みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.02.02
★霊魂はあるのでしょうか、ないのでしょうか。
霊魂の存在の有無を論じる人達は大勢います。
ですが、肯定派と否定派は常にいて、いつも平行線で終わります。
それは、ある意味、仕方のない事です。
なぜならば、仮に霊魂が実在するとしても、それを立証する事ができないからなのです。
立証できない事をいくら「ある」と言っても、否定する人達が納得するはずがありません。
何かしら科学では有り得ない不可解な現象が起きても、偶然であるとか、まだ解明できないだけであるとか、言われてしまいます。
仮に物理的には絶対に有り得ない現象が起きたとします。
例えば、霊魂が霊能力者の口を借りて、誰も知らない事を指摘し、それが本当だという事が判明したとします。
その場合、その現象が起きた事だけは誰も否定できないとします。
そのような時、霊魂肯定派は、これで霊魂の実在が証明できたと喜ぶかもしれません。
けれども、現実はそんなに甘くありません。
霊魂を否定する人達は、それが霊魂であるとするのは、飛躍し過ぎた仮説だと言います。
それよりも人の脳には、まだ科学では解明できない未知の部分があり、それは脳の能力にすぎないのだ、と言うことでしょう。
そして、霊魂などあるはすがないのだから、と堂々と主張するに違いないのです。
つまり、何かしら超常的な現象が起きても、それが霊魂であるとの立証は無理なのです。誰もその霊魂を見る事が出来ないのですから。
必ず、まだ発見できない何かだ、と主張されてしまうのです。
ですから、私達はそうした不毛な議論に大事な時間を労するよりも、まずは、肯定し得る人達に、より真実に近い霊魂を知ってほしいと考えているのです。
そのため、このHP(PC版 霊をさぐる)は霊魂を信じる事を前提として作られています。
霊魂を全く認めない人にとっては絵空事であるのは仕方がありません。
そうした人達は初めから、こうしたHP(PC版 霊をさぐる)はご覧にならないでしょう。
関心の有る人達がご覧になられる事を願っております。
霊魂の存在の有無を論じる人達は大勢います。
ですが、肯定派と否定派は常にいて、いつも平行線で終わります。
それは、ある意味、仕方のない事です。
なぜならば、仮に霊魂が実在するとしても、それを立証する事ができないからなのです。
立証できない事をいくら「ある」と言っても、否定する人達が納得するはずがありません。
何かしら科学では有り得ない不可解な現象が起きても、偶然であるとか、まだ解明できないだけであるとか、言われてしまいます。
仮に物理的には絶対に有り得ない現象が起きたとします。
例えば、霊魂が霊能力者の口を借りて、誰も知らない事を指摘し、それが本当だという事が判明したとします。
その場合、その現象が起きた事だけは誰も否定できないとします。
そのような時、霊魂肯定派は、これで霊魂の実在が証明できたと喜ぶかもしれません。
けれども、現実はそんなに甘くありません。
霊魂を否定する人達は、それが霊魂であるとするのは、飛躍し過ぎた仮説だと言います。
それよりも人の脳には、まだ科学では解明できない未知の部分があり、それは脳の能力にすぎないのだ、と言うことでしょう。
そして、霊魂などあるはすがないのだから、と堂々と主張するに違いないのです。
つまり、何かしら超常的な現象が起きても、それが霊魂であるとの立証は無理なのです。誰もその霊魂を見る事が出来ないのですから。
必ず、まだ発見できない何かだ、と主張されてしまうのです。
ですから、私達はそうした不毛な議論に大事な時間を労するよりも、まずは、肯定し得る人達に、より真実に近い霊魂を知ってほしいと考えているのです。
そのため、このHP(PC版 霊をさぐる)は霊魂を信じる事を前提として作られています。
霊魂を全く認めない人にとっては絵空事であるのは仕方がありません。
そうした人達は初めから、こうしたHP(PC版 霊をさぐる)はご覧にならないでしょう。
関心の有る人達がご覧になられる事を願っております。
2014.02.02
霊魂を語る人達は大勢います。
そうなりますと、どの主張を信じればよいのか分からない、そう思う人も多い事でしょう。
これは大変大きな問題です。
霊魂を主張する人達の中には、詐欺をしている集団もあれば、巨大な宗教教団もあります。
更には、霊能力者一人一人の言う事が違っていたりもします。
