はない」
との事でした。
つまり、真に邪悪な霊魂集団は、自分達の対抗勢力としての高級霊魂を活動しにくくしたいらしく、本物の高級霊魂が働く場を地上に作らせない、という活動しています。
そうなると、大物の邪霊は、その活動によって高級霊魂が活動できなくなるような団体、組織、個人に強く働きかけるようなのでした。
真の邪教は霊的真実を世に出す事を妨害する宗教団体であり、邪悪な組織とは、同様の趣旨を持つ宗教以外の集団のようでした。
人々の法律とは別に、霊魂としての長い歴史を生き続ける人間にとっての真の敵、それは意外にも人々の支持を集めているような善なる集団や個人かもしれないのでした。
霊魂を信じる人達の活動を攻撃する一般の人の背後にも、邪悪な霊魂の手が伸びているかもしれないのです。
人がなんと言おうと事実は動かないのです。
2014.01.12
Q 救世主を名乗る宗教家が何人もいます。彼らは全て単なる金儲けなのですか。
A 結果としては、そう言われても仕方がないと思えます。
ですが、何も最初からそうであったとは限りません。中には、最初は真剣だった人もいると思えます。
具体的な個人名は出しませんが、どうみてもただの詐欺師だという方もいらっしゃいます。
ですが、全員そうとは限りません。
なぜかと言いますと、宗教の世界は大変難しく、道を極めようとする過程で、無数の落とし穴があるのです。
宗教に入る信者の方々が、全員悪い人だと思う方はいらっしゃらないと思います。
騙されて哀れな人ではあっても、自ら人を騙す人ばかりのはずがありません。
つまり、今、救世主を名乗って、詐欺師だとか偽物だとか言われている人でも、以前は、信仰者して、真剣に神仏を拝んでいた方もいらっしゃると思うのです。
信仰を極めていく過程で、いつの間にか錯覚してしまったのです。
たとえば、霊の声が聞こえたとします。
そうした場合、その霊はいろいろな事を要求してきます。
その霊が正しい霊だと考えていると、そのうち、訳が分からなくなってしまう程に頭が混乱したり、お前は世界を救うべきだ、などと持ち上げたりしてくるのです。
つまり、人間の側はただ、霊の言葉を信じているだけでも、気が付いた時には、逆戻りできない世界に踏み込んでしまっていることもあるのです。
ですから、単なる詐欺師も確かにいるでしょうが、実際には霊という存在の事を良く知らなかったばかりに、道を間違えたという人も多いのではないかと推測しています。
宗教の思想には大変詳しい人であっても、霊の事を知らなければ、宗教家としては落とし穴に落ちる確率が非常に高いのです。
A 結果としては、そう言われても仕方がないと思えます。
ですが、何も最初からそうであったとは限りません。中には、最初は真剣だった人もいると思えます。
具体的な個人名は出しませんが、どうみてもただの詐欺師だという方もいらっしゃいます。
ですが、全員そうとは限りません。
なぜかと言いますと、宗教の世界は大変難しく、道を極めようとする過程で、無数の落とし穴があるのです。
宗教に入る信者の方々が、全員悪い人だと思う方はいらっしゃらないと思います。
騙されて哀れな人ではあっても、自ら人を騙す人ばかりのはずがありません。
つまり、今、救世主を名乗って、詐欺師だとか偽物だとか言われている人でも、以前は、信仰者して、真剣に神仏を拝んでいた方もいらっしゃると思うのです。
信仰を極めていく過程で、いつの間にか錯覚してしまったのです。
たとえば、霊の声が聞こえたとします。
そうした場合、その霊はいろいろな事を要求してきます。
その霊が正しい霊だと考えていると、そのうち、訳が分からなくなってしまう程に頭が混乱したり、お前は世界を救うべきだ、などと持ち上げたりしてくるのです。
つまり、人間の側はただ、霊の言葉を信じているだけでも、気が付いた時には、逆戻りできない世界に踏み込んでしまっていることもあるのです。
ですから、単なる詐欺師も確かにいるでしょうが、実際には霊という存在の事を良く知らなかったばかりに、道を間違えたという人も多いのではないかと推測しています。
宗教の思想には大変詳しい人であっても、霊の事を知らなければ、宗教家としては落とし穴に落ちる確率が非常に高いのです。
2014.01.12
Q 宗教はない方が良い、と言う人がいます。霊的にはそれで良いのでしょうか。
