みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.15
Q 世の中には宗教や神秘思想は全て共通の神から現われたものだとする考えがありますが、それは事実ですか。
A〈霊魂〉
厳密に言えば、間違っている。
しかし、これまでの人類にとっては、それで充分である。
Q これまでの人類のレベルでは、それを正しいと考えていても仕方がないということですか。
A〈霊魂〉
できれば、これからは、一段高いレベルで考えてほしいと願っている。
Q では、そうした見地から教えてください。
A〈霊魂〉
地上の多数の宗教や神秘的な思想は、実はほとんど、人間の脳の創作であって、神の意思を表現してはいない。
いや、それどころか、高級霊魂の思想さえ表わしえていない場合が多い。
Q と言いますと?
A〈霊魂〉
簡単に言えば、どんな高級な霊感も最終的には人間の脳が理解して文章や言葉で表されている。
ところが、霊体という高度な身体を使っている高級霊魂の思想は、肉体の脳では理解できない。
つまり、質が異なる脳だと考えれば分かりやすい。
Q では、本当の神霊の意思を表現することなど、とても不可能なのですね。
A〈霊魂〉
もちろんである。
たとえどんな達人であっても、不可能である。
どんなに高度な思想も、地上に表現された段階で、肉体の脳の範囲に限定されてしまうからである。
Q それでも、高度な宗教思想は、ところどころで、神霊の意図を表現しているということはありませんか。
A〈霊魂〉
ない。
もしもあるとすれば、イエスやブッダといったような歴史的達人の思想のみである。
ただし、そうした達人は、人々の理解力に合わせて語るため、本当の事を言うことは少ない。
彼らは、地上に生きているうちに霊体を強化している。
そのために、他の人間では不可能な感性を持っている。
しかし、他の多くの思想家にはそれが全くない。
そのため、彼らの主張は、有名な思想のアレンジであったり、肉体の脳の創作を霊感と取り違えていたり、せいぜい幽体の所有者からの霊感にとどまっている。
神霊や高貴な霊魂の思想とは掛け離れたレベルのものである。
Q それでは、真に神の意図を表現する思想は地上にはないということですか。
A〈霊魂〉
そういうことである。
神、神霊、上級の霊魂の意思は、言葉ではなく、霊的な感性で読み取るものである。
地上の人間であっても、霊体を強化すれば、それが理屈を超えて分かる時が来る。
Q ありがとうございました。
A〈霊魂〉
厳密に言えば、間違っている。
しかし、これまでの人類にとっては、それで充分である。
Q これまでの人類のレベルでは、それを正しいと考えていても仕方がないということですか。
A〈霊魂〉
できれば、これからは、一段高いレベルで考えてほしいと願っている。
Q では、そうした見地から教えてください。
A〈霊魂〉
地上の多数の宗教や神秘的な思想は、実はほとんど、人間の脳の創作であって、神の意思を表現してはいない。
いや、それどころか、高級霊魂の思想さえ表わしえていない場合が多い。
Q と言いますと?
A〈霊魂〉
簡単に言えば、どんな高級な霊感も最終的には人間の脳が理解して文章や言葉で表されている。
ところが、霊体という高度な身体を使っている高級霊魂の思想は、肉体の脳では理解できない。
つまり、質が異なる脳だと考えれば分かりやすい。
Q では、本当の神霊の意思を表現することなど、とても不可能なのですね。
A〈霊魂〉
もちろんである。
たとえどんな達人であっても、不可能である。
どんなに高度な思想も、地上に表現された段階で、肉体の脳の範囲に限定されてしまうからである。
Q それでも、高度な宗教思想は、ところどころで、神霊の意図を表現しているということはありませんか。
A〈霊魂〉
ない。
もしもあるとすれば、イエスやブッダといったような歴史的達人の思想のみである。
ただし、そうした達人は、人々の理解力に合わせて語るため、本当の事を言うことは少ない。
彼らは、地上に生きているうちに霊体を強化している。
そのために、他の人間では不可能な感性を持っている。
しかし、他の多くの思想家にはそれが全くない。
そのため、彼らの主張は、有名な思想のアレンジであったり、肉体の脳の創作を霊感と取り違えていたり、せいぜい幽体の所有者からの霊感にとどまっている。
神霊や高貴な霊魂の思想とは掛け離れたレベルのものである。
Q それでは、真に神の意図を表現する思想は地上にはないということですか。
A〈霊魂〉
そういうことである。
