みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.14
Q 幽体の成長はどうして必要なのですか?
A 幽体というのは、肉体とダブっている霊的な身体のことです。
幽体は、肉体が死ぬと、次の世界へ行くことになります。
その時、幽体は、新しい身体として、肉体のような役割をします。
この幽体が健全でないと、上の世界の環境には適応しにくいために、下の方の辛い世界にしか入れないことがあるのです。
つまり、幽体の好、不調は、死後の世界に入った時の幸、不幸と大きく関わっているのです。
Q それでは、地上に生きている間は、それほど重要でもないのですか?
A そんな事はありません。大変重要です。
なぜなら、幽体が不調になると、「幽体オーラ」という光のようなものがうまく発しなかったりするからです。
そうなりますと、守護霊、指導霊といった高級な霊魂と接触しにくくなり、むしろ、よくない霊魂によられることがあります。
細かく言うと、その他にも、いろいろな不都合があります。
Q では幽体というものは、魂の成長や進歩と何か関わりがあるのですか?
A 大いにあります。
人間は地上に生きている間は肉体の脳を使って生きています。
ですから肉体の脳は非常に大切です。
一方、幽体はというと、地上にいる間は肉体と重なっています。
そして、幽体にも、同じように脳があります。
肉体の脳は人間が考えたり行動したりする時に常に働いています。
心は物質ではないとか、魂は物質ではないとか、いくら言ってみても、心や魂が地上の人間として思索したり、行動したりしようとすれば、必ず脳を使うことになります。
ですから、脳を無視して心は語れないのです。
たとえば、人間は食べるものによって精神が影響を受けると言われています。
また、薬品を飲むと、どんな凶暴な人でもおとなしくなったりします。
つまり、薬は人間の性格さえ変えてしまうのです。
それは、やはり、脳が薬品に影響されるからと言えましょう。
したがいまして、やはり、脳が正常に働くことは、心や魂にとっても大切なことだといえます。
同じように、幽体という身体の脳も大切なのです。
幽体は人間の物質ではない部分の感性や知覚にとって大きな役割をする、と霊魂学では考えています。
むしろ、魂の進歩にとっては、肉体の脳以上に重要だと言えるほどなのです。
Q それでは、幽体という身体が正常に働くことは本当に重要なことなのですね。
A そうです。
ですから、幽体の強化が必要なのです。人間は健康のために、スポーツをしたり、食事に気を遣ったりします。
つまり、自然にしていては、肉体はなかなか健全にはならないのです。
幽体も同じです。
やはり、幽体のための運動や栄養に当たるものが必要なのです。
Q よく分かりました。
A 幽体というのは、肉体とダブっている霊的な身体のことです。
幽体は、肉体が死ぬと、次の世界へ行くことになります。
その時、幽体は、新しい身体として、肉体のような役割をします。
この幽体が健全でないと、上の世界の環境には適応しにくいために、下の方の辛い世界にしか入れないことがあるのです。
つまり、幽体の好、不調は、死後の世界に入った時の幸、不幸と大きく関わっているのです。
Q それでは、地上に生きている間は、それほど重要でもないのですか?
A そんな事はありません。大変重要です。
なぜなら、幽体が不調になると、「幽体オーラ」という光のようなものがうまく発しなかったりするからです。
そうなりますと、守護霊、指導霊といった高級な霊魂と接触しにくくなり、むしろ、よくない霊魂によられることがあります。
細かく言うと、その他にも、いろいろな不都合があります。
Q では幽体というものは、魂の成長や進歩と何か関わりがあるのですか?
