みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
(回答者 霊をさぐるPC版 管理人 と金)
Q よく、魂を進化させる、という人がいらっしゃいます。実際、それは可能なのでしょうか。
A もちろん、可能です。しかし、簡単ではありません。
つまり、霊魂によれば、人間の魂は大変奥が深く、かつ巨大なものなので、通常の人間の意識はそのほんの一部にすぎないそうです。
そのため、表面的な心をどう変えても、魂としての変化はほとんどないそうです。
人の人格が少し変わっても、魂全体の変化には及ばないようです。
例えば、幼児にもそれぞれに個性があります。いろいろなタイプの幼児がいます。
でも、だからといって、大人と同じ意識を持っている訳ではありません。
地上の人間の意識は、霊魂としての長い魂の歴史に比べると、幼児程度でしかないようです。
そのため、個々の幼児の間では、相当に差があるといっても、しょせん、大人と比べれば、幼児は幼児なのです。
人の心は肉体の脳を使用して自己を表現しています。
そのため、肉体の脳で理解出来ない事は何一つ分かりません。
そうなると、どんな天才でも霊的な事は分からないのです。
つまり、地上に居る間は普通に生きていれば、どうあがいても、魂を進化させる事は出来ないのです。
ところが、絶対に無理かというと、そうでもありません。
人間は物質の肉体を着ていますが、同時に霊的な身体をダブらせています。
そのために、肉の脳に縛られていない意識をも持っているのです。
ですから、特殊な技術をトレーニングすれば、地上にいても魂を進化させる事は可能なのです。
もっとも、それは魂としての深い部分に関わっています。
そのため、必ずしも、表面的な心には実感出来ない事でもあります。
Q 魂を進化させる方法について教えてください。
A 技術は実地でないと教えられません。
けれども、昔からあるヨーガ系の瞑想や古神道、密教などの修行でも、それらに応じた成果を得る事は可能だということは言えます。
ただし、それらは、自己流で行なう事は大変危険ですので、必ず、正しい指導者について教わる必要があります。
私はもちろん、このHP(霊をさぐる PC版)の監修者(水波一郎師)の指導する「神伝の法」が一番気に入っています。
Q 先生につかず、一人で魂を進化させる事は出来ますか。
A ブッタやイエスのような達人なら可能でしょう。
一般の人では難しいと思います。霊魂によれば、教習所で習わずに車を運転するようなものだそうです。
魂を進化させようとして、自分一人で潜在する意識に自分の目を向けてみても、正確にそれを分析する事はまず出来ません。
そのため、ノイローゼなどの心理障害を起こす危険があります。
事実、かなりの数、そうした方がいらっしゃるそうです。
また、古代から伝わる技法を一人で行ないますと、必ず、生前その技法を実修していたというような理由で、それが好きな霊魂が寄ってきます。
気が付いたら、自殺していたという事になりかねません。
魂の進化はたやすい事はありません。
いくら人間の意識には広大な可能性があると言ってみても、やはり、足し算から学んでゆかなければ、掛け算は分からないのです。
自分主義にならない事です。
人は進化途上の存在であり、完全ではないのです。
これから、たくさん学ばなければならない事があります。
大切な事は、先輩や先生に敬意を払い、教えていただくという精神を持つことです。
それがないと、必ず、悪い霊魂に寄られて駄目になると考えるべきでしょう。
Q よく、魂を進化させる、という人がいらっしゃいます。実際、それは可能なのでしょうか。
A もちろん、可能です。しかし、簡単ではありません。
つまり、霊魂によれば、人間の魂は大変奥が深く、かつ巨大なものなので、通常の人間の意識はそのほんの一部にすぎないそうです。
そのため、表面的な心をどう変えても、魂としての変化はほとんどないそうです。
人の人格が少し変わっても、魂全体の変化には及ばないようです。
例えば、幼児にもそれぞれに個性があります。いろいろなタイプの幼児がいます。
でも、だからといって、大人と同じ意識を持っている訳ではありません。
地上の人間の意識は、霊魂としての長い魂の歴史に比べると、幼児程度でしかないようです。
そのため、個々の幼児の間では、相当に差があるといっても、しょせん、大人と比べれば、幼児は幼児なのです。