A もちろん、あった方が良いと言えます。
仮に死後の世界がなく、霊魂が存在しないのなら、宗教はなくても良いでしょう。
ですが、もしも死後の世界が実在するという場合は、どうしても必要なのです。
ここでは、死後の世界が実在するとして話を進めます。
霊魂には善い霊魂も悪い霊魂もいます。これは、地上の人間でもいろいろな人がいるのですから、当然のことでしょう。
悪い霊魂は地上の人間に悪ふざけをするかもしれません。また、不幸にしようと画策するかもしれません。
一方、善い霊魂はそれを阻止しようと活躍してくださるかもしれません。
ところが、霊魂というものは人の目には見えません。
そのために、人は悪い霊魂のために、どんなに不幸になっている人がいたとしても、それを知ることができません。
また、知ったとしても、普通の人ではどうすることもできません。
せいぜい、善い霊魂に助けを願うくらいの事しかできません。
ところが、その善い霊魂も人間の側の自由意思を無視できません。
人間が嫌がるのに、強引に近付くことはできないのです。
そうなりますと、呼ばれもしないのに、手助けすることはできないらしいのです。
そこで、高級霊魂は考えました。
誰か、特別に高級霊魂の考えを感知しやすい人を探して、その人を中心にして悪い霊魂から身を守ったり、霊的に正しい人生について語ったりしてはどうか、という事を。
高級霊魂は昔から人間と関わってきました。
原始的な社会においては、魔術的な儀式を中心に神懸かりの人を通じて、人々に伝言を与えようと試みてきたのです。
時代が進むと、倫理的な必要性もあり、特定の人物に霊感を与え、伝言を伝えたらしいのです。
更に時代が進み現代になると、宗教は忌み嫌われ、まるで洗脳や単なる金儲け、あるいは、変人の集まりのようにすら思われるようになりました。
こうなると、高級霊魂達は良い手がなかなかありません。
単なる宗教的、霊的思想をいくら伝達したとしても、それが人々の理解力を越えていては、世間に広まることはありません。
さりとて、一般の人々が理解し得る程度なら、これまでにも立派な宗教思想や神秘思想、心霊思想が数多くあります。
それらが、実際に悪い霊魂に対して強い力を持っていれば、それでも良いのでしょう。
ところが、現実は甘くありません。
偽物とか邪教と呼ばれる宗教思想は、これまで立派な思想とされた考え方を取り入れ、思想だけなら一般の人にはどちらが正しいのか見分けがつかないほど高度になっているのです。
そうした事もあるのか、世間やマスコミも思想の高低にはあまり触れず、その活動の正邪にばかり注目しているように思えます。
一般の人達の目も難しいことはわからないので、新しい宗教ができても、その思想にはあまり注目せず、活動に注目します。
そうなると、いつ迷惑な活動をするのか分からない、とばかりに警戒することになります。
つまり、現代は宗教的、神秘学的に高度な思想は多数あり、邪悪な集団であっても、思想は高度なので、専門的に勉強した人でないとその区別はなかなかつきません。
そのため、高級霊魂が特定の誰かにメッセージを送っても、それが単なる思想であると、あまり役に立たないのです。
人々に理解できるレベルの思想では、偽物と区別が付きにくいのです。
何といっても、愛や平和は邪教ほど熱心に説いているのが現実なのです。
やはり、大切なのは、単なる思想や教えではなく、悪い霊魂に対抗できる技法であり、霊的に進歩できる技法なのです。
そうした技法を指導するためには、どうしても団体(参考: 「団体I」 「団体II」)が必要です。
それを地上の人間社会が宗教だと言うのであれば、宗教は必要不可欠なのです。
A もちろん、あった方が良いと言えます。
仮に死後の世界がなく、霊魂が存在しないのなら、宗教はなくても良いでしょう。
ですが、もしも死後の世界が実在するという場合は、どうしても必要なのです。
ここでは、死後の世界が実在するとして話を進めます。
霊魂には善い霊魂も悪い霊魂もいます。これは、地上の人間でもいろいろな人がいるのですから、当然のことでしょう。
悪い霊魂は地上の人間に悪ふざけをするかもしれません。また、不幸にしようと画策するかもしれません。
一方、善い霊魂はそれを阻止しようと活躍してくださるかもしれません。
ところが、霊魂というものは人の目には見えません。