A 大いにあります。
人間は地上に生きている間は肉体の脳を使って生きています。
ですから肉体の脳は非常に大切です。
一方、幽体はというと、地上にいる間は肉体と重なっています。
そして、幽体にも、同じように脳があります。
肉体の脳は人間が考えたり行動したりする時に常に働いています。
心は物質ではないとか、魂は物質ではないとか、いくら言ってみても、心や魂が地上の人間として思索したり、行動したりしようとすれば、必ず脳を使うことになります。
ですから、脳を無視して心は語れないのです。
たとえば、人間は食べるものによって精神が影響を受けると言われています。
また、薬品を飲むと、どんな凶暴な人でもおとなしくなったりします。
つまり、薬は人間の性格さえ変えてしまうのです。
それは、やはり、脳が薬品に影響されるからと言えましょう。
したがいまして、やはり、脳が正常に働くことは、心や魂にとっても大切なことだといえます。
同じように、幽体という身体の脳も大切なのです。
幽体は人間の物質ではない部分の感性や知覚にとって大きな役割をする、と霊魂学では考えています。
むしろ、魂の進歩にとっては、肉体の脳以上に重要だと言えるほどなのです。
Q それでは、幽体という身体が正常に働くことは本当に重要なことなのですね。
A そうです。
ですから、幽体の強化が必要なのです。人間は健康のために、スポーツをしたり、食事に気を遣ったりします。
つまり、自然にしていては、肉体はなかなか健全にはならないのです。
幽体も同じです。
やはり、幽体のための運動や栄養に当たるものが必要なのです。
Q よく分かりました。
2014.01.14
Q 幽体の栄養とは何ですか?
A それは、「幽気」と呼ばれる「気」です。
分かりやすく言いますと、肉体は空気を吸って生きています。
それと同じように、幽体は幽気という霊的世界の空気のようなものを吸収しているようです。
ですから、空気が汚いと、肉体に良くないように、幽体の場合は、幽気が綺麗なことが望ましいのです。
Q この世にも幽気はありますか?
A あります。
肉体と幽体がダブっているように、空気と幽気もダブっていると考えていただければ分かりやすいと思います。
Q では、排気ガスのような汚い幽気もあるのですか?
A あります。
ですが、幽気は、排気ガスとは関係ありません。むしろ、質の高低、と呼んだほうが適切です。
(質の高低の説明はむずかしいので、ここでは省略させていただきます。)
たとえば、死後の世界では、より上方にいらっしゃる霊魂の方々の幽体は、質もそれに相応しく高いようですし、下方の世界の方は、その逆だということです。
住む世界の質が高いということは、そこに住む個性の身体の質も高いということらしいのです。
霊魂になると、幽体の質は魂の進歩のレベルと、おおむね比例しています。
そうなりますと、霊的な気も上方へ行くほど質が高く、下方へ下りるほど低いということになります。
したがいまして、質の高い幽気は高級な霊魂方が吸収する栄養、そして質の低い幽気はその逆の霊魂が吸収する栄養と考えていただければよいと思います。
Q では、質の高い幽気を吸収していれば、幽体の質も高くなるのですか?
A そのようです。
幽体の場合でも、常に質の高い栄養を摂取している人は、そうでない人に比べると、身体が丈夫です。
幽体の場合は、健全な幽体オーラを発するようになって行きます。
幽体オーラが健全に伸びて行きますと、そのオーラと感応しやすい、質の高い霊魂とも交流しやすくなります。
そうなりますと、意識の高い霊魂が発する想念や気の影響を受けますので、表面的な心の奥にある、魂の本質とも言える部分が活力を得て、強く輝くようになって行きます。
その結果、表面的な心を超えた魂全体としての進歩向上に繋がるのです。
Q それでは、霊的に質の高い幽気を吸収すれば、魂としての進歩が得られ、死後も上方の世界へ行きやすいということなのですね。
A そうです。
Q でも、それでは簡単すぎると思うのですが。
A ところが、それがそんなに簡単ではないのです。
Q どうしてですか。
A 地上は物質の世界です。
そこで幽体が吸収しうる幽気は、普通はそれほど質の高い幽気ではありません。
いわば人間の幽体に適した幽気なのです。
Q では、質の高い幽気を吸収する事は不可能なのではないですか?