人の心は肉体の脳を使用して自己を表現しています。
そのため、肉体の脳で理解出来ない事は何一つ分かりません。
そうなると、どんな天才でも霊的な事は分からないのです。
つまり、地上に居る間は普通に生きていれば、どうあがいても、魂を進化させる事は出来ないのです。
ところが、絶対に無理かというと、そうでもありません。
人間は物質の肉体を着ていますが、同時に霊的な身体をダブらせています。
そのために、肉の脳に縛られていない意識をも持っているのです。
ですから、特殊な技術をトレーニングすれば、地上にいても魂を進化させる事は可能なのです。
もっとも、それは魂としての深い部分に関わっています。
そのため、必ずしも、表面的な心には実感出来ない事でもあります。
Q 魂を進化させる方法について教えてください。
A 技術は実地でないと教えられません。
けれども、昔からあるヨーガ系の瞑想や古神道、密教などの修行でも、それらに応じた成果を得る事は可能だということは言えます。
ただし、それらは、自己流で行なう事は大変危険ですので、必ず、正しい指導者について教わる必要があります。
私はもちろん、このHP(霊をさぐる PC版)の監修者(水波一郎師)の指導する「神伝の法」が一番気に入っています。
Q 先生につかず、一人で魂を進化させる事は出来ますか。
A ブッタやイエスのような達人なら可能でしょう。
一般の人では難しいと思います。霊魂によれば、教習所で習わずに車を運転するようなものだそうです。
魂を進化させようとして、自分一人で潜在する意識に自分の目を向けてみても、正確にそれを分析する事はまず出来ません。
そのため、ノイローゼなどの心理障害を起こす危険があります。
事実、かなりの数、そうした方がいらっしゃるそうです。
また、古代から伝わる技法を一人で行ないますと、必ず、生前その技法を実修していたというような理由で、それが好きな霊魂が寄ってきます。
気が付いたら、自殺していたという事になりかねません。
魂の進化はたやすい事はありません。
いくら人間の意識には広大な可能性があると言ってみても、やはり、足し算から学んでゆかなければ、掛け算は分からないのです。
自分主義にならない事です。
人は進化途上の存在であり、完全ではないのです。
これから、たくさん学ばなければならない事があります。
大切な事は、先輩や先生に敬意を払い、教えていただくという精神を持つことです。
それがないと、必ず、悪い霊魂に寄られて駄目になると考えるべきでしょう。
2014.01.14
Q 人は修行するために生まれてきたという説を聞いた事がありますが、本当ですか?
A 厳密に言うと、それは、違います。
むしろ、生まれてきたので修行しなければならなくなったのです。
人が修行したいと思って地上に生まれるのではありません。
なぜなら、人が生まれたのは、神の意思からではなく、地上の男女の意思からだからです。
地上の男女が避妊すれば、生まれたい魂がいても生まれる事はできません。
主導権はあくまでも地上の人間にあるのです。
ただし、霊魂の側からすると、地上に生まれないとなかなか霊的に向上しにくい部分があることも事実のようです。
そのため、再度、地上に生まれざるを得ない霊魂が多いようです。
とはいっても、魂の全体が生まれる訳ではありません。
したがいまして、地上に修行するために生まれてきたのではないのですが、生まれた魂は霊的に修行しなければならないテーマを持っていると言えばより適切だと思えます。
Q それは、心の修行でも良いのですか。
A それだけではとうてい無理です。
心は通常の場合、地上に生まれてからの記憶しかない意識です。
地上に生まれる前から持っているテーマを理解している訳ではありません。
ですから、どんなに心が成長して人格者になったとしても、それで生まれる以前の記憶の心情に基づく意識が変化する事はないのです。
残念ながら、特別な霊的訓練を実習しない限り、そうしたテーマを解消する事はまずできません。
Q では、人は、霊的トレーニングなしでは、生きる意味がないのではありませんか。
A そうでもありません。
地上に生まれてしまった魂の霊的なテーマは、霊魂の世界では解消いにくい未熟な心情にあります。
それは、物質の世界ならではの経験の中で作り上げられた心情です。
そのために、仕事や結婚といった地上的な生活の中で、かつての傷ついた心理が癒されたりする事もあります。
ですから、それでも立派な修行なのです。
