みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.30
A そうではありません。
原則として、無関係なのです。
けれども、個々には、そうした傾向がないとも言えません。
たとえば、ある人が誰かを殺したとします。
その殺人者は、当然、相手の家族から恨まれます。
その場合、恨んだ人の強い念が、恨まれた人の幽体に突き刺さる事があります。
その結果、その犯人の幽体は傷ついてしまいます。
それがあまりに強い影響を持つようですと、死後の世界へ入っても、その幽体の傷のために、上の世界には馴染めず、結局、下の世界に入ってしまうといった事があります。
良い事をした結果、上の世界へ行けて、悪い事をしたから下の世界へ行く、というのは基本的には間違っていますが、悪い事をすると他の人から恨まれやすいので、結果として下の世界へ行きやすいということがあるのです。
つまり、悪い事をしたから下の世界へ行くのではなく、人に恨まれるような事をしたので下の世界へ行きやすい、と言った方が正確なのです。
そうなりますと、人に分からなければ、悪い事をしても恨みを買わず、下の世界へは行かないで済む人もいます。
逆に、悪い事はしていないのに、逆恨みをされて、下の世界へ入ってしまう人も出るのです。
結局、法律に違反しようとしまいと、霊的には関係がないのです。関係があるのはむしろ、その行為による他の人達の反応なのです。
原則として、無関係なのです。
けれども、個々には、そうした傾向がないとも言えません。
たとえば、ある人が誰かを殺したとします。
その殺人者は、当然、相手の家族から恨まれます。
その場合、恨んだ人の強い念が、恨まれた人の幽体に突き刺さる事があります。
その結果、その犯人の幽体は傷ついてしまいます。
それがあまりに強い影響を持つようですと、死後の世界へ入っても、その幽体の傷のために、上の世界には馴染めず、結局、下の世界に入ってしまうといった事があります。
良い事をした結果、上の世界へ行けて、悪い事をしたから下の世界へ行く、というのは基本的には間違っていますが、悪い事をすると他の人から恨まれやすいので、結果として下の世界へ行きやすいということがあるのです。
つまり、悪い事をしたから下の世界へ行くのではなく、人に恨まれるような事をしたので下の世界へ行きやすい、と言った方が正確なのです。
そうなりますと、人に分からなければ、悪い事をしても恨みを買わず、下の世界へは行かないで済む人もいます。
逆に、悪い事はしていないのに、逆恨みをされて、下の世界へ入ってしまう人も出るのです。
結局、法律に違反しようとしまいと、霊的には関係がないのです。関係があるのはむしろ、その行為による他の人達の反応なのです。
A あります。
霊魂の世界には法則があります。
人は法則の中でしか生きられません。
どんな立派な人でも、栄養失調になれば体を壊し、悪くすると死んでしまいます。
立派な人であることと、病気や死は、関係がないのです。
それと同じで、死後の世界で使用する幽体が傷ついていれば、どんなに立派な人であっても、その幽体が過ごしやすい世界にしか入れないのです。
そして、それは決して高級な世界ではありません。
けれども、もともと高貴な魂であれば心配は要りません。
本来の魂の質が高ければ、幽体の修復につれて、自然に上の世界に住みうるようになって行きます。
霊魂の世界には法則があります。
人は法則の中でしか生きられません。
どんな立派な人でも、栄養失調になれば体を壊し、悪くすると死んでしまいます。
立派な人であることと、病気や死は、関係がないのです。
それと同じで、死後の世界で使用する幽体が傷ついていれば、どんなに立派な人であっても、その幽体が過ごしやすい世界にしか入れないのです。
そして、それは決して高級な世界ではありません。
けれども、もともと高貴な魂であれば心配は要りません。
本来の魂の質が高ければ、幽体の修復につれて、自然に上の世界に住みうるようになって行きます。
Q 先に死んだ両親や子供、伴侶に会いたい時はどうすれば良いのですか?