A 普通は無理です。
ですが、だからこそ、霊的な修行や儀式があるのです。(「霊的トレーニング」参照)
霊的な儀式や修行を行なうことにより、霊的にレベルの高い霊魂に来てもらい、同時に、霊的に高い気を地上に降ろすのです。
そうした特殊な技術を達人と呼ばれる修行の師は持っているのです。
Q では、霊的トレーニングというのは幽体の運動と考えればよいのですか。
A そんなに単純ではありませんが、それも一部あります。
霊的トレーニングといいましても、幾つかの種類があります。
その中に、幽体の運動というよりも、強化に当たるトレーニングがあります。
私が習った技法は「神伝鎮魂法の初伝の法」です。
Q 初伝といいますと、次もあるのですか。
A そうです。
次伝以上は、幽体ではなく、さらに高度な霊的身体に関係しています。
他のトレーニング(神伝禊法)では、霊的身体ではなく、魂そのものを問題にしています。
Q 幽体の栄養の話に戻りますが、このHP(PC版 霊をさぐる)の言う霊的な「儀式」や「トレーニング」以外には、この栄養を吸収する方法はないのですか。
A 他にも、広い意味での霊的な技法は世界中にあります。
私から見れば、イエス・キリストの行なった聖霊のバプテスマや神社の神事も、本来は、同じような意味を持つものだと思います。
Q わかりました。
A それは、「幽気」と呼ばれる「気」です。
分かりやすく言いますと、肉体は空気を吸って生きています。
それと同じように、幽体は幽気という霊的世界の空気のようなものを吸収しているようです。
ですから、空気が汚いと、肉体に良くないように、幽体の場合は、幽気が綺麗なことが望ましいのです。
Q この世にも幽気はありますか?
A あります。
肉体と幽体がダブっているように、空気と幽気もダブっていると考えていただければ分かりやすいと思います。
Q では、排気ガスのような汚い幽気もあるのですか?
A あります。
ですが、幽気は、排気ガスとは関係ありません。むしろ、質の高低、と呼んだほうが適切です。
(質の高低の説明はむずかしいので、ここでは省略させていただきます。)
たとえば、死後の世界では、より上方にいらっしゃる霊魂の方々の幽体は、質もそれに相応しく高いようですし、下方の世界の方は、その逆だということです。
住む世界の質が高いということは、そこに住む個性の身体の質も高いということらしいのです。
霊魂になると、幽体の質は魂の進歩のレベルと、おおむね比例しています。
そうなりますと、霊的な気も上方へ行くほど質が高く、下方へ下りるほど低いということになります。
したがいまして、質の高い幽気は高級な霊魂方が吸収する栄養、そして質の低い幽気はその逆の霊魂が吸収する栄養と考えていただければよいと思います。
Q では、質の高い幽気を吸収していれば、幽体の質も高くなるのですか?
A そのようです。
幽体の場合でも、常に質の高い栄養を摂取している人は、そうでない人に比べると、身体が丈夫です。
幽体の場合は、健全な幽体オーラを発するようになって行きます。
幽体オーラが健全に伸びて行きますと、そのオーラと感応しやすい、質の高い霊魂とも交流しやすくなります。
そうなりますと、意識の高い霊魂が発する想念や気の影響を受けますので、表面的な心の奥にある、魂の本質とも言える部分が活力を得て、強く輝くようになって行きます。
その結果、表面的な心を超えた魂全体としての進歩向上に繋がるのです。
Q それでは、霊的に質の高い幽気を吸収すれば、魂としての進歩が得られ、死後も上方の世界へ行きやすいということなのですね。
A そうです。
Q でも、それでは簡単すぎると思うのですが。
A ところが、それがそんなに簡単ではないのです。
Q どうしてですか。
A 地上は物質の世界です。
そこで幽体が吸収しうる幽気は、普通はそれほど質の高い幽気ではありません。
いわば人間の幽体に適した幽気なのです。
Q では、質の高い幽気を吸収する事は不可能なのではないですか?