これでは何を信じて良いのか分からないでしょう。
テレビ等で有名になっている人もいます。
では、有名だから正しいのかというと、そうとも限りません。
インターネットでは、そうした人達がニセモノであるという主張も溢れています。
これでは、霊魂の実在を信じるようになったのは良いけれども、何を学べば良いのかさっぱり分からないでしょう。
それぞれの主張が違うという事は、それぞれの人達がそれぞれに議論すると、それぞれに他を否定する事になるので、誹謗中傷合戦になりやすいということです。
そうなると、有りもしないデマが流れたりして、お互いを傷つけ合う事になってしまいます。
それでは、霊的な分野全体の為にならないと思われます。
かといって、霊的な分野には詐欺もいればニセモノもいるのは確かです。
スピリチュアルといっては、インチキな商売をしている人達もいるそうです。
そうした人達に騙される人達が出ると結局、霊的な分野は世間からつま弾きにされてしまいます。
つまり、他を決して否定しないというのでは、どの分野でも真実は示せませんし、
むしろ、それは正しい事とは言えません。
他の主張の間違いを、正々堂々と正す事も必要なのです。
しかし、ここに大きな問題があります。
それは、インチキを批判するにしても、自分達の主張もしょせんは科学的な根拠を持っていないという点にあります。
詐欺は犯罪ですから、むしろ分かりやすいのですが、霊能力のニセモノは、たとえ、間違っていても、占いが全部当たる訳ではないのと同じで、意図して間違えていなければ罪はないのです。
そうなりますと、本気で言っていても、全て間違っている自称霊能力者や、ニセモノであるけれども知識だけは立派だという人もいるかもしれず、実に複雑で難しい分野なのです。
こうした分野では、何が正しいのかをそれぞれが主張しても、お互いに根拠が示せませんので、対立すると、どうしても下品なほどの誹謗中傷合戦になってしまいます。
さりとて、それではインチキやニセモノは永遠に消えて行きません。
そうなりますと、どの主張を信じればよいのか分からない、そう思う人も多い事でしょう。
これは大変大きな問題です。
霊魂を主張する人達の中には、詐欺をしている集団もあれば、巨大な宗教教団もあります。
更には、霊能力者一人一人の言う事が違っていたりもします。
これでは何を信じて良いのか分からないでしょう。
テレビ等で有名になっている人もいます。
では、有名だから正しいのかというと、そうとも限りません。
インターネットでは、そうした人達がニセモノであるという主張も溢れています。
これでは、霊魂の実在を信じるようになったのは良いけれども、何を学べば良いのかさっぱり分からないでしょう。
それぞれの主張が違うという事は、それぞれの人達がそれぞれに議論すると、それぞれに他を否定する事になるので、誹謗中傷合戦になりやすいということです。
そうなると、有りもしないデマが流れたりして、お互いを傷つけ合う事になってしまいます。
それでは、霊的な分野全体の為にならないと思われます。
かといって、霊的な分野には詐欺もいればニセモノもいるのは確かです。
スピリチュアルといっては、インチキな商売をしている人達もいるそうです。
そうした人達に騙される人達が出ると結局、霊的な分野は世間からつま弾きにされてしまいます。
つまり、他を決して否定しないというのでは、どの分野でも真実は示せませんし、
むしろ、それは正しい事とは言えません。
他の主張の間違いを、正々堂々と正す事も必要なのです。
しかし、ここに大きな問題があります。
それは、インチキを批判するにしても、自分達の主張もしょせんは科学的な根拠を持っていないという点にあります。
詐欺は犯罪ですから、むしろ分かりやすいのですが、霊能力のニセモノは、たとえ、間違っていても、占いが全部当たる訳ではないのと同じで、意図して間違えていなければ罪はないのです。
そうなりますと、本気で言っていても、全て間違っている自称霊能力者や、ニセモノであるけれども知識だけは立派だという人もいるかもしれず、実に複雑で難しい分野なのです。
こうした分野では、何が正しいのかをそれぞれが主張しても、お互いに根拠が示せませんので、対立すると、どうしても下品なほどの誹謗中傷合戦になってしまいます。
さりとて、それではインチキやニセモノは永遠に消えて行きません。
2014.02.02
霊的な分野の主張は、霊魂学であれ、何であれ、科学で立証されていない事を語っています。
