みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.24
Q 「霊障(れいしょう)にあった」という話を聞く事があります。
この霊障とはいったいどのようなものなのでしょうか。
A 一口に霊障と言いましてもいろいろあります。
ですが、一般には、先祖の供養が足りなくて災いが起きたとか、古戦場の上に家を建てたら悪い事が重なって起こったとか、霊に憑かれたとか、いったように、霊的な原因で起きる災いの事を指して、「霊障」と言います。
ですが、実際の霊障とはそういったものばかりではなく、実はもっと複雑なケースの方が多いのです。
Q 具体的に教えていただけますか。
A たとえば、人の念です。
呪いを掛けるといったような極端なケースはそれほどないと思いますが、日常生活において他の人を恨んだりして、強い念を発する事は多くの人にある事だと思います。
社会人であれば、仕事上で敵対関係にある人物がいることも多いでしょうし、主婦であっても、近所に嫌な人がいたり、学校の生徒であってもいじめたり、いじめられたりと、人を恨んだり、人に対して怒ったりする事はとても多くあることだと思います。
そのような生活が年数を経ますと、多くの霊的障害が起きてくるようです。
多少、怒ったくらいでは強い念が出る事はないでしょうが、恨みに思ったりするとかなりの念が出て相手の幽体を傷つけることがあります。
ですから、霊障というのは、なにも特別な人にだけ起こるというものではないのです。
むしろ、誰にでも、ちょうど風邪をひくように頻繁に起こっている事なのです。
また、霊障の原因は人の念だけではありません。
霊魂からの念も時として霊障を起こすことがあるのです。
霊魂は人間の体に入って悪さをすると考えられがちですが、実際にはむしろ、側にいて悪戯をしたりする事が多いのです。
Q では、そうした人からの念や霊魂からの念で傷ついてしまった幽体は、一体どうなるのですか。
A 幽体が傷つくと霊的には様々な悪影響があります。(「霊的な身体」を参照)
長い間には肉体にも悪影響を及ぼすことがありますし、人間を指導してくださる高級な霊魂との接点が小さくなってしまいますので、霊的な個性としての人間にとっては、幸福とは言えない人生を歩むことになります。
Q では、そうした障害を解消する手段はありますか。
A まず、考えねばならない問題が二つあります。
一つは傷ついた幽体を修復するということ、もう一つは、根本の問題である霊障の原因を取り除くことです。
前者は「神伝の法」の実習者が習っている霊的技法によってある程度は解決できます。
ですが、後者はそうも行きません。
Q どうしてですか。
また、「ある程度解決できる」というのはどういう事ですか。
A まず、知らなければならない事は、人間からの念はいつまでたってもやまない場合があるという事とです。
つまり、人が人を強く恨むのには理由があります。
その原因がなくならなければ、いくら傷を直しても切りがないという事です。
たとえば、Aという人がBという人の子供を残酷な方法で殺害したとします。
ところが、裁判ではなぜか罪が軽かったとします。
こうした場合は、被害者の遺族は心が晴れません。いつまでたっても恨み続けます。
そうなりますと、いつまでたっても強い念が来るので、結局、何度、修復しても同じ事になるという場合があるのです。
したがいまして、こうした場合は、霊的技術にのみ頼るのではなく、深く謝罪するといった、人間同士としての解決方法も考えませんと、真の解決には至らないのです。
そうした意味では、霊魂よりも人間の方が性質(たち)が悪いという場合もあるのです。
Q では、そうした強い念がやんでいるのであれば、解決できますか。
A 霊的技法によって、霊魂や人間の念に対処したり、本人が「神伝鎮魂法の初伝」を実習することによって幽体を強化したりすることによって解決することができます。
Q では、ケースにもよると思いますが、霊障の解決には、やはり、ただ、霊術家に頼るのではなく、本人自身も努力するという姿勢が大切なのですね。
A そう思います。
この霊障とはいったいどのようなものなのでしょうか。
A 一口に霊障と言いましてもいろいろあります。
ですが、一般には、先祖の供養が足りなくて災いが起きたとか、古戦場の上に家を建てたら悪い事が重なって起こったとか、霊に憑かれたとか、いったように、霊的な原因で起きる災いの事を指して、「霊障」と言います。