Q では、生活の中で修行すれば良いのですか。
A 建て前はそうです。
でも、現実的にはほとんど無理です。
霊魂の世界の生活を経てもずっと、解消されないような心情は単純なものではありません。
大変強い心理です。
むしろ、そうした心理の影響で不幸になる人の方が多いそうです。
Q では、どうすれば良いのですか。
A 真言宗なら、密教の修行をなさるのではないでしょうか。
そうした修行を望まれない方には、親鸞聖人は阿弥陀如来に念仏を唱える事を勧めておられます。
手段に関してはいろいろな考え方があると思います。
ただ、いずれにしても、どんなに立派な教えを書いた本があったとしても、本を読んで生活を正すだけでは、表面的な心の成長にとどまり、霊的なテーマを解決する事はできないということです。
正しい霊的修行法を指導なさる先生や団体が、数多く世に出る事が望まれます。
Q このHP(霊をさぐる PC版)が推奨する霊的トレーニングはそうした事を考慮して行なっているのですか。
A そうです。我田引水になりそうですが、私はそれが一番良いと思っています。
そう思っていなければ、実習はしません。
Q 分かりました。
A 厳密に言うと、それは、違います。
むしろ、生まれてきたので修行しなければならなくなったのです。
人が修行したいと思って地上に生まれるのではありません。
なぜなら、人が生まれたのは、神の意思からではなく、地上の男女の意思からだからです。
地上の男女が避妊すれば、生まれたい魂がいても生まれる事はできません。
主導権はあくまでも地上の人間にあるのです。
ただし、霊魂の側からすると、地上に生まれないとなかなか霊的に向上しにくい部分があることも事実のようです。
そのため、再度、地上に生まれざるを得ない霊魂が多いようです。
とはいっても、魂の全体が生まれる訳ではありません。
したがいまして、地上に修行するために生まれてきたのではないのですが、生まれた魂は霊的に修行しなければならないテーマを持っていると言えばより適切だと思えます。
Q それは、心の修行でも良いのですか。
A それだけではとうてい無理です。
心は通常の場合、地上に生まれてからの記憶しかない意識です。
地上に生まれる前から持っているテーマを理解している訳ではありません。
ですから、どんなに心が成長して人格者になったとしても、それで生まれる以前の記憶の心情に基づく意識が変化する事はないのです。
残念ながら、特別な霊的訓練を実習しない限り、そうしたテーマを解消する事はまずできません。
Q では、人は、霊的トレーニングなしでは、生きる意味がないのではありませんか。
A そうでもありません。
地上に生まれてしまった魂の霊的なテーマは、霊魂の世界では解消いにくい未熟な心情にあります。
それは、物質の世界ならではの経験の中で作り上げられた心情です。
そのために、仕事や結婚といった地上的な生活の中で、かつての傷ついた心理が癒されたりする事もあります。
ですから、それでも立派な修行なのです。
Q では、生活の中で修行すれば良いのですか。
A 建て前はそうです。
でも、現実的にはほとんど無理です。
霊魂の世界の生活を経てもずっと、解消されないような心情は単純なものではありません。
大変強い心理です。
むしろ、そうした心理の影響で不幸になる人の方が多いそうです。
Q では、どうすれば良いのですか。
A 真言宗なら、密教の修行をなさるのではないでしょうか。
そうした修行を望まれない方には、親鸞聖人は阿弥陀如来に念仏を唱える事を勧めておられます。
手段に関してはいろいろな考え方があると思います。
ただ、いずれにしても、どんなに立派な教えを書いた本があったとしても、本を読んで生活を正すだけでは、表面的な心の成長にとどまり、霊的なテーマを解決する事はできないということです。
正しい霊的修行法を指導なさる先生や団体が、数多く世に出る事が望まれます。
Q このHP(霊をさぐる PC版)が推奨する霊的トレーニングはそうした事を考慮して行なっているのですか。
A そうです。我田引水になりそうですが、私はそれが一番良いと思っています。
そう思っていなければ、実習はしません。
Q 分かりました。
2014.01.15
Q 修行に霊は関係ありますか。
A 修行の種類によります。
大勢の霊魂が関与する修行法とそれ程でもないものがあります。
Q どうしてですか。
A 高級霊魂は人間の自由意思を重んじます。