A 普通は無理です。
ですが、だからこそ、霊的な修行や儀式があるのです。(「霊的トレーニング」参照)
霊的な儀式や修行を行なうことにより、霊的にレベルの高い霊魂に来てもらい、同時に、霊的に高い気を地上に降ろすのです。
そうした特殊な技術を達人と呼ばれる修行の師は持っているのです。
Q では、霊的トレーニングというのは幽体の運動と考えればよいのですか。
A そんなに単純ではありませんが、それも一部あります。
霊的トレーニングといいましても、幾つかの種類があります。
その中に、幽体の運動というよりも、強化に当たるトレーニングがあります。
私が習った技法は「神伝鎮魂法の初伝の法」です。
Q 初伝といいますと、次もあるのですか。
A そうです。
次伝以上は、幽体ではなく、さらに高度な霊的身体に関係しています。
他のトレーニング(神伝禊法)では、霊的身体ではなく、魂そのものを問題にしています。
Q 幽体の栄養の話に戻りますが、このHP(PC版 霊をさぐる)の言う霊的な「儀式」や「トレーニング」以外には、この栄養を吸収する方法はないのですか。
A 他にも、広い意味での霊的な技法は世界中にあります。
私から見れば、イエス・キリストの行なった聖霊のバプテスマや神社の神事も、本来は、同じような意味を持つものだと思います。
Q わかりました。
2014.02.24
それでは、幽体の性質は誰でも皆、同じなのでしょうか。
どうも、そうではないらしいのです。霊魂の世界には上下があったのです。
これは、物理的な意味での上下ではありません。
より高級な世界を、「上の世界」と、便宜上呼んでいるだけなのです。
霊魂学で「下の世界」と呼ぶ世界の住人にしてみれば、自分達の世界を「下の世界」だとは思っていないという事もあります。
霊魂の世界にもいわゆる地獄のような恐ろしい世界があるらしいのです。
((「死後の世界」参照)
逆に、平穏な世界もあるようです。
それぞれの世界は、その世界の環境に馴染みやすい霊魂が生活しているだけという事らしく、上の世界から見ると汚らわしくても、そこが住みやすいという霊魂もいるのは確かで、本来ならば勝手に上下を付けるべきではないのです。
地上の動物にたとえれば分かりやすいと思います。
草原が住みやすい動物と森が住みやすい動物がいます。
これは、熱帯に慣れた身体の動物と、氷の世界が住み良い身体の動物がいるという事です。
どちらも結果として、その環境がそれぞれの身体に合っているという事なのです。
一方、私達は物質の世界で生きています。
物質の世界では、肉体と幽体は重なっています。
それは、幽体の自由が利かない事を意味します。
(「霊障 霊的障害」参照)
ですから、どうしても、幽体を使用して生きる霊魂のような活動的な幽体にはならないのです。
幽体が不自由ですと、強いオーラも出にくいようです。
肉体にたとえますと、幽体は運動不足の状態にあり、本来の力が出ないのです。
つまり、物質の世界に居ながら、高級な霊魂との接点を求めても、なかなか旨く行かないのです。
必死に祈っても、実際は神や仏はおろか、高級霊魂にすら届かないのです。
何度も言いますが、心の中でいくら愛の心を持ってみても、それは、肉体の脳の中の心理ですので、幽体とは直接関係のないものです。
残念ながら、私達人間は、物質の世界で普通に生きていると、高級な霊魂には接点がないのです。
幽体を所持している高級な霊魂は、人間の幽体、及び、幽体オーラしか目に入りませんが、人間の幽体は、本来の幽体としての活動性を失っていますので、あまり強いオーラを発していないのです。
高級霊魂は、とても強いオーラを発していますので、人間の幽体はどちらかというと、あまり高級でない霊魂の視覚にふさわしい状態になっていると言えます。
例えれば、高級霊魂が物質界の人間を見ると、外の世界から映画館の中に入ったようなもので、人間の姿が見えにくいらしいのです。
それでも、全く接点がないわけではありません。
人間は近視になった時、視力検査を行なう時などは、目を細めて何とか見ようとする人がいます。
それと同じで、守護霊とか指導霊とか呼ばれる高級霊魂は、努力して何とか接点を求められる事があるようです。
ですが、それでもまるで見えない幽体も多いそうです。
同じ幽体でも、肉体と重なっている幽体と高級霊魂の幽体とでは、随分とレベルが違っているもののようなのです。
それだけでなく、幽体でも質の高い幽体と、低い幽体とでは、お互いが見えにくいという事です。
どうやら、霊魂の世界は相当に広いらしく、同じ霊魂とは思えないほどに、幽体も多様になっているようです。