そのために、人は悪い霊魂のために、どんなに不幸になっている人がいたとしても、それを知ることができません。
また、知ったとしても、普通の人ではどうすることもできません。
せいぜい、善い霊魂に助けを願うくらいの事しかできません。
ところが、その善い霊魂も人間の側の自由意思を無視できません。
人間が嫌がるのに、強引に近付くことはできないのです。
そうなりますと、呼ばれもしないのに、手助けすることはできないらしいのです。
そこで、高級霊魂は考えました。
誰か、特別に高級霊魂の考えを感知しやすい人を探して、その人を中心にして悪い霊魂から身を守ったり、霊的に正しい人生について語ったりしてはどうか、という事を。
高級霊魂は昔から人間と関わってきました。
原始的な社会においては、魔術的な儀式を中心に神懸かりの人を通じて、人々に伝言を与えようと試みてきたのです。
時代が進むと、倫理的な必要性もあり、特定の人物に霊感を与え、伝言を伝えたらしいのです。
更に時代が進み現代になると、宗教は忌み嫌われ、まるで洗脳や単なる金儲け、あるいは、変人の集まりのようにすら思われるようになりました。
こうなると、高級霊魂達は良い手がなかなかありません。
単なる宗教的、霊的思想をいくら伝達したとしても、それが人々の理解力を越えていては、世間に広まることはありません。
さりとて、一般の人々が理解し得る程度なら、これまでにも立派な宗教思想や神秘思想、心霊思想が数多くあります。
それらが、実際に悪い霊魂に対して強い力を持っていれば、それでも良いのでしょう。
ところが、現実は甘くありません。
偽物とか邪教と呼ばれる宗教思想は、これまで立派な思想とされた考え方を取り入れ、思想だけなら一般の人にはどちらが正しいのか見分けがつかないほど高度になっているのです。
そうした事もあるのか、世間やマスコミも思想の高低にはあまり触れず、その活動の正邪にばかり注目しているように思えます。
一般の人達の目も難しいことはわからないので、新しい宗教ができても、その思想にはあまり注目せず、活動に注目します。
そうなると、いつ迷惑な活動をするのか分からない、とばかりに警戒することになります。
つまり、現代は宗教的、神秘学的に高度な思想は多数あり、邪悪な集団であっても、思想は高度なので、専門的に勉強した人でないとその区別はなかなかつきません。
そのため、高級霊魂が特定の誰かにメッセージを送っても、それが単なる思想であると、あまり役に立たないのです。
人々に理解できるレベルの思想では、偽物と区別が付きにくいのです。
何といっても、愛や平和は邪教ほど熱心に説いているのが現実なのです。
やはり、大切なのは、単なる思想や教えではなく、悪い霊魂に対抗できる技法であり、霊的に進歩できる技法なのです。
そうした技法を指導するためには、どうしても団体(参考: 「団体I」 「団体II」)が必要です。
それを地上の人間社会が宗教だと言うのであれば、宗教は必要不可欠なのです。
2014.01.13
Q 先祖の供養をきちんとしないと不幸になるといわれますが、本当ですか。
A 本当です。
実際、先祖の霊を無視したために不幸になったと推定されるケースはあるようです。
ですが、それは先祖供養が大切だからではありません。
霊魂の世界では、皆それぞれに生活があり、地上の子孫の供養とは無関係に暮らしています。
つまり、地上の人の一人一人の供養の思いをその都度、感知していたのでは、有名人などは気が狂ってしまいます。
たとえば、他の霊魂と会話している時に、別の世界である地上の人達の供養の念やお経が耳に届くことはありません。
ましてや、下の世界に落ちて、邪悪な霊魂に支配されてしまった方に、仮に地上から念が届いたとしてもどうなるものでもありません。
また、霊魂も自由なので、仮にお経が聞こえて来たとしても無視すればそれで終わりです。
そのために、地上で行なう先祖供養はあまり意味がありません。
ましてや、49日間は家にとどまるというような説は、霊的には根拠がありません。
ところが、それでも現実には先祖供養による霊的障害が起き得るのです。
たとえば、仏教を信じていて先祖の供養を重要だと考えていた人がいたとします。
こうした人が死んでから、何らかの機会に地上を訪れて自分の供養が成されていない事を知ると、先祖であるにもかかわらず、子孫に霊的な障害を起こさせる事があります。
