みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.02.16
人は皆、誰でも、悩みがあります。
その悩みは千差万別です。
一般論で語る事には無理があります。
人が置かれている状況は、それぞれに異なります。
対処の仕方も一律ではありません。
複雑な悩みを抱える現代人は、何とかそれに立ち向かおうとします。
けれども、現実は厳しいようです。
中には自殺してしまう人もいます。
こうした深くて重い苦しみを和らげる方法はないものでしょうか。
せめて、悩みを秘密厳守で聞いてくださる公共機関が増える事を期待したいと思います。
人々の悩みは多く、際限がありません。
中には、霊的な問題が関係していたり、あるいは、霊的な問題が直接の原因でなくても、霊的な対策が悩み解決の役に立つような事例も多いのです。
そして、悩みの原因は、必ずしも悪い霊魂の仕業ばかりではないのです。
このコーナーでは、霊的な分野からの対処が必要になるような悩みについて記してみたいと思います。
仕事についての悩みを霊魂学的に考えてみる
仕事の悩みは、ほとんどの人に起きるものです。
現代は、男性も女性も会社勤めをする事が多いので、この悩みを解決する事は現代人のテーマの一つであるとも言えるでしょう。
この悩みは必ずしも自分一人で解決できるものではありません。
国や産業自体が不況であったりすると、どう頑張っても解決しないというような事も起きうるからです。
不況の時代は雇用も少ないものです。
今の会社が嫌でも、簡単に次の会社に移れるとは限りません。
人の技量や性格と、採用してくれそうな会社の要望が一致しないかもしれないからです。
こうした悩みは霊魂には基本的に関係ありません。
ですが、全く何も関係ないとも言えないのです。
たとえば、今の仕事が嫌な理由が上司や同僚との人間関係にあるという場合は、その人間関係を改善できれば悩みはなくなります。
仮に上司に自分が嫌われているという時、その原因は何なのでしょうか。
性格の不一致という事もあるでしょう。
けれども、それだけで、会社を辞めたくなるほどの状況にはなりにくいものです。
他にも問題があるかもしれません。
たとえば、悩んでいる人の幽体から『幽気』という気が出ていて、その気が上司から見ると、その人の側に行きたくなくなるような気だったというケースもあります。
そのことに上司は何も気付いていませんが、上司の幽体が拒絶反応を起こしていると考えると分かりやすいでしょう。
こうしたケースでは、幽気の質を変化さする事で、問題が解決するのです。
悩みに悩んで自分の性格を変えようとしても簡単ではなく、それだけでは問題は解決しないのです。
仕事や職場の悩みは人によってそれぞれです。
人の数だけ、事情も異なります。
ですが、中には、霊的な要因が含まれている事もあるのです。
その悩みは千差万別です。
一般論で語る事には無理があります。
人が置かれている状況は、それぞれに異なります。
対処の仕方も一律ではありません。
複雑な悩みを抱える現代人は、何とかそれに立ち向かおうとします。
けれども、現実は厳しいようです。
中には自殺してしまう人もいます。
こうした深くて重い苦しみを和らげる方法はないものでしょうか。
せめて、悩みを秘密厳守で聞いてくださる公共機関が増える事を期待したいと思います。
人々の悩みは多く、際限がありません。
中には、霊的な問題が関係していたり、あるいは、霊的な問題が直接の原因でなくても、霊的な対策が悩み解決の役に立つような事例も多いのです。
そして、悩みの原因は、必ずしも悪い霊魂の仕業ばかりではないのです。
このコーナーでは、霊的な分野からの対処が必要になるような悩みについて記してみたいと思います。
仕事についての悩みを霊魂学的に考えてみる
仕事の悩みは、ほとんどの人に起きるものです。
現代は、男性も女性も会社勤めをする事が多いので、この悩みを解決する事は現代人のテーマの一つであるとも言えるでしょう。
この悩みは必ずしも自分一人で解決できるものではありません。
国や産業自体が不況であったりすると、どう頑張っても解決しないというような事も起きうるからです。
不況の時代は雇用も少ないものです。
今の会社が嫌でも、簡単に次の会社に移れるとは限りません。
人の技量や性格と、採用してくれそうな会社の要望が一致しないかもしれないからです。
こうした悩みは霊魂には基本的に関係ありません。
ですが、全く何も関係ないとも言えないのです。