ですから、それぞれの主張は明確な根拠を持ちません。
心霊科学という分野がある、と言う人達もいます。
ですが、それは、自分達が科学であると言っているにすぎず、それ以外の科学者は誰もそれが科学だとは認めていません。
それは科学的手法で霊的分野を研究しているといえども、科学で何かを発見したとは言い切れないからなのです。
西洋においても日本においても、霊媒を使って多数の実験が行なわれました。
実験の現場では、霊的な現象が起きた、これは霊魂が起こしたに違いない、と研究者達は思いました。
しかし、しょせん霊媒も人間です。
霊媒が何を語っても、それで何かが立証できるとは言えませんし、物が動いても、それはいつも、トリックだ、と言われ続けてきました。
実際のところ、本物も居たでしょうし、トリックも有ったでしょう。
そして、その研究も霊媒が死ねば、結局それで終わりなのです。
また、人間ですので、時により能力が落ちる事もあります。
他の分野のように、どの学者もそれを認める、というような成果は結局得られないのです。
大変残念ですが、これが現実なのです。
霊媒を用いた科学的な実験は大勢の人達の関心を呼びました。
私達もその人達の努力があったからこそ、今、霊魂学に巡り合えたのかもしれません。
ですから、それは、次の世代に託すという意味で価値があったのだと思います。
残念ながら、霊的な分野は科学的な根拠を得る事はできません。
ですが、それでも今生きている間に真実が知りたいのです。
霊魂学はそんな人達の為に登場した霊魂の主張なのです。
ですから、それぞれの主張は明確な根拠を持ちません。
心霊科学という分野がある、と言う人達もいます。
ですが、それは、自分達が科学であると言っているにすぎず、それ以外の科学者は誰もそれが科学だとは認めていません。
それは科学的手法で霊的分野を研究しているといえども、科学で何かを発見したとは言い切れないからなのです。
西洋においても日本においても、霊媒を使って多数の実験が行なわれました。
実験の現場では、霊的な現象が起きた、これは霊魂が起こしたに違いない、と研究者達は思いました。
しかし、しょせん霊媒も人間です。
霊媒が何を語っても、それで何かが立証できるとは言えませんし、物が動いても、それはいつも、トリックだ、と言われ続けてきました。
実際のところ、本物も居たでしょうし、トリックも有ったでしょう。
そして、その研究も霊媒が死ねば、結局それで終わりなのです。
また、人間ですので、時により能力が落ちる事もあります。
他の分野のように、どの学者もそれを認める、というような成果は結局得られないのです。
大変残念ですが、これが現実なのです。
霊媒を用いた科学的な実験は大勢の人達の関心を呼びました。
私達もその人達の努力があったからこそ、今、霊魂学に巡り合えたのかもしれません。
ですから、それは、次の世代に託すという意味で価値があったのだと思います。
残念ながら、霊的な分野は科学的な根拠を得る事はできません。
ですが、それでも今生きている間に真実が知りたいのです。
霊魂学はそんな人達の為に登場した霊魂の主張なのです。
2014.02.02
霊魂の事や死後の世界の事を知ろうとしたら、普通の人は霊能力者に聞くか、昔からある本を読むしかありません。
ですが、どれが本当なのかがよく分かりません。
そうなると、今度は自分で知ろうとする人が現れます。
他の分野であれば、それも良い事なのでしょうが、霊魂の分野はそう簡単ではないのです。
霊魂や死後について自分で知ろうとすれば、霊能力や霊的な知覚を得なければなりません。
ところが、それは簡単ではないのです。
なぜならば、スポーツであれば、日々、練習すればよいのですが、霊的な分野では練習方法そのものが、正しいのかどうかが分からないからなのです。
一昔前には、誰でも簡単に霊能力や超能力が身に付くという本が多数出ていました。
何万部も売れたという事です。
それなのに、明らかに霊能力や超能力が付いたという人がどれだけいるでしょうか。
自分で霊感があると言う人は多数います。
ですが、そうした人達が本当に正しく霊魂や死後を捉えているのでしょうか。
そうであるならば、今、大勢の人達が死後の世界を知り、語っているはずです。
しかし、現実はそうでもないのです。
超能力と言っても、せいぜいスプーンが曲がる程度のようですし、霊感と言っても、「ここに霊がいる」と言って怖がっているのが関の山です。