神、神霊、上級の霊魂の意思は、言葉ではなく、霊的な感性で読み取るものである。
地上の人間であっても、霊体を強化すれば、それが理屈を超えて分かる時が来る。
Q ありがとうございました。
2014.01.17
Q 救世主が世界を救うという人達がいますが、高級霊魂はどう言っているのでしょうか。
A ズバリ言いますと、救世主が世界中の人々を救えることはないそうです。
地上は人類が自由に生きています。
その自由を行使して戦争をしたり、環境を壊したりしています。
それに対して高級霊魂はどうすることもできません。
たとえば、いくら、隣人への愛を勧めても人がそれを聞き入れてくれるわけではありません。
救世主であれ、神であれ、高級霊魂であれ、人類に対してメッセージを送ったり、指導したり、教化したりすることはできますが、嫌がる人達を無理やり誘導することはできないのです。
つまり、どう生きようと人類の自由なのです。
そのため、人類の大多数が救世主を求め、救いを求めるのであれば別でしょうが、そうでなければ、人類の自由に誰も干渉することはできないのです。
ですから、仮に地上に救世主と呼ぶに相応しい高貴な魂が生を受け、活動を始めたとしても、人類がそれを求めず、拒絶すれば何の意味もないのです。
未来は確定していません。将来どうなるのかは誰にも分かりません。
ですが、たとえ救世主が現れたとしても、あるいは、そうでなかったとしても、大切なのは、人々が物的ではない人生に目覚め、霊的に生きることなのです。
そうでなければ、救世主がどこかにいたとしても、霊的に関心のない人はその存在に気付くことができません。
つまり、霊的な事に関心のない人達ばかりですと、救世主は、世の大多数の人達には無関係な人物となり、歴史に顔を出すこともありませんので、人々が知ることにはならないのです。
また、救世主がどこに現われようと、何の努力もしない人がすぐに救われるわけがありません。
やはり、自分で努力するための手段を教えてくださると思えます。
ですから、大切なことは、救世主に頼ることではなく、むしろ、少しでも霊的な進歩を得て、救世主の手助けをできるようになることだと思えます。
学校の勉強で言えば、画期的な勉強法を教えてくださるということなのであって、勉強していない人を合格させてくださるということではないのです。
合格することが目的なのであれば、やはり、自分が勉強することが基本なのではないでしょうか。
高級霊魂のお1人がこんな事をおっしゃいました。
「救世主が現れるか否かを論ずるのではなく、救世主が必要ならば現れやすいように、あるいは、活動しやすいように、それぞれが行動することが大事である」
「誰かに救ってもらうよりも、救ってあげたい、そうした心を持つ人達が増えなければ、どんな救世主も神人も、人を救うことなどできないのである」
「救世主が誰であるかを議論するよりも、真の救いを人類にもたらすために自分達が行動しているのかどうか、が問題なのである」
「人に過去世からの霊的なカルマがある限り、それを乗り越える努力をなくして、人類が救われることはないのである」
「救世主が奇跡を起こして世界中の貧乏人にお金を与えたり、病気を治したとしても、実は、人類は救われてはいないのである」
「なぜなら、霊的なカルマが消えていないからである」
「各人がこの世に生まれてやらねばならないテーマや乗り越えるべき壁があるのならば、それはお金持ちになったり、健康になったりしても、解決しない問題なのである」
「生活や健康を考えるのは政治家や医者の仕事であり、救世主は霊的なカルマという重荷を背負った人間に対して、それを乗り越える指導をしなければならないのである」
「そして、真に霊的な人生について語るべきなのである」
「救世主が現れようと現れまいと、いや、すでにいたといても、大切な事は、自分達もその救世主の役割を分担し、求める人達に霊的生命体としての真の道を示す努力をしなければならない、ということなのである」
高級霊魂によれば、自分から求めなければ、救世主であれ、神人であれ、神であれ高級霊魂であれ、人類に道を示すことはできないのだそうです。
A ズバリ言いますと、救世主が世界中の人々を救えることはないそうです。
地上は人類が自由に生きています。
その自由を行使して戦争をしたり、環境を壊したりしています。
それに対して高級霊魂はどうすることもできません。
たとえば、いくら、隣人への愛を勧めても人がそれを聞き入れてくれるわけではありません。
救世主であれ、神であれ、高級霊魂であれ、人類に対してメッセージを送ったり、指導したり、教化したりすることはできますが、嫌がる人達を無理やり誘導することはできないのです。