たとえば、今の仕事が嫌な理由が上司や同僚との人間関係にあるという場合は、その人間関係を改善できれば悩みはなくなります。
仮に上司に自分が嫌われているという時、その原因は何なのでしょうか。
性格の不一致という事もあるでしょう。
けれども、それだけで、会社を辞めたくなるほどの状況にはなりにくいものです。
他にも問題があるかもしれません。
たとえば、悩んでいる人の幽体から『幽気』という気が出ていて、その気が上司から見ると、その人の側に行きたくなくなるような気だったというケースもあります。
そのことに上司は何も気付いていませんが、上司の幽体が拒絶反応を起こしていると考えると分かりやすいでしょう。
こうしたケースでは、幽気の質を変化さする事で、問題が解決するのです。
悩みに悩んで自分の性格を変えようとしても簡単ではなく、それだけでは問題は解決しないのです。
仕事や職場の悩みは人によってそれぞれです。
人の数だけ、事情も異なります。
ですが、中には、霊的な要因が含まれている事もあるのです。
人の人生には数え切れないほどの悩みがあります。
それらを一つ一つ取り上げていては切りがありません。
まずは、出産です。
無事に生まれてくるかどうか、五体満足かどうか、これがまず一番の心配事になります。そんな事は知ってか知らずか、とにかく無事に赤ちゃんが生まれて来たとします。
ところが、次には、この赤ちゃんがちゃんと歩けるのかどうか、あるいは、目が見えるかどうか、耳は聞こえているのかどうか、そうした事の一つ一つが心配の種になります。
そして、一つでも他の赤ちゃんと違う事でもあれば、両親は地獄の底に落とされるような絶望的な気持ちになってしまいます。
その苦しみは大変なものでしょう。
人は地上に誕生した時から、その親達に悲喜こもごもの思いを与え続ける事になるのです。
やがて赤ちゃんは幼児になります。
そして、保育園や幼稚園に通ったりします。
そこでもご両親の心配の種は尽きません。
自分の子供が他の子供に苛められてはいないだろうか。
逆に、苛めていることはないだろうか。
そうした事が日々の悩みの種になります。
人によっては、自分の子供が幼稚園で主役を貰ったばかりに、他のお母さん達から睨まれて孤立してしまう人も出ます。
もちろん、子供も毎日楽しい事ばかりではありません。
成長するにしたがい、悩みというものを抱えるようになって行くのです。
小学生になると、勉強が始まります。
他の子供よりも出来なければ、親も悩みますが、子供も悩みます。
友達に馬鹿にされたりするからです。
更には、運動能力に差がある事も知ります。
能力の高い子は生き生きとしますが、劣る子は体育が嫌いになります。
もちろん、小さいながらも男女の好き嫌いを言います。
ここでも、ライバルと対立します。
人の人生は悩みの連続です。
そして、人はそれを一つ一つ乗り越えて行くしかないのです。
徳川家康の言葉ではありませんが、人は重い荷物を背負って歩かねばならないようです。
こうした悩みを越えて大人になっても、悩みは減ることはありません。
仕事の悩み、子育ての悩み、嫁姑の悩みと、次から次へと悩みが襲って来るのです。
そして、とうとう疲れきってしまうと、人生を放棄したくなってしまうのです。
人は弱い生き物です。
もちろん、強い面もあります。
そして、個人差があります。心の強い人も大勢います。
ですが、自分の子供が先に他界しても強くいられる人は少ないでしょう。
私達は生身の人間です。
悲しい時は泣き、苦しい時は何かに縋りたいものです。
そして、その対象を宗教に見出した人は、宗教に逃げたとか、走ったとか言われて蔑まれるのです。
確かにそうした事も言えるかもしれません。
そこに救いを求めたのですから。
ですが、そうした批判は、その人達の悩みを解決できる人が言うべきことでしょう。
人が自分一人では乗り越えられない悩みを抱えた時、親や友人では解決しなかった時、いったい、どうすれば良かったのでしょうか。
そうした人は、一人、鬱病になり、その後、自殺までもしてしまうのが正しい事なのでしょうか。
犯罪集団でさえなければ、宗教で救われる事の方が、その人にとって、はるかに大きな収穫と言えるでしょう。
それは何教であろうと、悩み苦しむ人に、救いをもたらしたのであれば、それをとやかく言う権利など他の人にはないように思えます。
もちろん、月日が流れ、その人に心の余裕が生まれた時、より正しい事は何かについて考えられる事があれば幸いです。
そして、もちろん、霊魂学に行き着いていただくのが最善だと私は考えております。