つまり、自分の事を大切に思っていないとか、子孫としての勤めを怠っているとかいった考えが、結果として霊的な障害を引き起こす事があるのです。
ですから、死んでいく人が全員子孫に先祖供養を求めなければ、先祖供養はしなくても霊的な悪い現象は起きないのです。
もっとも、中には例外もあります。
先祖の霊魂が供養を求めていなくても、地上にいる悪い霊魂が、さも先祖供養をしないからだ、とばかりに霊的な障害を引き起こす事があるのです。
これは、子孫が誰かから先祖供養を勧められてもしなかった時などに、それを利用して霊魂が暗躍し、その後、勧めた人が所属している宗教団体に足を向けさせるためとか、仏壇の前に座らせて霊魂が憑依しやすくしたい、とか、そういった良からぬ考えを持つ霊魂が行ないます。
したがいまして、先祖供養は、先祖に対する親愛の情、という面からはあっても良いのですが、その事によって子孫が幸福になれる、といった意味で行なう事は間違いだと思えます。
ですから、霊的には本来は不要なのですが、現実的には各家庭の実情に合わせて必要であったりもします。
また、死後、不幸になったかもしれない先祖の霊魂を救うと言うのならば、お経をあげても意味はありません。
救いたい霊魂の一人一人を呼び出して霊的な気を与えるといった霊術が必要になります。
しかし、それは特定の霊魂を、広い広い霊魂の世界から探し出して連れて来なければならず、歴史的な達人が指示するような儀式でなければ無理と言えます。
A 本当です。
実際、先祖の霊を無視したために不幸になったと推定されるケースはあるようです。
ですが、それは先祖供養が大切だからではありません。
霊魂の世界では、皆それぞれに生活があり、地上の子孫の供養とは無関係に暮らしています。
つまり、地上の人の一人一人の供養の思いをその都度、感知していたのでは、有名人などは気が狂ってしまいます。
たとえば、他の霊魂と会話している時に、別の世界である地上の人達の供養の念やお経が耳に届くことはありません。
ましてや、下の世界に落ちて、邪悪な霊魂に支配されてしまった方に、仮に地上から念が届いたとしてもどうなるものでもありません。
また、霊魂も自由なので、仮にお経が聞こえて来たとしても無視すればそれで終わりです。
そのために、地上で行なう先祖供養はあまり意味がありません。
ましてや、49日間は家にとどまるというような説は、霊的には根拠がありません。
ところが、それでも現実には先祖供養による霊的障害が起き得るのです。
たとえば、仏教を信じていて先祖の供養を重要だと考えていた人がいたとします。
こうした人が死んでから、何らかの機会に地上を訪れて自分の供養が成されていない事を知ると、先祖であるにもかかわらず、子孫に霊的な障害を起こさせる事があります。
つまり、自分の事を大切に思っていないとか、子孫としての勤めを怠っているとかいった考えが、結果として霊的な障害を引き起こす事があるのです。
ですから、死んでいく人が全員子孫に先祖供養を求めなければ、先祖供養はしなくても霊的な悪い現象は起きないのです。
もっとも、中には例外もあります。
先祖の霊魂が供養を求めていなくても、地上にいる悪い霊魂が、さも先祖供養をしないからだ、とばかりに霊的な障害を引き起こす事があるのです。
これは、子孫が誰かから先祖供養を勧められてもしなかった時などに、それを利用して霊魂が暗躍し、その後、勧めた人が所属している宗教団体に足を向けさせるためとか、仏壇の前に座らせて霊魂が憑依しやすくしたい、とか、そういった良からぬ考えを持つ霊魂が行ないます。
したがいまして、先祖供養は、先祖に対する親愛の情、という面からはあっても良いのですが、その事によって子孫が幸福になれる、といった意味で行なう事は間違いだと思えます。
ですから、霊的には本来は不要なのですが、現実的には各家庭の実情に合わせて必要であったりもします。
また、死後、不幸になったかもしれない先祖の霊魂を救うと言うのならば、お経をあげても意味はありません。
救いたい霊魂の一人一人を呼び出して霊的な気を与えるといった霊術が必要になります。
しかし、それは特定の霊魂を、広い広い霊魂の世界から探し出して連れて来なければならず、歴史的な達人が指示するような儀式でなければ無理と言えます。