つまり、どう生きようと人類の自由なのです。
そのため、人類の大多数が救世主を求め、救いを求めるのであれば別でしょうが、そうでなければ、人類の自由に誰も干渉することはできないのです。
ですから、仮に地上に救世主と呼ぶに相応しい高貴な魂が生を受け、活動を始めたとしても、人類がそれを求めず、拒絶すれば何の意味もないのです。
未来は確定していません。将来どうなるのかは誰にも分かりません。
ですが、たとえ救世主が現れたとしても、あるいは、そうでなかったとしても、大切なのは、人々が物的ではない人生に目覚め、霊的に生きることなのです。
そうでなければ、救世主がどこかにいたとしても、霊的に関心のない人はその存在に気付くことができません。
つまり、霊的な事に関心のない人達ばかりですと、救世主は、世の大多数の人達には無関係な人物となり、歴史に顔を出すこともありませんので、人々が知ることにはならないのです。
また、救世主がどこに現われようと、何の努力もしない人がすぐに救われるわけがありません。
やはり、自分で努力するための手段を教えてくださると思えます。
ですから、大切なことは、救世主に頼ることではなく、むしろ、少しでも霊的な進歩を得て、救世主の手助けをできるようになることだと思えます。
学校の勉強で言えば、画期的な勉強法を教えてくださるということなのであって、勉強していない人を合格させてくださるということではないのです。
合格することが目的なのであれば、やはり、自分が勉強することが基本なのではないでしょうか。
高級霊魂のお1人がこんな事をおっしゃいました。
「救世主が現れるか否かを論ずるのではなく、救世主が必要ならば現れやすいように、あるいは、活動しやすいように、それぞれが行動することが大事である」
「誰かに救ってもらうよりも、救ってあげたい、そうした心を持つ人達が増えなければ、どんな救世主も神人も、人を救うことなどできないのである」
「救世主が誰であるかを議論するよりも、真の救いを人類にもたらすために自分達が行動しているのかどうか、が問題なのである」
「人に過去世からの霊的なカルマがある限り、それを乗り越える努力をなくして、人類が救われることはないのである」
「救世主が奇跡を起こして世界中の貧乏人にお金を与えたり、病気を治したとしても、実は、人類は救われてはいないのである」
「なぜなら、霊的なカルマが消えていないからである」
「各人がこの世に生まれてやらねばならないテーマや乗り越えるべき壁があるのならば、それはお金持ちになったり、健康になったりしても、解決しない問題なのである」
「生活や健康を考えるのは政治家や医者の仕事であり、救世主は霊的なカルマという重荷を背負った人間に対して、それを乗り越える指導をしなければならないのである」
「そして、真に霊的な人生について語るべきなのである」
「救世主が現れようと現れまいと、いや、すでにいたといても、大切な事は、自分達もその救世主の役割を分担し、求める人達に霊的生命体としての真の道を示す努力をしなければならない、ということなのである」
高級霊魂によれば、自分から求めなければ、救世主であれ、神人であれ、神であれ高級霊魂であれ、人類に道を示すことはできないのだそうです。
Q 宗教の教義はどれも、自宗が絶対だと言っているようですが、そうした事では霊的には進歩しないと思うのですが。
A そんなことはありません。
どんな宗教であろうと、信者はその教義が正しいと思うからこそ信じているのです。
地上の人間にはそれでも充分です。
なぜなら、地上の宗教であれ、神秘思想であれ、心霊主義であれ、どの思想もしょせんは、地上の人間の肉の脳の理解力の範囲でしか表現されていません。
ですから、絶対的な真理など、初めからないのです。
大切な事は、むしろ、教えが絶対であるのかどうかという事よりも、信じる人達の霊的な進歩に役立つのかどうかという点なのです。
たとえば、今まで一度も祈りをしなかった人が、イエスを絶対だと信じて祈るという時、それは霊魂にとっては、人間との接点を得ることができる大変素晴らしい機会なのです。
ところが、その人が、イエスを絶対視するのはおかしい、と考えて、祈りをやめてしまえば、それで、高級霊魂との接点が切れてしまったりするのです。
また、それまで喧嘩ばかりしていた人が、宗教の教えを信じて喧嘩しないようになれば、社会人としても良いことですし、霊的にも念の攻撃を受けることが少なくなるので、大変良いことなのです。