霊魂、霊的な身体、霊的な気は、様々な事に深く関わっています。
出産や育児、恋愛や人間関係、そして、病気や怪我の原因にまでもなっている事があります。
まず霊魂学を知ってから生きるべき、と霊魂方はおっしゃいます。
(「人と霊の関わり」参照)
それらを一つ一つ取り上げていては切りがありません。
まずは、出産です。
無事に生まれてくるかどうか、五体満足かどうか、これがまず一番の心配事になります。そんな事は知ってか知らずか、とにかく無事に赤ちゃんが生まれて来たとします。
ところが、次には、この赤ちゃんがちゃんと歩けるのかどうか、あるいは、目が見えるかどうか、耳は聞こえているのかどうか、そうした事の一つ一つが心配の種になります。
そして、一つでも他の赤ちゃんと違う事でもあれば、両親は地獄の底に落とされるような絶望的な気持ちになってしまいます。
その苦しみは大変なものでしょう。
人は地上に誕生した時から、その親達に悲喜こもごもの思いを与え続ける事になるのです。
やがて赤ちゃんは幼児になります。
そして、保育園や幼稚園に通ったりします。
そこでもご両親の心配の種は尽きません。
自分の子供が他の子供に苛められてはいないだろうか。
逆に、苛めていることはないだろうか。
そうした事が日々の悩みの種になります。
人によっては、自分の子供が幼稚園で主役を貰ったばかりに、他のお母さん達から睨まれて孤立してしまう人も出ます。
もちろん、子供も毎日楽しい事ばかりではありません。
成長するにしたがい、悩みというものを抱えるようになって行くのです。
小学生になると、勉強が始まります。
他の子供よりも出来なければ、親も悩みますが、子供も悩みます。
友達に馬鹿にされたりするからです。
更には、運動能力に差がある事も知ります。
能力の高い子は生き生きとしますが、劣る子は体育が嫌いになります。
もちろん、小さいながらも男女の好き嫌いを言います。
ここでも、ライバルと対立します。
人の人生は悩みの連続です。
そして、人はそれを一つ一つ乗り越えて行くしかないのです。
徳川家康の言葉ではありませんが、人は重い荷物を背負って歩かねばならないようです。
こうした悩みを越えて大人になっても、悩みは減ることはありません。
仕事の悩み、子育ての悩み、嫁姑の悩みと、次から次へと悩みが襲って来るのです。
そして、とうとう疲れきってしまうと、人生を放棄したくなってしまうのです。
人は弱い生き物です。
もちろん、強い面もあります。
そして、個人差があります。心の強い人も大勢います。
ですが、自分の子供が先に他界しても強くいられる人は少ないでしょう。
私達は生身の人間です。
悲しい時は泣き、苦しい時は何かに縋りたいものです。
そして、その対象を宗教に見出した人は、宗教に逃げたとか、走ったとか言われて蔑まれるのです。
確かにそうした事も言えるかもしれません。
そこに救いを求めたのですから。
ですが、そうした批判は、その人達の悩みを解決できる人が言うべきことでしょう。
人が自分一人では乗り越えられない悩みを抱えた時、親や友人では解決しなかった時、いったい、どうすれば良かったのでしょうか。
そうした人は、一人、鬱病になり、その後、自殺までもしてしまうのが正しい事なのでしょうか。
犯罪集団でさえなければ、宗教で救われる事の方が、その人にとって、はるかに大きな収穫と言えるでしょう。
それは何教であろうと、悩み苦しむ人に、救いをもたらしたのであれば、それをとやかく言う権利など他の人にはないように思えます。
もちろん、月日が流れ、その人に心の余裕が生まれた時、より正しい事は何かについて考えられる事があれば幸いです。
そして、もちろん、霊魂学に行き着いていただくのが最善だと私は考えております。
霊魂、霊的な身体、霊的な気は、様々な事に深く関わっています。
出産や育児、恋愛や人間関係、そして、病気や怪我の原因にまでもなっている事があります。
まず霊魂学を知ってから生きるべき、と霊魂方はおっしゃいます。
(「人と霊の関わり」参照)
2014.02.16
時々、手術をするべきかどうかという相談が来る事があります。
手術しなければ命が危ない、という時には、もちろん手術を受けるべきです。
ですが、手術といっても必ずしも受けるべきかどうか悩むような手術もあります。
受けても治る可能性が少なかったり、リスクが大きかったりして、必ずしも、手術が良いとは限らないケースもあります。
こんな時、患者さんは悩んでしまいます。