現代は霊的な環境が悪い時代です。
その為に、現代人の幽体は、いわば栄養不足状態になっています。
(「霊魂学 霊的環境について考える霊的な環境」 参照)
そうなりますと、普通の人がただ祈っても、その祈りは守護霊にも届かないのが現実のようです。
どうも、そうではないらしいのです。霊魂の世界には上下があったのです。
これは、物理的な意味での上下ではありません。
より高級な世界を、「上の世界」と、便宜上呼んでいるだけなのです。
霊魂学で「下の世界」と呼ぶ世界の住人にしてみれば、自分達の世界を「下の世界」だとは思っていないという事もあります。
霊魂の世界にもいわゆる地獄のような恐ろしい世界があるらしいのです。
((「死後の世界」参照)
逆に、平穏な世界もあるようです。
それぞれの世界は、その世界の環境に馴染みやすい霊魂が生活しているだけという事らしく、上の世界から見ると汚らわしくても、そこが住みやすいという霊魂もいるのは確かで、本来ならば勝手に上下を付けるべきではないのです。
地上の動物にたとえれば分かりやすいと思います。
草原が住みやすい動物と森が住みやすい動物がいます。
これは、熱帯に慣れた身体の動物と、氷の世界が住み良い身体の動物がいるという事です。
どちらも結果として、その環境がそれぞれの身体に合っているという事なのです。
一方、私達は物質の世界で生きています。
物質の世界では、肉体と幽体は重なっています。
それは、幽体の自由が利かない事を意味します。
(「霊障 霊的障害」参照)
ですから、どうしても、幽体を使用して生きる霊魂のような活動的な幽体にはならないのです。
幽体が不自由ですと、強いオーラも出にくいようです。
肉体にたとえますと、幽体は運動不足の状態にあり、本来の力が出ないのです。
つまり、物質の世界に居ながら、高級な霊魂との接点を求めても、なかなか旨く行かないのです。
必死に祈っても、実際は神や仏はおろか、高級霊魂にすら届かないのです。
何度も言いますが、心の中でいくら愛の心を持ってみても、それは、肉体の脳の中の心理ですので、幽体とは直接関係のないものです。
残念ながら、私達人間は、物質の世界で普通に生きていると、高級な霊魂には接点がないのです。
幽体を所持している高級な霊魂は、人間の幽体、及び、幽体オーラしか目に入りませんが、人間の幽体は、本来の幽体としての活動性を失っていますので、あまり強いオーラを発していないのです。
高級霊魂は、とても強いオーラを発していますので、人間の幽体はどちらかというと、あまり高級でない霊魂の視覚にふさわしい状態になっていると言えます。
例えれば、高級霊魂が物質界の人間を見ると、外の世界から映画館の中に入ったようなもので、人間の姿が見えにくいらしいのです。
それでも、全く接点がないわけではありません。
人間は近視になった時、視力検査を行なう時などは、目を細めて何とか見ようとする人がいます。
それと同じで、守護霊とか指導霊とか呼ばれる高級霊魂は、努力して何とか接点を求められる事があるようです。
ですが、それでもまるで見えない幽体も多いそうです。
同じ幽体でも、肉体と重なっている幽体と高級霊魂の幽体とでは、随分とレベルが違っているもののようなのです。
それだけでなく、幽体でも質の高い幽体と、低い幽体とでは、お互いが見えにくいという事です。
どうやら、霊魂の世界は相当に広いらしく、同じ霊魂とは思えないほどに、幽体も多様になっているようです。
現代は霊的な環境が悪い時代です。
その為に、現代人の幽体は、いわば栄養不足状態になっています。
(「霊魂学 霊的環境について考える霊的な環境」 参照)
そうなりますと、普通の人がただ祈っても、その祈りは守護霊にも届かないのが現実のようです。
2014.02.24
実は、人には幽体以外の霊的身体があります。
ただし、これについてはこのHP(霊をさぐる PC版)ではあまり語りません。
それは一般の方にはあまり関係がないからです。
高級霊魂によりますと、人は肉体を捨てると幽体で生きますが、更に霊魂として進歩すると、その幽体をも脱ぎ捨てるのだそうです。
しかし、それはごく一部の、真に進歩向上した、ごく僅かな霊魂だけらしいのです。
そうした僅かな霊魂は、『霊体』という霊的身体で生きるそうです。
そのような霊魂は真に偉大な霊魂ですので、地上の人間にはなかなか交流できません。
もっとも、偉大な霊魂方は、あの手この手で地上に接近されてはいるようです。
時には、地上の人間を観察される事もあるという事です。
ですが、人間であれば誰でも、皆を、というわけには行きません。