ですから、霊的には、宗教であろうと、その他の何であろうと、霊的に進歩しやすい人生を得られることが大事なのです。
最近は宗教教団が詐欺的であったりするので、簡単には言えなくなりましたが、本来ならば、どんな信仰であろうと、神や仏といった霊的存在を信じて何かを行なうということは、とても大切な事なのです。
宗教教義は確かに独善的な部分があります。
ですが、そうした教義をただ単に批判したからといって、その人達の霊的レベルが向上するものでもありません。
むしろ、死後の世界へ入ってしまうと、地上ではどんなに素晴らしいと思っていた思想も、全く通用しなくなるのです。
宗教団体には教義的にもいろいろな問題もあり、なかなか一律には論じることはできません。
とはいいましても、霊的な観点から見ますと、宗教教団は教義も大切ですが、その教団でどんな風に霊的な進歩が得られるのか、といった問題を考えるべきだと思います。
A そんなことはありません。
どんな宗教であろうと、信者はその教義が正しいと思うからこそ信じているのです。
地上の人間にはそれでも充分です。
なぜなら、地上の宗教であれ、神秘思想であれ、心霊主義であれ、どの思想もしょせんは、地上の人間の肉の脳の理解力の範囲でしか表現されていません。
ですから、絶対的な真理など、初めからないのです。
大切な事は、むしろ、教えが絶対であるのかどうかという事よりも、信じる人達の霊的な進歩に役立つのかどうかという点なのです。
たとえば、今まで一度も祈りをしなかった人が、イエスを絶対だと信じて祈るという時、それは霊魂にとっては、人間との接点を得ることができる大変素晴らしい機会なのです。
ところが、その人が、イエスを絶対視するのはおかしい、と考えて、祈りをやめてしまえば、それで、高級霊魂との接点が切れてしまったりするのです。
また、それまで喧嘩ばかりしていた人が、宗教の教えを信じて喧嘩しないようになれば、社会人としても良いことですし、霊的にも念の攻撃を受けることが少なくなるので、大変良いことなのです。
ですから、霊的には、宗教であろうと、その他の何であろうと、霊的に進歩しやすい人生を得られることが大事なのです。
最近は宗教教団が詐欺的であったりするので、簡単には言えなくなりましたが、本来ならば、どんな信仰であろうと、神や仏といった霊的存在を信じて何かを行なうということは、とても大切な事なのです。
宗教教義は確かに独善的な部分があります。
ですが、そうした教義をただ単に批判したからといって、その人達の霊的レベルが向上するものでもありません。
むしろ、死後の世界へ入ってしまうと、地上ではどんなに素晴らしいと思っていた思想も、全く通用しなくなるのです。
宗教団体には教義的にもいろいろな問題もあり、なかなか一律には論じることはできません。
とはいいましても、霊的な観点から見ますと、宗教教団は教義も大切ですが、その教団でどんな風に霊的な進歩が得られるのか、といった問題を考えるべきだと思います。
ある霊魂がこんなことを言っていました。
「人々は自分の考えを絶対視している」
「だが、それが霊的真実に照らして正しかったことは一度もない」
「なぜなら、それは肉の脳の限界の範囲にあるからである。だからこそ、人は達人に教えを請うべきなのである」
更に、別の霊魂がこう言いました。
「最近の神秘哲学には大きな欠点があります」
「それは、何も知らないのに知ったようなことを言うことです。それは真実を遠ざけ、霊的な進化を遠ざけます」
たとえば、こうです。
ある人が特定の宗教を信じている人に対してこう言いました。
『あなたはその宗教の教義の中に自分を押し込めています。それは、自らに限界を作ることです。』
その信者は、それを聞いて、
『自分は何が正しいかなど知る由もありません』
『ただし、自分よりも先を行く人に謙虚に学んでいます』
『あなたは、他人の考えを間違いであると指摘することにより、自らの考えに限界を作っているのではありませんか』
「私はその2人の会話を知って、宗教の信者に感心しました」
「しょせん、宗教の教義は、あらゆる真理を表現することなどありません」
「ですが、神や仏を信じ、それを敬い、自分に力を与えてくださることに感謝するのは大変よいことです」
「それによって、その宗教教団に働く高級霊魂からの力を得ることが出来ます」
「たとえ宗教教義に間違いがあっても、地上の宗教は真理への道の過程にすぎません。それはむしろ、当然なのです」
「その過程を一歩一歩進んで行くにしたがい、より高度な思想に巡り合えればそれでよいのです」
「宗教団体にとって大切なのは、教義の高低よりも、高級な霊魂の影響下にあるかどうかということなのです」