そのため、呼ばれると大勢来ますが、そうでないと、寄ってきません。
特に、それを拒絶する修行法の場合は、残念ながら、眺める事もあまりありません。
Q そうすると、霊を認めない人達の行なう修行には霊は寄らないのですか。
A そうとも限りません。寄らないのはあくまでも高級霊魂です。
意識の低い霊魂は人の自由意思を無視しますので、いつでも寄ってきます。
Q それでは、霊を無視する修行は危険ではありませんか。
A 危険です。
ただし、低い霊魂が来なければ問題ありません。
Q では、高級な霊魂が大勢来てもらえると、どんな事が良いのですか。
A 多数あります。
一つ紹介すると、例えば人間の幽的な体、つまり、死後の世界で使う身体に高級な力が入るので、死後の世界では高い世界に入りやすくなります。
また、幽体が強化されると、幽体から出るオーラが強くなりますので、守護霊、指導霊とも霊的に接近します。
その他、いろいろです。
Q 修行の最中に霊が何かをするのですか。
A もちろんです。ただ見ていても意味がありません。
しかし、そのためには、単に滝に打たれるといったような単純な修行ではいけません。
霊的な指導者に作法を学ぶ必要があります。
Q それは低い霊魂に狙われて危険だからですか。
A それもありますが、作法一つにでも意味があるからです。
つまり、霊魂は物質の目を持っていません。
そのために、修行する人があまりよく見えていないのです。
ですから、手を動かしたり、言葉を出したりといった作法がないと、人間に正しく関与出来ないのです。
達人からきちんと習った作法でないと、高級霊魂の力を受ける事は出来ないのです。
Q 分かりました。また、もっと、深く教えてください。
A 修行の種類によります。
大勢の霊魂が関与する修行法とそれ程でもないものがあります。
Q どうしてですか。
A 高級霊魂は人間の自由意思を重んじます。
そのため、呼ばれると大勢来ますが、そうでないと、寄ってきません。
特に、それを拒絶する修行法の場合は、残念ながら、眺める事もあまりありません。
Q そうすると、霊を認めない人達の行なう修行には霊は寄らないのですか。
A そうとも限りません。寄らないのはあくまでも高級霊魂です。
意識の低い霊魂は人の自由意思を無視しますので、いつでも寄ってきます。
Q それでは、霊を無視する修行は危険ではありませんか。
A 危険です。
ただし、低い霊魂が来なければ問題ありません。
Q では、高級な霊魂が大勢来てもらえると、どんな事が良いのですか。
A 多数あります。
一つ紹介すると、例えば人間の幽的な体、つまり、死後の世界で使う身体に高級な力が入るので、死後の世界では高い世界に入りやすくなります。
また、幽体が強化されると、幽体から出るオーラが強くなりますので、守護霊、指導霊とも霊的に接近します。
その他、いろいろです。
Q 修行の最中に霊が何かをするのですか。
A もちろんです。ただ見ていても意味がありません。
しかし、そのためには、単に滝に打たれるといったような単純な修行ではいけません。
霊的な指導者に作法を学ぶ必要があります。
Q それは低い霊魂に狙われて危険だからですか。
A それもありますが、作法一つにでも意味があるからです。
つまり、霊魂は物質の目を持っていません。
そのために、修行する人があまりよく見えていないのです。
ですから、手を動かしたり、言葉を出したりといった作法がないと、人間に正しく関与出来ないのです。
達人からきちんと習った作法でないと、高級霊魂の力を受ける事は出来ないのです。
Q 分かりました。また、もっと、深く教えてください。
Q 神伝の法について、簡単に説明してください。
A 神伝の法とは読んで字のごとく、神様、神霊から伝えられた法という意味です。
従いまして、神霊、又は神霊に仕える高貴な霊魂から教わった、あるいは指導していただいた霊的な修行法や技術等を言います。
私の場合は、富士山に霊的な力を降ろされた神霊と神霊に仕える高貴な霊魂から、直接、教わった技術です。
Q 神伝禊法、 神伝鎮魂法、 神伝帰神法などですね。
A そうです。
禊法や鎮魂法、帰神法は古くから日本にありました。
しかし、私の指導している修行法は、霊魂の教示により、現代の人のために新たに作成した独自の修行法です。
現代人は昔の人のように、山に籠って修行する訳にはいきません。
ですから、家庭でもできるように考えてあります。