なぜならば、そのためには、それにふさわしい『霊体』を地上の人間も、所持、成長させていなければならないからです。
普通の人は幽体さえも未成長です。
偉大な霊魂方と接点が持てるような『霊体』を所持していることはありません。
これは、『霊体』を意図して成長させた、霊的修行者以外には無関係な話なのです。
更にその上の『神体』ともなれば、なおさらです。
地上の人間が霊的達人でなければ、そのような身体は成長させられないのです。
ですから、HP(霊をさぐる PC版)ではあまり触れていないのです。
別な言い方をすれば、神体を成長させた人がいれば、その人こそは神人中の神人、達人中の達人ということなのです。
霊的トレーニングを、日々、実習している人達には、『霊体』は重要な身体ですので、それについては、そうした方々にのみお知らせしています。
ただし、これについてはこのHP(霊をさぐる PC版)ではあまり語りません。
それは一般の方にはあまり関係がないからです。
高級霊魂によりますと、人は肉体を捨てると幽体で生きますが、更に霊魂として進歩すると、その幽体をも脱ぎ捨てるのだそうです。
しかし、それはごく一部の、真に進歩向上した、ごく僅かな霊魂だけらしいのです。
そうした僅かな霊魂は、『霊体』という霊的身体で生きるそうです。
そのような霊魂は真に偉大な霊魂ですので、地上の人間にはなかなか交流できません。
もっとも、偉大な霊魂方は、あの手この手で地上に接近されてはいるようです。
時には、地上の人間を観察される事もあるという事です。
ですが、人間であれば誰でも、皆を、というわけには行きません。
なぜならば、そのためには、それにふさわしい『霊体』を地上の人間も、所持、成長させていなければならないからです。
普通の人は幽体さえも未成長です。
偉大な霊魂方と接点が持てるような『霊体』を所持していることはありません。
これは、『霊体』を意図して成長させた、霊的修行者以外には無関係な話なのです。
更にその上の『神体』ともなれば、なおさらです。
地上の人間が霊的達人でなければ、そのような身体は成長させられないのです。
ですから、HP(霊をさぐる PC版)ではあまり触れていないのです。
別な言い方をすれば、神体を成長させた人がいれば、その人こそは神人中の神人、達人中の達人ということなのです。
霊的トレーニングを、日々、実習している人達には、『霊体』は重要な身体ですので、それについては、そうした方々にのみお知らせしています。
2014.02.24
では、どうすれば、幽体や霊体が成長するのでしょうか。
『霊体』は一般の方にはあまり関係がありませんので、『幽体』について語ります。
まず、霊魂学が推奨する霊的トレーニングを行なっている方は、神伝鎮魂法という現代人のための新しい霊的トレーニングを行なえば、幽体、そして、霊体が成長します。
ですから、ここでは、それ以外の方法について述べます。
幽体は、本来は幽質の世界で使用する身体であり、物質の世界では充分に活力を持っていません。
ですから、逆に言えば、活力を与えれば良いのです。
霊魂の世界は食事が不要です。
ですから、食品から栄養を摂るのではありません。
高級霊魂によりますと、『幽気』という霊的な気が栄養になるそうです。
ということは、幽気を幽体が吸収すれば良いということです。
幽気は空気と重なって存在しているそうです。
ですから、それを吸収すれば良いのですが、なかなか簡単には行かないそうです。
肉体にとって栄養のある食品と、そうでもない食品があるように、幽気も質の良いものとそうでない物があり、幽体の成長には、質の良い幽気が欠かせないのです。
ということは質の良い幽気がなければ、幽体の成長が遅くなるようなのです。
つまり、高級霊魂の住む世界にあるような、とても質の良い幽気を吸えるか否か、が問題になるのです。
では、それはどこに有るのでしょうか。
森林浴をするような場所なのでしょうか。
マイナスイオンのある場所なのでしょうか。
いいえ、そうではないのです。
これは物質的な環境の良さとは無関係なのです。
都会の真中でも構わないのです。
要は、誰かが質の良い幽気を呼べれば、それで良いのです。
霊的な環境が悪い現代では、昔のように神社や寺へ行っても、そこには質の良い幽気はありません。
そこで、何とか質の良い幽気を呼びたいということで、誰かがそれを引きつけるしかないのです。
誰か一人でも良いので、強いオーラを発する人がいれば、その人を中心に集まれば良いのです。
質の良い幽気は、条件が整い、場が設定されれば、そこを目印に降りてくるようになります。