とうてい、死後の世界や霊魂と人間との関係を、解き明かしたりはしていません。
むしろ、超能力や霊能力を開発するつもりでいたら、日々、何者かに見張られているとか、霊の声が聞こえるようになって眠る事もできなくなったというような、悲痛な叫びを発している人達も大勢いるのです。
精神病院に行っても、薬をもらうだけで、薬が切れたらまた聞こえてきた、ということで、会社にも行けないという人がいます。
世の中には、うまく霊能力を身に付けたという人もいらっしゃるでしょうが、大多数の人は危険と隣り合わせにいると思われるのです。
考えてみますと、人の目は、物質しか見えませんし、耳は、霊の声など聞こえないのが正常なのです。
それなのに、見えるはずのない物を見たり、聞こえるはずのない物を聞こうとすれば、肉体の諸器官や意識に変調が出るのはごく自然だと言えましょう。
それを成し遂げたという人は鼻高々かもしれません。
ですが、それはほんの一部の人達のことだと言えましょう。
成功する確率が非常に低い手術を受けるようなものかもしれません。
自分の命の為でもなく、そんなに危険な手術を受けるべきではないと言えましょう。
結局、死後の世界や霊魂の事は、自分の力で知る事がきわめて困難であると言えます。
私達には、誰かが成し得た成果を知り、そこから学び、真実を探ることがより良い方法であるようです。
ですが、どれが本当なのかがよく分かりません。
そうなると、今度は自分で知ろうとする人が現れます。
他の分野であれば、それも良い事なのでしょうが、霊魂の分野はそう簡単ではないのです。
霊魂や死後について自分で知ろうとすれば、霊能力や霊的な知覚を得なければなりません。
ところが、それは簡単ではないのです。
なぜならば、スポーツであれば、日々、練習すればよいのですが、霊的な分野では練習方法そのものが、正しいのかどうかが分からないからなのです。
一昔前には、誰でも簡単に霊能力や超能力が身に付くという本が多数出ていました。
何万部も売れたという事です。
それなのに、明らかに霊能力や超能力が付いたという人がどれだけいるでしょうか。
自分で霊感があると言う人は多数います。
ですが、そうした人達が本当に正しく霊魂や死後を捉えているのでしょうか。
そうであるならば、今、大勢の人達が死後の世界を知り、語っているはずです。
しかし、現実はそうでもないのです。
超能力と言っても、せいぜいスプーンが曲がる程度のようですし、霊感と言っても、「ここに霊がいる」と言って怖がっているのが関の山です。
とうてい、死後の世界や霊魂と人間との関係を、解き明かしたりはしていません。
むしろ、超能力や霊能力を開発するつもりでいたら、日々、何者かに見張られているとか、霊の声が聞こえるようになって眠る事もできなくなったというような、悲痛な叫びを発している人達も大勢いるのです。
精神病院に行っても、薬をもらうだけで、薬が切れたらまた聞こえてきた、ということで、会社にも行けないという人がいます。
世の中には、うまく霊能力を身に付けたという人もいらっしゃるでしょうが、大多数の人は危険と隣り合わせにいると思われるのです。
考えてみますと、人の目は、物質しか見えませんし、耳は、霊の声など聞こえないのが正常なのです。
それなのに、見えるはずのない物を見たり、聞こえるはずのない物を聞こうとすれば、肉体の諸器官や意識に変調が出るのはごく自然だと言えましょう。
それを成し遂げたという人は鼻高々かもしれません。
ですが、それはほんの一部の人達のことだと言えましょう。
成功する確率が非常に低い手術を受けるようなものかもしれません。
自分の命の為でもなく、そんなに危険な手術を受けるべきではないと言えましょう。
結局、死後の世界や霊魂の事は、自分の力で知る事がきわめて困難であると言えます。
私達には、誰かが成し得た成果を知り、そこから学び、真実を探ることがより良い方法であるようです。
2014.02.02
『心霊科学』という言葉があります。
これは、『霊媒』と呼ばれる人を使って、霊魂が実在するのかどうかという霊的な事を科学しようとした人達が使った言葉です。
つまり、科学的に霊魂を研究しようという発想です。
これは、うまく行けば実に人類にとって有用です。
しかし、現実は簡単ではありませんでした。
日本でも、何人かの有名な霊媒が現れて実験に協力したのですが、結果はむしろ、詐欺師のように言われ傷ついてしまった人もいたほどでした。
人間を使う実験というのは実に困難な事だったのです。