禊といっても、ただ水を被るといったものではなく、初伝は水の行ですが、次伝は光の禊、中伝は風の禊、そして、霊の禊、神の禊へと進む五段階の禊です。
Q 現代では誰も行なっていない禊ですね。
A そうです。古代には似た禊があったと思います。
しかし、現代ではもうないでしょう。
また、あったとしても、私の場合は、独自の体系です。
Q 神伝禊法とは簡単に言うと、「魂を進化させる技法」で良いでしょうか。
A そうです。
ただし、霊的なカルマの解消法でもあります。霊的なカルマに関しては、難しいので、別の機会に説明したいと思います。
Q 修行法に関しては、本がありますから、それを見ていただくとして、それ以外の技術もありますか。
A 神霊の直接的なご指示がなく、高貴な霊魂だけの関与によって出来た技術は厳密には霊伝で、神伝ではありません。
ところが、私の場合は霊魂から一つ一つ神霊のご指示かどうかを聞いておりません。
そのため、霊術などの技術は正確には神伝なのか、霊伝なのかは良く分かりません。
技術によって、違うのかもしれません。
ですから、霊術の場合、普通は神伝の法とは呼んでおりません。
ですが、私の弟子の中には、私の教えた祓いの法を、『神伝祓い』と呼んでいる場合もあります。
実際のところ、厳密に言うと、どこまでが神伝なのかは不明です。
しかし、言葉の意味を広く解釈すれば、別に間違っているとは言えません。
(霊術とは、「○○の法」というような、霊的な技の事です)
Q 先生の指導される「神伝の法」はどのようにしたら学べますか。
A 私の主宰する小さな会「契山館」で教えています。
Q 「神伝の法」は誰でも学べますか。
A いいえ、そうではありません。
Q と、おっしゃいますと。
A 不真面目な方には教えられません。
また、神霊に教わった技法ですから、修行法自体が神霊や高級霊魂の存在を前提にして体系付けられています。
ですから、そうした霊的に高貴な存在が信じられない方には教えても意味がないのです。
神伝を習うには、やはり信仰心が必要なのです。
Q 神伝の法の修行は高級霊魂に来ていただいて行なう訳ですから、それを信じなくては意味がありませんね。良く分かりました。
A 神伝の法とは読んで字のごとく、神様、神霊から伝えられた法という意味です。
従いまして、神霊、又は神霊に仕える高貴な霊魂から教わった、あるいは指導していただいた霊的な修行法や技術等を言います。
私の場合は、富士山に霊的な力を降ろされた神霊と神霊に仕える高貴な霊魂から、直接、教わった技術です。
Q 神伝禊法、 神伝鎮魂法、 神伝帰神法などですね。
A そうです。
禊法や鎮魂法、帰神法は古くから日本にありました。
しかし、私の指導している修行法は、霊魂の教示により、現代の人のために新たに作成した独自の修行法です。
現代人は昔の人のように、山に籠って修行する訳にはいきません。
ですから、家庭でもできるように考えてあります。
禊といっても、ただ水を被るといったものではなく、初伝は水の行ですが、次伝は光の禊、中伝は風の禊、そして、霊の禊、神の禊へと進む五段階の禊です。
Q 現代では誰も行なっていない禊ですね。
A そうです。古代には似た禊があったと思います。
しかし、現代ではもうないでしょう。
また、あったとしても、私の場合は、独自の体系です。
Q 神伝禊法とは簡単に言うと、「魂を進化させる技法」で良いでしょうか。
A そうです。
ただし、霊的なカルマの解消法でもあります。霊的なカルマに関しては、難しいので、別の機会に説明したいと思います。
Q 修行法に関しては、本がありますから、それを見ていただくとして、それ以外の技術もありますか。
A 神霊の直接的なご指示がなく、高貴な霊魂だけの関与によって出来た技術は厳密には霊伝で、神伝ではありません。
ところが、私の場合は霊魂から一つ一つ神霊のご指示かどうかを聞いておりません。
そのため、霊術などの技術は正確には神伝なのか、霊伝なのかは良く分かりません。
技術によって、違うのかもしれません。
ですから、霊術の場合、普通は神伝の法とは呼んでおりません。
ですが、私の弟子の中には、私の教えた祓いの法を、『神伝祓い』と呼んでいる場合もあります。
実際のところ、厳密に言うと、どこまでが神伝なのかは不明です。
しかし、言葉の意味を広く解釈すれば、別に間違っているとは言えません。
(霊術とは、「○○の法」というような、霊的な技の事です)
Q 先生の指導される「神伝の法」はどのようにしたら学べますか。