A 普通は会うことはできません。
霊魂の世界はそれぞれに住む世界が違います。
それは、地上のように、同じ地球の中で距離が離れているというようなことではありません。
むしろ、ぜんぜん違う宇宙にいるような感覚です。
「次元」が違う、と言ったら分かりやすいのかもしれません。
通常「死後の世界」と呼ばれる世界では、「幽体」がそれぞれに魂の質を現しており、死んだ人はそれぞれ、自分の幽体に相応しい場所に住むことになるのです。
この場合、肉親でも、親しい友人でも、死後住む世界は、その人の幽体の状況に応じて、それぞれに異なっていることが普通です。
また、神様のように高貴な霊魂が住んでいる場所へ、霊的な進歩の遅れた霊魂が住めることはないのです。
そうなりますと「霊的に同じような状況にある人」でないと会うことはできない、ということになります。
そのため、夫婦であっても、夫は上の方に住み、妻が下の方に住んでいるとか、あるいは、その逆、といったようになることがほとんどで、まず、お互いに会えることはないのです。
それでも、会える場合も全くないというわけでもありません。
たとえば、共に会いたがっている夫婦や親子がいて、その両方が比較的上の方に住んでいて、両者の霊的な成長にそれ程の差がないという場合です。
こうした場合は、先輩の霊魂に頼めば、探し出して会わせてもらえることもあるようです。
また、両者の霊的進歩に相当な差があっても、両者とも下の世界に入っていなければ、会うことは可能です。
この場合、より上の方の世界に入っている側が自分の霊的なパワーを落とすことにより、対面が可能になります。
ただし、そうした場合は、より上の世界に住む者は霊的な成長が下がるわけですから、それなりの心積もりがいります。
いずれにしても、片方でも下の方の世界に入ってしまいますと、どうにもなりません。
下の世界の住人では、なかなか上方に上がることが出来ませんし、上の霊魂が下の世界に降りることも危険です。
それでも会いたいという人もいるでしょうが、下の世界へ入ってしまった場合、所在を掴むことも、上の世界より一段と難しいようです。
A 普通は会うことはできません。
霊魂の世界はそれぞれに住む世界が違います。
それは、地上のように、同じ地球の中で距離が離れているというようなことではありません。
むしろ、ぜんぜん違う宇宙にいるような感覚です。
「次元」が違う、と言ったら分かりやすいのかもしれません。
通常「死後の世界」と呼ばれる世界では、「幽体」がそれぞれに魂の質を現しており、死んだ人はそれぞれ、自分の幽体に相応しい場所に住むことになるのです。
この場合、肉親でも、親しい友人でも、死後住む世界は、その人の幽体の状況に応じて、それぞれに異なっていることが普通です。
また、神様のように高貴な霊魂が住んでいる場所へ、霊的な進歩の遅れた霊魂が住めることはないのです。
そうなりますと「霊的に同じような状況にある人」でないと会うことはできない、ということになります。
そのため、夫婦であっても、夫は上の方に住み、妻が下の方に住んでいるとか、あるいは、その逆、といったようになることがほとんどで、まず、お互いに会えることはないのです。
それでも、会える場合も全くないというわけでもありません。
たとえば、共に会いたがっている夫婦や親子がいて、その両方が比較的上の方に住んでいて、両者の霊的な成長にそれ程の差がないという場合です。
こうした場合は、先輩の霊魂に頼めば、探し出して会わせてもらえることもあるようです。
また、両者の霊的進歩に相当な差があっても、両者とも下の世界に入っていなければ、会うことは可能です。
この場合、より上の方の世界に入っている側が自分の霊的なパワーを落とすことにより、対面が可能になります。
ただし、そうした場合は、より上の世界に住む者は霊的な成長が下がるわけですから、それなりの心積もりがいります。
いずれにしても、片方でも下の方の世界に入ってしまいますと、どうにもなりません。
下の世界の住人では、なかなか上方に上がることが出来ませんし、上の霊魂が下の世界に降りることも危険です。
それでも会いたいという人もいるでしょうが、下の世界へ入ってしまった場合、所在を掴むことも、上の世界より一段と難しいようです。
2014.01.31
Q 臨死体験をした人達は死後の世界を見て来たのですか?