ですが、実際の霊障とはそういったものばかりではなく、実はもっと複雑なケースの方が多いのです。
Q 具体的に教えていただけますか。
A たとえば、人の念です。
呪いを掛けるといったような極端なケースはそれほどないと思いますが、日常生活において他の人を恨んだりして、強い念を発する事は多くの人にある事だと思います。
社会人であれば、仕事上で敵対関係にある人物がいることも多いでしょうし、主婦であっても、近所に嫌な人がいたり、学校の生徒であってもいじめたり、いじめられたりと、人を恨んだり、人に対して怒ったりする事はとても多くあることだと思います。
そのような生活が年数を経ますと、多くの霊的障害が起きてくるようです。
多少、怒ったくらいでは強い念が出る事はないでしょうが、恨みに思ったりするとかなりの念が出て相手の幽体を傷つけることがあります。
ですから、霊障というのは、なにも特別な人にだけ起こるというものではないのです。
むしろ、誰にでも、ちょうど風邪をひくように頻繁に起こっている事なのです。
また、霊障の原因は人の念だけではありません。
霊魂からの念も時として霊障を起こすことがあるのです。
霊魂は人間の体に入って悪さをすると考えられがちですが、実際にはむしろ、側にいて悪戯をしたりする事が多いのです。
Q では、そうした人からの念や霊魂からの念で傷ついてしまった幽体は、一体どうなるのですか。
A 幽体が傷つくと霊的には様々な悪影響があります。(「霊的な身体」を参照)
長い間には肉体にも悪影響を及ぼすことがありますし、人間を指導してくださる高級な霊魂との接点が小さくなってしまいますので、霊的な個性としての人間にとっては、幸福とは言えない人生を歩むことになります。
Q では、そうした障害を解消する手段はありますか。
A まず、考えねばならない問題が二つあります。
一つは傷ついた幽体を修復するということ、もう一つは、根本の問題である霊障の原因を取り除くことです。
前者は「神伝の法」の実習者が習っている霊的技法によってある程度は解決できます。
ですが、後者はそうも行きません。
Q どうしてですか。
また、「ある程度解決できる」というのはどういう事ですか。
A まず、知らなければならない事は、人間からの念はいつまでたってもやまない場合があるという事とです。
つまり、人が人を強く恨むのには理由があります。
その原因がなくならなければ、いくら傷を直しても切りがないという事です。
たとえば、Aという人がBという人の子供を残酷な方法で殺害したとします。
ところが、裁判ではなぜか罪が軽かったとします。
こうした場合は、被害者の遺族は心が晴れません。いつまでたっても恨み続けます。
そうなりますと、いつまでたっても強い念が来るので、結局、何度、修復しても同じ事になるという場合があるのです。
したがいまして、こうした場合は、霊的技術にのみ頼るのではなく、深く謝罪するといった、人間同士としての解決方法も考えませんと、真の解決には至らないのです。
そうした意味では、霊魂よりも人間の方が性質(たち)が悪いという場合もあるのです。
Q では、そうした強い念がやんでいるのであれば、解決できますか。
A 霊的技法によって、霊魂や人間の念に対処したり、本人が「神伝鎮魂法の初伝」を実習することによって幽体を強化したりすることによって解決することができます。
Q では、ケースにもよると思いますが、霊障の解決には、やはり、ただ、霊術家に頼るのではなく、本人自身も努力するという姿勢が大切なのですね。
A そう思います。
2014.02.07
『霊障(霊的障害)』といいますと、自分には関係ないものと思われがちです。
普通に生きていれば、『霊障(霊的障害)』など、ごくごく一部の、霊に憑かれやすい人達の回りだけで起こっていることなのだ、と思っている人達が多いからでしょう。
ですが、実際にはどうなのでしょうか。
また、霊に憑かれる事だけが、『霊障(霊的障害)』なのでしょうか。
先祖供養さえしていれば『霊障(霊的障害)』の心配は全くないのでしょうか。
いいえ、そうではないのです。
『霊障(霊的障害)』は、実は誰にでも起きうることなのです。
いえ、すでに起きていることがあるのです。
そして、それに気づく人もいれば、全く何も感じないまま何年も過ごしている人もいます。
私達に身近な『霊障(霊的障害)』について分かりやすくご説明してみたいと思います。
◆霊障(霊的障害)とは?