A 私の主宰する小さな会「契山館」で教えています。
Q 「神伝の法」は誰でも学べますか。
A いいえ、そうではありません。
Q と、おっしゃいますと。
A 不真面目な方には教えられません。
また、神霊に教わった技法ですから、修行法自体が神霊や高級霊魂の存在を前提にして体系付けられています。
ですから、そうした霊的に高貴な存在が信じられない方には教えても意味がないのです。
神伝を習うには、やはり信仰心が必要なのです。
Q 神伝の法の修行は高級霊魂に来ていただいて行なう訳ですから、それを信じなくては意味がありませんね。良く分かりました。
2014.01.15
霊的なトレーニングは、霊的な生命体の実在を前提としています。
そのため、たとえば、瞑目一つするにしても、他の修行とは考え方が違います。
このページでは、そんな実例を紹介します。
私のこれまでの少ない経験の中でも、特に印象的だったのは、高級な霊魂がいかに人間の自由意思を尊重するかということでした。
特に、霊魂の指導で出来た修行法であるにも関わらず、高級霊魂が地上の師の考えに、たえず従っているという事でした。
霊魂は高級になればなるほど意識も凄まじく高いので、地上の人間は幼い子供のように見えると思えます。
何しろ、肉体の脳でしか意識を表現できないのですから、両者の間にはどれほどの距離があるか分かりません。
それでも、地上では、常に人間が主で、霊魂は従なのです。
ある時、このHP(霊をさぐる PC版)の監修者(水波一郎師)が私にこう言いました。
「このまま自分が禊の指導をしていたら、誰も育たないのではないか。」
私には最初、意味が良く分かりませんでした。
しかし、しばらく話しているうちに私も納得しました。
そして、ある時から神伝禊法の研修は、日によっては天候により中止することがある、と書くことになったのでした。
それまでは、一度もそうした記述はありませんでした。
水の禊や火の禊は外で行なうので、天気が悪いとできません。
が、それまでは一度もそうした事を書いていなかったのです。
なぜなら、監修者が、どんなことがあっても必ず晴れるから、と言って、雨が降ることを全く想定していなかったからでした。
その頃、監修者は、富士の神霊の修行なので雨など霊魂が降らせるわけがない、と言っていました。
事実、いつもそのとおりなのでした。
過去一度も天候で中止になったことがなかったのです。
何度か、合宿研修の最中に台風が来たことがありました。
禊は早朝に行なっていたのですが、室内で他の技法を行なっている昼間は大雨が降り、翌日の早朝には決まって晴れて、必ず禊が出来るのでした。
禊の諸注意に加え、天候まで考慮に入れるとなると、禊を成功させるのが一層難しくなります。
水の禊は、いずれにせよ、水に入るので、霧雨や小粒の雨ならば支障はありません。
けれども、火はそうは行きません。雨はもちろん、風が強すぎても困るのです。
ところが、そのうち監修者は師として、指導に迷うようになりました。
私から見ても、修行者は先輩になるほど常に成功する師に頼ってしまい、自分達が責任を持って後輩を導く手助けをしよう、というような心理にはいつまで経っても至らないのです。
何しろ、水、火、風の禊は、これまでの10年余りの間に3泊あるいは4泊の合宿を10回程度行なっていて、一度も天候、その他による中止がないのです。
「これでは駄目だ。将来、自分がいなくても、各地で大勢の人達に神伝の法の指導をして欲しいのに、このままでは真の指導者が1人も育たない。」
監修者はそう言うと、
「これからは、天候は自然のままに、たとえ、修行といえども、人間の都合には合わせない」
「いかなる状況においても、指導者はそれぞれのレベルに応じて、最善の行動をとれるようにならないといけない。常に、私がいないと研修が出来ないのでは困る。」
そう言って、考えを変えたのでした。
それからは、(いかに遠距離から集まった人がいようとも、)3泊あるいは4泊のうち何日かは中止になっても仕方がない、という前提で修行の合宿を行なう事を会報に記すようになったのです。
そして、なるべく新しい会員達に指導を任せ、自分はそれを見つめるように態度を変えたのでした。
そんな時でした。ある霊魂が師にこう言われました。
「地上の師の考えの通りに動きます。」
私は思いました。
地上の人間はどんなに高貴になっても、肉体を持つという限界があります。
ましてや、会員達がどう動くかなど、やってみなければ分からない事です。