A いいえ、そうではありません。
臨死体験をした人というのは、霊魂学では、まだ死んでいない人達なので、死後生活する世界を見て来られるわけではありません。
医学的な死の決定は「心臓が止まったり、脳が停止したりする」と「死」としているようです。
ところが、霊魂学ではそうではありません。
霊魂学では、「死後使用する身体である幽体が肉体から離れて戻れなくなった状態」を「死」と言います。
幽体は、その一部が肉体からずれたり、完全に肉体から出てしまっても、まだ元に戻り得る可能性がある時があります。
そうした状態は、霊的には人は死んでいないのです。
つまり、一見死んだように見える人が再び生き返ったというような場合は、幽体が肉体に戻り得る状態だったのであって、その人は霊的には死んでいなかったのです。
さらに細かくいうと、幽体と肉体は少しくらいずれても紐でつながっていると想像してみてください。
その紐が切れた時が霊的な死なのです。
そして、紐が切れていない人は、まだ、肉体に戻る可能性があるということになるのです。
つまり、臨死体験をした人達というのは、誰でも皆、最終的には肉体に戻っていますので、霊的にはまだ肉体と完全な分離をしていなかった人達なのです。
幽体が肉体から完全に分離しなければ、普通は死後に生活する世界へは入れないそうです。
ですから、臨死体験をした人達が花畑を見たとか、とても綺麗な所へ行って来たとか、いろいろ体験を語られていますが、それはどうも、本当に死んでから、その人が住む世界ではないようです。
ですから、臨死体験をした人達が本当に他界された場合、その人達が想像しているような美しい世界へ住めるとは限らないのです。
実際は、もっと悲しく、苦しく、暗い世界に住むことになる可能性も充分あるのです。
Q では、臨死体験をしたという人達が共通して、死は怖くない、と言ってらっしゃるのは、間違いですか。
A そうではありません。
臨死体験が本当の死の体験ではなくても、死そのものは肉体を脱ぎ捨てて幽体の存在になることですから、本来、怖いことではありません。
Q では、臨死体験は貴重な体験ではあるのでしょうが、死後の世界の探求には役立たないというわけですね。
A 残念ながらそういうことです。
A いいえ、そうではありません。
臨死体験をした人というのは、霊魂学では、まだ死んでいない人達なので、死後生活する世界を見て来られるわけではありません。
医学的な死の決定は「心臓が止まったり、脳が停止したりする」と「死」としているようです。
ところが、霊魂学ではそうではありません。
霊魂学では、「死後使用する身体である幽体が肉体から離れて戻れなくなった状態」を「死」と言います。
幽体は、その一部が肉体からずれたり、完全に肉体から出てしまっても、まだ元に戻り得る可能性がある時があります。
そうした状態は、霊的には人は死んでいないのです。
つまり、一見死んだように見える人が再び生き返ったというような場合は、幽体が肉体に戻り得る状態だったのであって、その人は霊的には死んでいなかったのです。
さらに細かくいうと、幽体と肉体は少しくらいずれても紐でつながっていると想像してみてください。
その紐が切れた時が霊的な死なのです。
そして、紐が切れていない人は、まだ、肉体に戻る可能性があるということになるのです。
つまり、臨死体験をした人達というのは、誰でも皆、最終的には肉体に戻っていますので、霊的にはまだ肉体と完全な分離をしていなかった人達なのです。
幽体が肉体から完全に分離しなければ、普通は死後に生活する世界へは入れないそうです。
ですから、臨死体験をした人達が花畑を見たとか、とても綺麗な所へ行って来たとか、いろいろ体験を語られていますが、それはどうも、本当に死んでから、その人が住む世界ではないようです。
ですから、臨死体験をした人達が本当に他界された場合、その人達が想像しているような美しい世界へ住めるとは限らないのです。
実際は、もっと悲しく、苦しく、暗い世界に住むことになる可能性も充分あるのです。
Q では、臨死体験をしたという人達が共通して、死は怖くない、と言ってらっしゃるのは、間違いですか。
A そうではありません。
臨死体験が本当の死の体験ではなくても、死そのものは肉体を脱ぎ捨てて幽体の存在になることですから、本来、怖いことではありません。
Q では、臨死体験は貴重な体験ではあるのでしょうが、死後の世界の探求には役立たないというわけですね。
A 残念ながらそういうことです。
2014.01.31
Q 他のコーナーに出ていた事を総合しますと、死後、上の方の世界へ行くためには、幽体を強化するのが最善だ、とありました。
それには、霊的トレーニング、特に「神伝鎮魂法」が良い、とありました。
それでは、霊的トレーニングをした人は誰でも死後は上の世界へ行けるのですか?