霊障とは、単に霊魂に憑かれるという事だけを指すわけではありません。
霊魂など、霊的なものが関わる事によって起きる障害なのです。
簡単に言うと、ほとんどは人間の幽体に関する病気だと思えば良いのです。
人間は肉体と同時に幽体を持っています。
そして、この幽体を持って死後の世界に旅立つわけです。
ですから、誰でも幽体を持っています。
肉体は病気になります。怪我もします。
同じように、幽体も身体ですので、不調になる事もあります。
常に好調でいられるわけではありません。
肉体は食事や運動によって健康を保っていますが、ばい菌やウイルス、あるいは、食中毒や食べ過ぎなど、様々な事が原因で病気になります。
そして、それは誰にでも起き得るのです。
心が立派な人であっても、そうでない人であっても、腐った物を食べれば誰でも食中毒になるのです。
つまり、肉体は何かしら物質が原因で病気になります。
そして、薬品など、何かしらの物質で治療します。
あるいは、手術のように身体に直接的に作用することで治療します。
私達は肉体が不調になったら、それを改善しています。
地上の人間の幽体は、肉体と重なっています。
そのため、幽体は、霊魂の世界とは違い、自由が利きません。
いつも肉体の言うなりなのです。
それだけでも、不調になりやすいのです。
たとえば、肉体は空気が汚い所には長居したくありません。
不衛生な場所にいると病気にかかるからです。
幽体も同じです。
幽気が汚い所には長居したくありません。
それでも肉体は、何もわかりませんので、ずっとそこに座っていたりするのです。
悪い霊魂が大勢いて雰囲気が悪く、気が狂いそうになっても、肉体は何も知らないので、仕事中だとばかりにそこを動いてくれません。
そのうち、幽体は悪い霊魂の幽体と接触してしまい、その悪い霊魂の身体から出ている穢れた幽気を吸ってしまい、苦しくてどうしようもなくても、肉体は何も知らず、まだ仕事中だったりするのです。
幽体はだんだん不調になって行きます。
その人は悪い霊魂に憑かれたわけではないのです。
たまたま幽体同士が接触しただけなのです。
その悪い霊魂とはその後、何の縁もありません。
それでも、その日からその人の幽体は不調を背負う事になってしまうのです。
その人の心が汚かったわけではありませんし、マイナス思考だったわけでもありません。
普通に仕事をしたり、娯楽を楽しんだりしていただけなのです。
ただ運が悪く、たとえれば、インフルエンザのウイルスが多い場所にいただけなのです。
霊障とはそうしたものなのです。
肉体の病気と同じで、誰にでも起きうる事なのであり、心が不安定な状態の人だけに起こる事でもなければ、特別な体質の人だけに起こる事でもないのです。
普通に生きていれば、『霊障(霊的障害)』など、ごくごく一部の、霊に憑かれやすい人達の回りだけで起こっていることなのだ、と思っている人達が多いからでしょう。
ですが、実際にはどうなのでしょうか。
また、霊に憑かれる事だけが、『霊障(霊的障害)』なのでしょうか。
先祖供養さえしていれば『霊障(霊的障害)』の心配は全くないのでしょうか。
いいえ、そうではないのです。
『霊障(霊的障害)』は、実は誰にでも起きうることなのです。
いえ、すでに起きていることがあるのです。
そして、それに気づく人もいれば、全く何も感じないまま何年も過ごしている人もいます。
私達に身近な『霊障(霊的障害)』について分かりやすくご説明してみたいと思います。
◆霊障(霊的障害)とは?