そのため、成功も失敗もあるのです。
それでも霊魂達は人間の自由な意思を尊重して動きます。
どうやら、そうやって、成功と失敗を繰り返さないと、人間は精神的にも霊的にも大きくなれないらしいのです。
人間には成功する自由も失敗する自由もあり、この自由に高級霊魂は干渉しないもののようなのでした。
そのため、たとえば、瞑目一つするにしても、他の修行とは考え方が違います。
このページでは、そんな実例を紹介します。
私のこれまでの少ない経験の中でも、特に印象的だったのは、高級な霊魂がいかに人間の自由意思を尊重するかということでした。
特に、霊魂の指導で出来た修行法であるにも関わらず、高級霊魂が地上の師の考えに、たえず従っているという事でした。
霊魂は高級になればなるほど意識も凄まじく高いので、地上の人間は幼い子供のように見えると思えます。
何しろ、肉体の脳でしか意識を表現できないのですから、両者の間にはどれほどの距離があるか分かりません。
それでも、地上では、常に人間が主で、霊魂は従なのです。
ある時、このHP(霊をさぐる PC版)の監修者(水波一郎師)が私にこう言いました。
「このまま自分が禊の指導をしていたら、誰も育たないのではないか。」
私には最初、意味が良く分かりませんでした。
しかし、しばらく話しているうちに私も納得しました。
そして、ある時から神伝禊法の研修は、日によっては天候により中止することがある、と書くことになったのでした。
それまでは、一度もそうした記述はありませんでした。
水の禊や火の禊は外で行なうので、天気が悪いとできません。
が、それまでは一度もそうした事を書いていなかったのです。
なぜなら、監修者が、どんなことがあっても必ず晴れるから、と言って、雨が降ることを全く想定していなかったからでした。
その頃、監修者は、富士の神霊の修行なので雨など霊魂が降らせるわけがない、と言っていました。
事実、いつもそのとおりなのでした。
過去一度も天候で中止になったことがなかったのです。
何度か、合宿研修の最中に台風が来たことがありました。
禊は早朝に行なっていたのですが、室内で他の技法を行なっている昼間は大雨が降り、翌日の早朝には決まって晴れて、必ず禊が出来るのでした。
禊の諸注意に加え、天候まで考慮に入れるとなると、禊を成功させるのが一層難しくなります。
水の禊は、いずれにせよ、水に入るので、霧雨や小粒の雨ならば支障はありません。
けれども、火はそうは行きません。雨はもちろん、風が強すぎても困るのです。
ところが、そのうち監修者は師として、指導に迷うようになりました。
私から見ても、修行者は先輩になるほど常に成功する師に頼ってしまい、自分達が責任を持って後輩を導く手助けをしよう、というような心理にはいつまで経っても至らないのです。
何しろ、水、火、風の禊は、これまでの10年余りの間に3泊あるいは4泊の合宿を10回程度行なっていて、一度も天候、その他による中止がないのです。
「これでは駄目だ。将来、自分がいなくても、各地で大勢の人達に神伝の法の指導をして欲しいのに、このままでは真の指導者が1人も育たない。」
監修者はそう言うと、
「これからは、天候は自然のままに、たとえ、修行といえども、人間の都合には合わせない」
「いかなる状況においても、指導者はそれぞれのレベルに応じて、最善の行動をとれるようにならないといけない。常に、私がいないと研修が出来ないのでは困る。」
そう言って、考えを変えたのでした。
それからは、(いかに遠距離から集まった人がいようとも、)3泊あるいは4泊のうち何日かは中止になっても仕方がない、という前提で修行の合宿を行なう事を会報に記すようになったのです。
そして、なるべく新しい会員達に指導を任せ、自分はそれを見つめるように態度を変えたのでした。
そんな時でした。ある霊魂が師にこう言われました。
「地上の師の考えの通りに動きます。」
私は思いました。
地上の人間はどんなに高貴になっても、肉体を持つという限界があります。
ましてや、会員達がどう動くかなど、やってみなければ分からない事です。
そのため、成功も失敗もあるのです。
それでも霊魂達は人間の自由な意思を尊重して動きます。
どうやら、そうやって、成功と失敗を繰り返さないと、人間は精神的にも霊的にも大きくなれないらしいのです。
人間には成功する自由も失敗する自由もあり、この自由に高級霊魂は干渉しないもののようなのでした。