霊媒の回りで物が勝手に動いたり、霊と思われる存在が話したり文字を書いたりするのです。
それを霊魂のした事なのかどうかと、学者の人達が探ったわけです。
霊媒が手を使わずに、椅子や机を動かしたり、他の物品を動かしたりするという現象の場合は、トリックの可能性があります。
ですから、研究する人は常にそれを疑います。
ところが、霊媒達はいつも暗闇か薄暗い所でばかり、それを行なうのでした。
批判的な研究者達にとっては、それはどう見ても、トリックをする為に見えたのでした。
しかし、霊媒にしてみると、それはむしろ必要な条件なのでした。
物が動くのは、人体から出る『エクトプラズム』が作用して起こる現象らしいのですが、そのエクトプラズムは明るい所では使えない、という理由があったのです。
しかし、それは、否定する人達には通用する理屈ではありませんでした。
否定する人達は、初めから詐欺師を見る目で霊媒を見つめています。
そんな話を鵜呑みにするはずもありません。
どれほど多くの霊魂現象と思われる事が起きても、どこかにトリックがある、という事にしかならなかったのです。
立派な霊媒とはトリックが見破りにくい霊媒だったのです。
これは、日本でも同じでした。
トリックをさせない為に、裸にされたり、口に水を入れて話せなくさせられたり、一人の人間としては屈辱的な事を要求されても、実験に応じた霊媒達は、結局、大きな成果は出せませんでした。
人類全体にとって大事な仕事と思えばこそ協力した人もいたことでしょう。
にもかかわらず、否定派からは詐欺師扱いされますし、肯定派からも、お金を取れば、売名行為だとか、真の霊媒はお金を要求しないとか言われ、軽蔑される事すらあるのでした。
貴重な時間を割いているのに、お礼さえ言わない人達の為に、大事な人生を犠牲にする人はいないでしょう。
日本ではいつの間にか、優秀な霊媒は消えて行ったのでした。
残念ながら、科学的な研究は困難だ、という事だけが分かったと言えましょう。
これは、『霊媒』と呼ばれる人を使って、霊魂が実在するのかどうかという霊的な事を科学しようとした人達が使った言葉です。
つまり、科学的に霊魂を研究しようという発想です。
これは、うまく行けば実に人類にとって有用です。
しかし、現実は簡単ではありませんでした。
日本でも、何人かの有名な霊媒が現れて実験に協力したのですが、結果はむしろ、詐欺師のように言われ傷ついてしまった人もいたほどでした。
人間を使う実験というのは実に困難な事だったのです。
霊媒の回りで物が勝手に動いたり、霊と思われる存在が話したり文字を書いたりするのです。
それを霊魂のした事なのかどうかと、学者の人達が探ったわけです。
霊媒が手を使わずに、椅子や机を動かしたり、他の物品を動かしたりするという現象の場合は、トリックの可能性があります。
ですから、研究する人は常にそれを疑います。
ところが、霊媒達はいつも暗闇か薄暗い所でばかり、それを行なうのでした。
批判的な研究者達にとっては、それはどう見ても、トリックをする為に見えたのでした。
しかし、霊媒にしてみると、それはむしろ必要な条件なのでした。
物が動くのは、人体から出る『エクトプラズム』が作用して起こる現象らしいのですが、そのエクトプラズムは明るい所では使えない、という理由があったのです。
しかし、それは、否定する人達には通用する理屈ではありませんでした。
否定する人達は、初めから詐欺師を見る目で霊媒を見つめています。
そんな話を鵜呑みにするはずもありません。
どれほど多くの霊魂現象と思われる事が起きても、どこかにトリックがある、という事にしかならなかったのです。
立派な霊媒とはトリックが見破りにくい霊媒だったのです。
これは、日本でも同じでした。
トリックをさせない為に、裸にされたり、口に水を入れて話せなくさせられたり、一人の人間としては屈辱的な事を要求されても、実験に応じた霊媒達は、結局、大きな成果は出せませんでした。
人類全体にとって大事な仕事と思えばこそ協力した人もいたことでしょう。
にもかかわらず、否定派からは詐欺師扱いされますし、肯定派からも、お金を取れば、売名行為だとか、真の霊媒はお金を要求しないとか言われ、軽蔑される事すらあるのでした。
貴重な時間を割いているのに、お礼さえ言わない人達の為に、大事な人生を犠牲にする人はいないでしょう。
日本ではいつの間にか、優秀な霊媒は消えて行ったのでした。
残念ながら、科学的な研究は困難だ、という事だけが分かったと言えましょう。