霊障とは、単に霊魂に憑かれるという事だけを指すわけではありません。
霊魂など、霊的なものが関わる事によって起きる障害なのです。
簡単に言うと、ほとんどは人間の幽体に関する病気だと思えば良いのです。
人間は肉体と同時に幽体を持っています。
そして、この幽体を持って死後の世界に旅立つわけです。
ですから、誰でも幽体を持っています。
肉体は病気になります。怪我もします。
同じように、幽体も身体ですので、不調になる事もあります。
常に好調でいられるわけではありません。
肉体は食事や運動によって健康を保っていますが、ばい菌やウイルス、あるいは、食中毒や食べ過ぎなど、様々な事が原因で病気になります。
そして、それは誰にでも起き得るのです。
心が立派な人であっても、そうでない人であっても、腐った物を食べれば誰でも食中毒になるのです。
つまり、肉体は何かしら物質が原因で病気になります。
そして、薬品など、何かしらの物質で治療します。
あるいは、手術のように身体に直接的に作用することで治療します。
私達は肉体が不調になったら、それを改善しています。
地上の人間の幽体は、肉体と重なっています。
そのため、幽体は、霊魂の世界とは違い、自由が利きません。
いつも肉体の言うなりなのです。
それだけでも、不調になりやすいのです。
たとえば、肉体は空気が汚い所には長居したくありません。
不衛生な場所にいると病気にかかるからです。
幽体も同じです。
幽気が汚い所には長居したくありません。
それでも肉体は、何もわかりませんので、ずっとそこに座っていたりするのです。
悪い霊魂が大勢いて雰囲気が悪く、気が狂いそうになっても、肉体は何も知らないので、仕事中だとばかりにそこを動いてくれません。
そのうち、幽体は悪い霊魂の幽体と接触してしまい、その悪い霊魂の身体から出ている穢れた幽気を吸ってしまい、苦しくてどうしようもなくても、肉体は何も知らず、まだ仕事中だったりするのです。
幽体はだんだん不調になって行きます。
その人は悪い霊魂に憑かれたわけではないのです。
たまたま幽体同士が接触しただけなのです。
その悪い霊魂とはその後、何の縁もありません。
それでも、その日からその人の幽体は不調を背負う事になってしまうのです。
その人の心が汚かったわけではありませんし、マイナス思考だったわけでもありません。
普通に仕事をしたり、娯楽を楽しんだりしていただけなのです。
ただ運が悪く、たとえれば、インフルエンザのウイルスが多い場所にいただけなのです。
霊障とはそうしたものなのです。
肉体の病気と同じで、誰にでも起きうる事なのであり、心が不安定な状態の人だけに起こる事でもなければ、特別な体質の人だけに起こる事でもないのです。
2014.02.07
たとえば、幽体が不調になったとします。
すると、どのような不都合が起こるのでしょうか。
まず、知っておくべきことは、幽体の状態が悪くなると、幽体から出るオーラ(幽体オーラ)が伸びにくくなるという事です。
幽体の力が弱くなっているのでオーラ(幽体オーラ)も弱くなるのです。
その結果、守護霊、指導霊などの視界に入りにくくなり、むしろ、不道徳な霊魂の視界に入りやすくなります。
霊魂は肉体を持っていませんので、幽体の視力で見ます。
幽体の視力には、人間の幽体オーラが先に目に入ります。
この幽体オーラが強く伸びていると、霊魂の目にはオーラが邪魔になり、人の幽体が見えにくいらしいのです。
そのため、オーラが出ていない人ほど、不道徳な霊魂からは見えやすくなるのです。
不道徳な霊魂から見えやすくなると、霊魂に悪戯される危険が増してきます。
つまり、オーラが出ていない人ほど、不道徳な霊魂に干渉されやすくなるのです。
霊的障害が起きるのは、別に心が暗いからなのでもなく、マイナス思考だからでもないのです。
(「心の状態や性質によって寄ってくる霊魂が変わる??」を参照)
また、幽体が不調になると幽体の活力が低下しますので、『間気』という気が不足してきます。