一人一人の幽体は縮こまっています。
そのような幽体では、どんなに心が綺麗な人でも、質の良い幽気を呼ぶ事は出来ないのです。
そこで、スペシャリストが必要になるのです。
何とか、一人でも誕生すれば、その人を中心に集まることで、そこに良い幽気を降ろし得るのです。
集まった人達はそれぞれに、その幽気を吸収し得るような儀式や、訓練を行なえば良いだけなのです。
高度な霊的トレーニングを行なう集団のようには行きませんが、その場にいて簡単な技法を行なうだけでも、人の霊的な身体は変化し得るのです。
実は、皆さんの良くご存じの『卑弥呼』がそれなのです。
実際の『卑弥呼』がどのような儀式をしていたのか、それは知りません。
実物はそれほどでもなかったのかもしれません。
ですが、霊魂学から見ますと、『卑弥呼』の立場で行なうような、古代の儀式こそが霊的に大切な行事だったのです。
実に、それが無くなって行ったことが、日本の悲しい歴史なのです。
現代に『卑弥呼』が復活すれば良いのです。
大勢の人達が幽体の栄養を得て、幽体を成長さることができます。
肉体の脳の意識は何も分からなくても、確実に守護霊、指導霊との接点ができ、人は霊的にも進歩しますし、死後も下の世界に入らなくても済むようになるのです。
『霊体』は一般の方にはあまり関係がありませんので、『幽体』について語ります。
まず、霊魂学が推奨する霊的トレーニングを行なっている方は、神伝鎮魂法という現代人のための新しい霊的トレーニングを行なえば、幽体、そして、霊体が成長します。
ですから、ここでは、それ以外の方法について述べます。
幽体は、本来は幽質の世界で使用する身体であり、物質の世界では充分に活力を持っていません。
ですから、逆に言えば、活力を与えれば良いのです。
霊魂の世界は食事が不要です。
ですから、食品から栄養を摂るのではありません。
高級霊魂によりますと、『幽気』という霊的な気が栄養になるそうです。
ということは、幽気を幽体が吸収すれば良いということです。
幽気は空気と重なって存在しているそうです。
ですから、それを吸収すれば良いのですが、なかなか簡単には行かないそうです。
肉体にとって栄養のある食品と、そうでもない食品があるように、幽気も質の良いものとそうでない物があり、幽体の成長には、質の良い幽気が欠かせないのです。
ということは質の良い幽気がなければ、幽体の成長が遅くなるようなのです。
つまり、高級霊魂の住む世界にあるような、とても質の良い幽気を吸えるか否か、が問題になるのです。
では、それはどこに有るのでしょうか。
森林浴をするような場所なのでしょうか。
マイナスイオンのある場所なのでしょうか。
いいえ、そうではないのです。
これは物質的な環境の良さとは無関係なのです。
都会の真中でも構わないのです。
要は、誰かが質の良い幽気を呼べれば、それで良いのです。
霊的な環境が悪い現代では、昔のように神社や寺へ行っても、そこには質の良い幽気はありません。
そこで、何とか質の良い幽気を呼びたいということで、誰かがそれを引きつけるしかないのです。
誰か一人でも良いので、強いオーラを発する人がいれば、その人を中心に集まれば良いのです。
質の良い幽気は、条件が整い、場が設定されれば、そこを目印に降りてくるようになります。
一人一人の幽体は縮こまっています。
そのような幽体では、どんなに心が綺麗な人でも、質の良い幽気を呼ぶ事は出来ないのです。
そこで、スペシャリストが必要になるのです。
何とか、一人でも誕生すれば、その人を中心に集まることで、そこに良い幽気を降ろし得るのです。
集まった人達はそれぞれに、その幽気を吸収し得るような儀式や、訓練を行なえば良いだけなのです。
高度な霊的トレーニングを行なう集団のようには行きませんが、その場にいて簡単な技法を行なうだけでも、人の霊的な身体は変化し得るのです。
実は、皆さんの良くご存じの『卑弥呼』がそれなのです。
実際の『卑弥呼』がどのような儀式をしていたのか、それは知りません。
実物はそれほどでもなかったのかもしれません。
ですが、霊魂学から見ますと、『卑弥呼』の立場で行なうような、古代の儀式こそが霊的に大切な行事だったのです。
実に、それが無くなって行ったことが、日本の悲しい歴史なのです。
現代に『卑弥呼』が復活すれば良いのです。
大勢の人達が幽体の栄養を得て、幽体を成長さることができます。
肉体の脳の意識は何も分からなくても、確実に守護霊、指導霊との接点ができ、人は霊的にも進歩しますし、死後も下の世界に入らなくても済むようになるのです。