「そして、問題なのは、そのような高級霊魂の指導下に入った宗教が大変少なくなったことです」
「最近は、一宗一派を信じる人達を蔑む傾向があります」
「ですが、自分が頭を下げて先輩から学ぼうとせず、霊的事実ではない事を信じている人が大勢います」
「そのような人達に高貴な光が輝くことはありません」
「肉の頭で考えられた哲学はどんなに高度に見えても、事実でなければ意味がないのです」
「つまり、神を求めて何も見えなくなっていても、そうでなくても、それらは霊的成長のための様々な段階にすぎず、善くも悪くもないのです」
「一方、悟ったような顔をして宗教教義からの脱却を主張する人達は、それによって、先輩から学ぶことにより高い気を得るという事が出来なくなっているのです」
「なぜなら、自分1人では、普通は自分の霊的レベルよりも上の気を吸収することが出来ないからなのです」
「人々がどんなに立派な思想を語ってみても、思想は、ひとつの考え方にすぎません」
「ですから、高級な幽体や霊体を持つことはないのです。大切なのは、真剣に神を信じ、神を愛することなのです」
「イエス師が言われるとおり、最も大切なことは、『父なる汝の神を愛せよ』、それに尽きるのです」
そして、更に上の段階としては、霊的なトレーニングにより、確実に霊的変化を起こすことなのだそうです。
「人々は自分の考えを絶対視している」
「だが、それが霊的真実に照らして正しかったことは一度もない」
「なぜなら、それは肉の脳の限界の範囲にあるからである。だからこそ、人は達人に教えを請うべきなのである」
更に、別の霊魂がこう言いました。
「最近の神秘哲学には大きな欠点があります」
「それは、何も知らないのに知ったようなことを言うことです。それは真実を遠ざけ、霊的な進化を遠ざけます」
たとえば、こうです。
ある人が特定の宗教を信じている人に対してこう言いました。
『あなたはその宗教の教義の中に自分を押し込めています。それは、自らに限界を作ることです。』
その信者は、それを聞いて、
『自分は何が正しいかなど知る由もありません』
『ただし、自分よりも先を行く人に謙虚に学んでいます』
『あなたは、他人の考えを間違いであると指摘することにより、自らの考えに限界を作っているのではありませんか』
「私はその2人の会話を知って、宗教の信者に感心しました」
「しょせん、宗教の教義は、あらゆる真理を表現することなどありません」
「ですが、神や仏を信じ、それを敬い、自分に力を与えてくださることに感謝するのは大変よいことです」
「それによって、その宗教教団に働く高級霊魂からの力を得ることが出来ます」
「たとえ宗教教義に間違いがあっても、地上の宗教は真理への道の過程にすぎません。それはむしろ、当然なのです」
「その過程を一歩一歩進んで行くにしたがい、より高度な思想に巡り合えればそれでよいのです」
「宗教団体にとって大切なのは、教義の高低よりも、高級な霊魂の影響下にあるかどうかということなのです」
「そして、問題なのは、そのような高級霊魂の指導下に入った宗教が大変少なくなったことです」
「最近は、一宗一派を信じる人達を蔑む傾向があります」
「ですが、自分が頭を下げて先輩から学ぼうとせず、霊的事実ではない事を信じている人が大勢います」
「そのような人達に高貴な光が輝くことはありません」
「肉の頭で考えられた哲学はどんなに高度に見えても、事実でなければ意味がないのです」
「つまり、神を求めて何も見えなくなっていても、そうでなくても、それらは霊的成長のための様々な段階にすぎず、善くも悪くもないのです」
「一方、悟ったような顔をして宗教教義からの脱却を主張する人達は、それによって、先輩から学ぶことにより高い気を得るという事が出来なくなっているのです」
「なぜなら、自分1人では、普通は自分の霊的レベルよりも上の気を吸収することが出来ないからなのです」
「人々がどんなに立派な思想を語ってみても、思想は、ひとつの考え方にすぎません」
「ですから、高級な幽体や霊体を持つことはないのです。大切なのは、真剣に神を信じ、神を愛することなのです」
「イエス師が言われるとおり、最も大切なことは、『父なる汝の神を愛せよ』、それに尽きるのです」
そして、更に上の段階としては、霊的なトレーニングにより、確実に霊的変化を起こすことなのだそうです。
2014.02.14
Q: シルバーバーチはカルトである、という意見があるそうです。
私はそこまで危険な思想とは思えません。
どうして、そんな風に言われてしまうのでしょうか?