その結果、肉体にも悪影響が出やすくなります。
肉体にたとえれば、病気になると元気もなくなりますし、食欲もなくなり、何かと活力がなくなります。
早く治さないと、別の病気を引き起こす事もあります。
一つの不調は他の部位の不調をもたらす事も有りえます。
それと同じで、幽体も一つの不調が次の不調を呼んでしまう事になりかねません。
たとえば、『間気』は、幽体と肉体を密着させている気です。
それが不足しますと、幽体と肉体の接着が弱くなり、不道徳な霊魂から見ると、より一層、悪戯しやすくなるのです。
それでも、その人は何も気付かないのです。
霊的障害と言うと、読者の皆さんは、突然、霊に憑れて、おかしな事をしゃべっているような、精神的に不安定な様子をした人を思い浮かべるのでしょう。
そうした人達の中にも霊障者は確かにいます。
ですが、ほとんどの霊的障害は、自分では何も分からないのです。
そして、周囲の人達にも何も分からないことがほとんどです。
人は、知らないうちに霊魂に干渉され、人生を不幸に誘導されていても何も気が付けないのです。
霊的障害とは、幽体など、幽的な部分が不調であることを言います。
そして、それは誰にでも起こりうることなのですが、それを本人も、周囲も、何も分からないという厄介なものなのです。
すると、どのような不都合が起こるのでしょうか。
まず、知っておくべきことは、幽体の状態が悪くなると、幽体から出るオーラ(幽体オーラ)が伸びにくくなるという事です。
幽体の力が弱くなっているのでオーラ(幽体オーラ)も弱くなるのです。
その結果、守護霊、指導霊などの視界に入りにくくなり、むしろ、不道徳な霊魂の視界に入りやすくなります。
霊魂は肉体を持っていませんので、幽体の視力で見ます。
幽体の視力には、人間の幽体オーラが先に目に入ります。
この幽体オーラが強く伸びていると、霊魂の目にはオーラが邪魔になり、人の幽体が見えにくいらしいのです。
そのため、オーラが出ていない人ほど、不道徳な霊魂からは見えやすくなるのです。
不道徳な霊魂から見えやすくなると、霊魂に悪戯される危険が増してきます。
つまり、オーラが出ていない人ほど、不道徳な霊魂に干渉されやすくなるのです。
霊的障害が起きるのは、別に心が暗いからなのでもなく、マイナス思考だからでもないのです。
(「心の状態や性質によって寄ってくる霊魂が変わる??」を参照)
また、幽体が不調になると幽体の活力が低下しますので、『間気』という気が不足してきます。
その結果、肉体にも悪影響が出やすくなります。
肉体にたとえれば、病気になると元気もなくなりますし、食欲もなくなり、何かと活力がなくなります。
早く治さないと、別の病気を引き起こす事もあります。
一つの不調は他の部位の不調をもたらす事も有りえます。
それと同じで、幽体も一つの不調が次の不調を呼んでしまう事になりかねません。
たとえば、『間気』は、幽体と肉体を密着させている気です。
それが不足しますと、幽体と肉体の接着が弱くなり、不道徳な霊魂から見ると、より一層、悪戯しやすくなるのです。
それでも、その人は何も気付かないのです。
霊的障害と言うと、読者の皆さんは、突然、霊に憑れて、おかしな事をしゃべっているような、精神的に不安定な様子をした人を思い浮かべるのでしょう。
そうした人達の中にも霊障者は確かにいます。
ですが、ほとんどの霊的障害は、自分では何も分からないのです。
そして、周囲の人達にも何も分からないことがほとんどです。
人は、知らないうちに霊魂に干渉され、人生を不幸に誘導されていても何も気が付けないのです。
霊的障害とは、幽体など、幽的な部分が不調であることを言います。
そして、それは誰にでも起こりうることなのですが、それを本人も、周囲も、何も分からないという厄介なものなのです。
2014.02.09
これまでご説明しましたように、霊的な障害は誰にでも起こり得るのですが、では、自分が霊的障害者になってしまった場合、どのようにしたら元に戻せるのでしょうか。