A まず間違いなく、そうなります。
幽体の善し悪しが、その人の住む環境を決める事は何度か述べたとおりです。
ですから、そのためのトレーニングをする事が最善なのです。
もちろん、人によっては、必ずしも熱心でなく、いいかげんに行なったり、注意事項を守らなかったりという方もいるでしょうから、全員が上の世界へ行ける、とは言い切れません。
それでも、受験やスポーツを考えていただけば分かるとおり、合格しうるだけの訓練を積んできた人は、アクシデントさえなければ、合格する可能性は高い、と言えます。
そこまで訓練をしてこなかった人は、合格する可能性はまずありません。
ただし、世の中には、稀な例もあって、合格するには少し訓練が足りなかった人であっても、いろいろな条件が重なって合格するということもあります。
またその逆に、不合格になる事もあります。
つまり、訓練をしているから絶対に、というようなことまでは言い切れません。
が、少なくとも、全く勉強していない人が実力で一流校に入れる事は、まずないことです。
同じように、全く幽体を強化していない人が上の世界へ入れるという事は、ありえないことなのです。
通常の場合は、幽体の性質だけを見れば、死後どのような世界へ入るかは、大体分かるのですが、厳密には、多少変動があります。
といいますのは、死の直前になってから、誰かに激しい憎悪を抱かれて強い念を受けてしまったとか、まるで交通事故のようにして悪い霊魂に侵入されてしまった、というようなアクシデントがあった場合は、予定通りとは行かなくなるのです。
また、少し幽体の成長が足りない、と思われた人であっても、死の直前に、いわば救世主のような立派な人と対面し、何か特別な霊的な力を受けた、というような場合も考えられます。
こうした人は幽体に、いわば栄養を貰ったようなものですから、一時的ではあっても幽体が、その分、強化されると推測されます。
ですから、実際には、他界してみるまで、絶対にこうだ、というようなことは言えないのです。
それでも、そういった特例的なことがなければ、幽体の状況で、大体のことが分かるのです。
これからの霊に関する研究は、幽体というものに注目していただきたい、と考えています。
それには、霊的トレーニング、特に「神伝鎮魂法」が良い、とありました。
それでは、霊的トレーニングをした人は誰でも死後は上の世界へ行けるのですか?
A まず間違いなく、そうなります。
幽体の善し悪しが、その人の住む環境を決める事は何度か述べたとおりです。
ですから、そのためのトレーニングをする事が最善なのです。
もちろん、人によっては、必ずしも熱心でなく、いいかげんに行なったり、注意事項を守らなかったりという方もいるでしょうから、全員が上の世界へ行ける、とは言い切れません。
それでも、受験やスポーツを考えていただけば分かるとおり、合格しうるだけの訓練を積んできた人は、アクシデントさえなければ、合格する可能性は高い、と言えます。
そこまで訓練をしてこなかった人は、合格する可能性はまずありません。
ただし、世の中には、稀な例もあって、合格するには少し訓練が足りなかった人であっても、いろいろな条件が重なって合格するということもあります。
またその逆に、不合格になる事もあります。
つまり、訓練をしているから絶対に、というようなことまでは言い切れません。
が、少なくとも、全く勉強していない人が実力で一流校に入れる事は、まずないことです。
同じように、全く幽体を強化していない人が上の世界へ入れるという事は、ありえないことなのです。
通常の場合は、幽体の性質だけを見れば、死後どのような世界へ入るかは、大体分かるのですが、厳密には、多少変動があります。
といいますのは、死の直前になってから、誰かに激しい憎悪を抱かれて強い念を受けてしまったとか、まるで交通事故のようにして悪い霊魂に侵入されてしまった、というようなアクシデントがあった場合は、予定通りとは行かなくなるのです。
また、少し幽体の成長が足りない、と思われた人であっても、死の直前に、いわば救世主のような立派な人と対面し、何か特別な霊的な力を受けた、というような場合も考えられます。
こうした人は幽体に、いわば栄養を貰ったようなものですから、一時的ではあっても幽体が、その分、強化されると推測されます。
ですから、実際には、他界してみるまで、絶対にこうだ、というようなことは言えないのです。
それでも、そういった特例的なことがなければ、幽体の状況で、大体のことが分かるのです。
これからの霊に関する研究は、幽体というものに注目していただきたい、と考えています。