A: 『出る杭は打たれる』という言葉があります。
世の中で一定の勢力を持つと必ず叩かれるものです。
何の批判も受けない主義信条はまずないでしょう。
ですから、自分達が正しいと思い、正しい事をしている自信があれば、ひるむ必要はないと言えるでしょう。
ただし、シルバーバーチが批判されるのには理由があるのも確かです。
心霊主義者の中では、特に日本では、シルバーバーチは最も高級であるとすら言われています。
ところが、それはあくまでも通信の中身のことを言っているのであり、科学的に真実である、という事とは別なのです。
心霊主義(スピリチュアリズム)は科学に基づいていると主張していながら、その主張の内容自体を科学的に立証できることはありません。
それでも、他の宗教とは違い、科学的な裏付けがあるがごとしに宣伝しているという事になるのです。
霊魂を信じない人達から見れば、他の宗教と同列にあるにもかかわらず、「全く違うものだ」と嘘をついているように映るのです。
また、キリスト教を強く批判しています。
それをキリスト教の側から見ますと、心霊主義は自分達の主張だけが真理だと言っているように感じられてしまいます。
これでは当然、対立してしまいますから、批判は強くなるのです。
どちらかの主張が正しければ、どちらかは間違っています。
ですから、対立するのは仕方がありません。
ですが、科学という言葉を持ち出してしまいますと、対立だけでは済まなくなります。
「立証すべき」と言われてしまいます。
心霊主義(スピリチュアリズム)が科学に基づいているなどと言わずに、単なる信仰の一つであると言うならば、批判も小さくなることでしょう。
単なる信仰であるならば、信じるも、信じないも、自由なのですから、犯罪にさえ関わらなければ、他から文句を言われなくても済むのです。
もっとも、今更、そんな事を言うことはできないのでしょう。
私はそこまで危険な思想とは思えません。
どうして、そんな風に言われてしまうのでしょうか?
A: 『出る杭は打たれる』という言葉があります。
世の中で一定の勢力を持つと必ず叩かれるものです。
何の批判も受けない主義信条はまずないでしょう。
ですから、自分達が正しいと思い、正しい事をしている自信があれば、ひるむ必要はないと言えるでしょう。
ただし、シルバーバーチが批判されるのには理由があるのも確かです。
心霊主義者の中では、特に日本では、シルバーバーチは最も高級であるとすら言われています。
ところが、それはあくまでも通信の中身のことを言っているのであり、科学的に真実である、という事とは別なのです。
心霊主義(スピリチュアリズム)は科学に基づいていると主張していながら、その主張の内容自体を科学的に立証できることはありません。
それでも、他の宗教とは違い、科学的な裏付けがあるがごとしに宣伝しているという事になるのです。
霊魂を信じない人達から見れば、他の宗教と同列にあるにもかかわらず、「全く違うものだ」と嘘をついているように映るのです。
また、キリスト教を強く批判しています。
それをキリスト教の側から見ますと、心霊主義は自分達の主張だけが真理だと言っているように感じられてしまいます。
これでは当然、対立してしまいますから、批判は強くなるのです。
どちらかの主張が正しければ、どちらかは間違っています。
ですから、対立するのは仕方がありません。
ですが、科学という言葉を持ち出してしまいますと、対立だけでは済まなくなります。
「立証すべき」と言われてしまいます。
心霊主義(スピリチュアリズム)が科学に基づいているなどと言わずに、単なる信仰の一つであると言うならば、批判も小さくなることでしょう。
単なる信仰であるならば、信じるも、信じないも、自由なのですから、犯罪にさえ関わらなければ、他から文句を言われなくても済むのです。
もっとも、今更、そんな事を言うことはできないのでしょう。