霊的障害のあるなしは、自分ではなかなか分かりません。
そこで専門家に霊的調査を頼む事になります。
ですが、実際には、霊に憑かれている人を浄霊します、という霊能力者は大勢いらっしゃいますが、幽体の損傷や不調、間気の不調を霊的調査しますとか、改善しますという霊能力者は聞いた事がありません。
どうしたわけか、日本の霊能力者の方は除霊とか浄霊が好きな方が多く、幽体にはほとんど関心がないようです。
というよりも、これは霊的障害というと、霊に憑かれるという現象だと決め付けてきた結果だと言えそうです。
そうした意味では、霊魂学がようやく霊的障害のもう一つの側面を開示したと言えるでしょう。
では、霊障を取り除くには、どうすれば良いのでしょうか。
どこを探しても憑依以外の霊的障害を指摘したり、改善したりしてくれたりする所は見当たりません。
少なくとも私は知りません。
このHP(霊をさぐる PC版)の監修者(水波一郎師)はそれができます。
(「霊査」参照)
ですが、一人で日本中の人を相手にすることはできません。
また、監修者も永遠に霊査を行なっていられるわけでもありません。
では、ほかに方法はないのでしょうか。実はないのです。
肉体であればレントゲンがあります。胃カメラもあります。
CTもあります。
ですが、幽体の為にはそうした物が何もありません。
霊的知覚者がいなくなると、誰にも分からないことなのです。
何の手立てもないと悲観される方もいらっしゃるかもしれませんが、HP監修者(水波一郎師)は、霊的トレーニングや霊術の体系を作られています。
霊的トレーニングを行なえば、霊的障害の予防や改善になりますし、霊術は霊的障害の改善法になるのです。
人が心を変えても、霊的障害がなくなる訳ではありません。
(「心が清らかにすると霊に憑かれない?」参照)
肉体と同じで幽体も身体なのです。
幽体の問題は、肉体の脳を使用する心の問題なのではなく、幽体と接する『幽気』や『念』の問題なのです。
そして、もう一つ、霊的障害の広い意味での予防法があります。
それは、霊的な環境を良くする事です。
霊的な環境が良くなれば、不道徳な霊魂も少なくなり、霊的障害も減少するのです。
また、人間関係の改善も広い意味での予防法の一つにはなります。
呪いのような強い念を出す人は、相手の人の幽体を傷つけてしまう事もあるのです。
なるべく呪いのような念を出さない事も大切な事なのです。
そういう意味での心の変革は大事と言えます。
私達にできる事は、まず、幽体の強化であると言えます。
幽体を強化する技法には、神伝鎮魂法があります。
この誰でもできる霊的技法が広まる事が強く望まれます。
(「除気」参照)
霊的障害のあるなしは、自分ではなかなか分かりません。
そこで専門家に霊的調査を頼む事になります。
ですが、実際には、霊に憑かれている人を浄霊します、という霊能力者は大勢いらっしゃいますが、幽体の損傷や不調、間気の不調を霊的調査しますとか、改善しますという霊能力者は聞いた事がありません。
どうしたわけか、日本の霊能力者の方は除霊とか浄霊が好きな方が多く、幽体にはほとんど関心がないようです。
というよりも、これは霊的障害というと、霊に憑かれるという現象だと決め付けてきた結果だと言えそうです。
そうした意味では、霊魂学がようやく霊的障害のもう一つの側面を開示したと言えるでしょう。
では、霊障を取り除くには、どうすれば良いのでしょうか。
どこを探しても憑依以外の霊的障害を指摘したり、改善したりしてくれたりする所は見当たりません。
少なくとも私は知りません。
このHP(霊をさぐる PC版)の監修者(水波一郎師)はそれができます。
(「霊査」参照)
ですが、一人で日本中の人を相手にすることはできません。
また、監修者も永遠に霊査を行なっていられるわけでもありません。
では、ほかに方法はないのでしょうか。実はないのです。
肉体であればレントゲンがあります。胃カメラもあります。
CTもあります。
ですが、幽体の為にはそうした物が何もありません。
霊的知覚者がいなくなると、誰にも分からないことなのです。
何の手立てもないと悲観される方もいらっしゃるかもしれませんが、HP監修者(水波一郎師)は、霊的トレーニングや霊術の体系を作られています。
霊的トレーニングを行なえば、霊的障害の予防や改善になりますし、霊術は霊的障害の改善法になるのです。
人が心を変えても、霊的障害がなくなる訳ではありません。
(「心が清らかにすると霊に憑かれない?」参照)
肉体と同じで幽体も身体なのです。
幽体の問題は、肉体の脳を使用する心の問題なのではなく、幽体と接する『幽気』や『念』の問題なのです。
そして、もう一つ、霊的障害の広い意味での予防法があります。
それは、霊的な環境を良くする事です。
霊的な環境が良くなれば、不道徳な霊魂も少なくなり、霊的障害も減少するのです。
また、人間関係の改善も広い意味での予防法の一つにはなります。
呪いのような強い念を出す人は、相手の人の幽体を傷つけてしまう事もあるのです。
なるべく呪いのような念を出さない事も大切な事なのです。
そういう意味での心の変革は大事と言えます。
私達にできる事は、まず、幽体の強化であると言えます。
幽体を強化する技法には、神伝鎮魂法があります。
この誰でもできる霊的技法が広まる事が強く望まれます。
(「除気」参照)
2014.02.09
霊的障害は簡単に言うと、幽体の病気や怪我のことを言います。
これは、必ずしも不道徳な霊魂が側に居なくても起きることなのです。
たとえば、排気ガスの中で暮らしている人が呼吸器を患うことがあるように、汚れた幽気の中で生活していると、幽体が不調になることがあります。
また、幽体に傷のようなものが出きる事もあります。
また、『間気』という気が身体外部に漏れることにより、霊的障害が起きる事もあります。
心霊研究で言う『エクトプラズム』が実際にあるとすれば、霊魂学で言う『間気』が身体外部に漏れたものではないかと推測されています。
実際に、同一の物であるかどうかは別としましても、心霊実験を認める人であれば、『エクトプラズム』の存在を否定する人は少ない筈です。
心霊研究では、『エクトプラズム』という半物質とも言えるものが作用して、直接談話などの様々な心霊現象が起こったとされています。
要するに、霊魂は肉体を持っていないので、人間や物に直接作用することができませんが、幽質と物質の中間的なものを使えば、物を動かしたりすることが出きるとされているのです。
それが事実であるとすれば、霊魂は『エクトプラズム』を使って人間に悪戯する事も不可能ではなくなるのです。
つまり、心霊実験を肯定するのであれば、人間は誰であっても、身体から『エクトプラズム』が漏れてしまうと、霊魂に干渉される危険があるという事になるのです。
それは、心の性質が高いとか低いとかではなく、身体そのものの問題なのです。
ですから、心霊実験を認める人達は、心ばかり強調する偽りの霊界通信に騙される事なく、心が霊的障害を引き起こすのではない、という事実を知るべきなのです。
たとえば、こんな人がいました。
どこかで霊的に穢れた幽気を多量に吸い込んでしまい、その結果として、幽体からその穢れた幽気が、出たり入ったりするような状態になっていました。
その人は、それまでとは「幽的な意味での雰囲気」が変わってしまいました。
すると、その時交際していた相手の方は、何となく、口では言えないけれども、雰囲気が変わったという違和感を感じて、自然に心が離れてしまうのでした。
二人には、お互いにそうした事は分りませんので、どうして別れることになったのかは、まるで分らないのです。
霊魂が関わっていなくても、これは立派な霊障の一つと言えるでしょう。
霊的障害は風邪を引くのと同じで、心が低いから起きるのではありませんし、心を変えたから治るのでもないのです。
病気や怪我は、薬を飲んだり手術を受けたりして治せば良いのです。
そして、何よりも、予防として、日常における健康になる為の注意が必要なのです。
それには、霊的な栄養としての「質の良い幽気」を吸収し、運動としての「幽体の育成法」を行なえば良いのです。
昔は質の良い幽気もたくさんあったのだそうです。
日本の場合で言えば、神社にも、寺にも、霊山にも、たくさんあったそうです。
ですが、今では、無信仰者が増えたためか、どこを見ても、なかなか見当たらなくなってしまったそうです。
昔は村祭りなどの生活の中でも、充分、良い幽気が吸収できたのに、今は、捜しても、なかなか見当たらないそうです。
仕方がありませんので、このHP(霊をさぐる PC版)では、『幽育』という幽体の育成法を奨励しています。
これは、必ずしも不道徳な霊魂が側に居なくても起きることなのです。
たとえば、排気ガスの中で暮らしている人が呼吸器を患うことがあるように、汚れた幽気の中で生活していると、幽体が不調になることがあります。
また、幽体に傷のようなものが出きる事もあります。
また、『間気』という気が身体外部に漏れることにより、霊的障害が起きる事もあります。
心霊研究で言う『エクトプラズム』が実際にあるとすれば、霊魂学で言う『間気』が身体外部に漏れたものではないかと推測されています。
実際に、同一の物であるかどうかは別としましても、心霊実験を認める人であれば、『エクトプラズム』の存在を否定する人は少ない筈です。
心霊研究では、『エクトプラズム』という半物質とも言えるものが作用して、直接談話などの様々な心霊現象が起こったとされています。
要するに、霊魂は肉体を持っていないので、人間や物に直接作用することができませんが、幽質と物質の中間的なものを使えば、物を動かしたりすることが出きるとされているのです。
それが事実であるとすれば、霊魂は『エクトプラズム』を使って人間に悪戯する事も不可能ではなくなるのです。
つまり、心霊実験を肯定するのであれば、人間は誰であっても、身体から『エクトプラズム』が漏れてしまうと、霊魂に干渉される危険があるという事になるのです。
それは、心の性質が高いとか低いとかではなく、身体そのものの問題なのです。
ですから、心霊実験を認める人達は、心ばかり強調する偽りの霊界通信に騙される事なく、心が霊的障害を引き起こすのではない、という事実を知るべきなのです。
たとえば、こんな人がいました。
どこかで霊的に穢れた幽気を多量に吸い込んでしまい、その結果として、幽体からその穢れた幽気が、出たり入ったりするような状態になっていました。
その人は、それまでとは「幽的な意味での雰囲気」が変わってしまいました。
すると、その時交際していた相手の方は、何となく、口では言えないけれども、雰囲気が変わったという違和感を感じて、自然に心が離れてしまうのでした。
二人には、お互いにそうした事は分りませんので、どうして別れることになったのかは、まるで分らないのです。
霊魂が関わっていなくても、これは立派な霊障の一つと言えるでしょう。
霊的障害は風邪を引くのと同じで、心が低いから起きるのではありませんし、心を変えたから治るのでもないのです。
病気や怪我は、薬を飲んだり手術を受けたりして治せば良いのです。
そして、何よりも、予防として、日常における健康になる為の注意が必要なのです。
それには、霊的な栄養としての「質の良い幽気」を吸収し、運動としての「幽体の育成法」を行なえば良いのです。
昔は質の良い幽気もたくさんあったのだそうです。
日本の場合で言えば、神社にも、寺にも、霊山にも、たくさんあったそうです。
ですが、今では、無信仰者が増えたためか、どこを見ても、なかなか見当たらなくなってしまったそうです。
昔は村祭りなどの生活の中でも、充分、良い幽気が吸収できたのに、今は、捜しても、なかなか見当たらないそうです。
仕方がありませんので、このHP(霊をさぐる PC版)では、『幽育』という幽体の育成法を奨励しています。