手術は医学では必要不可欠な技術です。
ですが、霊的な問題はないのでしょうか。
HP監修者(水波一郎師)はこうおっしゃいました。
「手術は人を助ける為に必要である。しかし、霊的な問題も起きる」
「人々はそれを知らないでいるが、本当は霊的生命体にとっては危険な部分がある」
「たとえば、手術で体を開いた時、医師や医療関係者の『間気』が患者の身体内部に入ってしまう事がある」
「それが、幽体に違和感や拒絶反応を起こさせる事がある」
「また、手術の場に質の低い幽気を発する霊魂がいれば、その汚れた幽気が患者の身体を汚染してしまう事もある」
「こうした事は物質科学では全く分からない事である」
「確かに、手術は貴い行為であるが、同時に、常に霊的な危険を伴う行為なのである」
「よって、手術によって起きた霊的な危険を改善する為の技術が必要である」
「手術によって起きた霊的な危険を取り除かなければ、死後に使用する身体は不調を抱えてしまう」
「これは想像以上に重大な問題である」
との事でした。
霊的トレーニングを行なっている人達にとっては、手術後の改善策を受けることが常識になってきています。
思わず、霊魂学と医学が同時進行する時代を夢見てしまいました。
手術しなければ命が危ない、という時には、もちろん手術を受けるべきです。
ですが、手術といっても必ずしも受けるべきかどうか悩むような手術もあります。
受けても治る可能性が少なかったり、リスクが大きかったりして、必ずしも、手術が良いとは限らないケースもあります。
こんな時、患者さんは悩んでしまいます。
手術は医学では必要不可欠な技術です。
ですが、霊的な問題はないのでしょうか。
HP監修者(水波一郎師)はこうおっしゃいました。
「手術は人を助ける為に必要である。しかし、霊的な問題も起きる」
「人々はそれを知らないでいるが、本当は霊的生命体にとっては危険な部分がある」
「たとえば、手術で体を開いた時、医師や医療関係者の『間気』が患者の身体内部に入ってしまう事がある」
「それが、幽体に違和感や拒絶反応を起こさせる事がある」
「また、手術の場に質の低い幽気を発する霊魂がいれば、その汚れた幽気が患者の身体を汚染してしまう事もある」
「こうした事は物質科学では全く分からない事である」
「確かに、手術は貴い行為であるが、同時に、常に霊的な危険を伴う行為なのである」
「よって、手術によって起きた霊的な危険を改善する為の技術が必要である」
「手術によって起きた霊的な危険を取り除かなければ、死後に使用する身体は不調を抱えてしまう」
「これは想像以上に重大な問題である」
との事でした。
霊的トレーニングを行なっている人達にとっては、手術後の改善策を受けることが常識になってきています。
思わず、霊魂学と医学が同時進行する時代を夢見てしまいました。
2014.02.16
人は誰しも反抗期を経て大人になります。
ですから、多少の反抗は仕方がないと思われます。
ですが、中には仕方がないでは済まされないようなケースもあるようです。
家庭内暴力で家具が壊れたり、家族に生傷が絶えない、というような家庭もあるそうです。ここまで来てしまいますと、対処法は簡単ではありません。
できれば、そのようになる前に何らかの対処を考えておくべきと言えるでしょう。
思春期は、心の奥から強い衝動が沸いてきます。
その衝動は自分では止められない、と言う人も出ます。
さんざん暴れてから後で後悔する人もいるそうです。
この時期は、心を変えようにも、自分ではどうにもならないという事もあるようです。
それでも何とかしなければなりません。
公的機関や学校に相談しても、埒が明かないのが現実だそうです。
病気という診断が下れば、薬で何とかできるのでしょうが、本人が病院に行ってくれなければどうにもなりません。
ご家族の中には悪い霊魂に憑かれているのではないか、と考えられ、相談して来られる方もいらっしゃいますが、ほとんどの場合は、霊魂よりも、心の中にある、それまでに積み重なった『思い』が衝動となって爆発しているように思えます。
このような時、事態は心の問題を解決しない限り、改善しにくいのです。
ただ時間の経過を待つだけでは、家族が崩壊してしまいかねないご家庭もあるようです。
そんな時、私達はどのようにアドバイスすれば良いのでしょうか。
もちろん、霊魂学徒であれば、すぐにでも霊的トレーニングを実習すれば良いと思うことでしょう。
ですが、そうも行きません。
ほとんどの場合、子供は家族のアドバイスや勧めには耳を傾けてくれないでしょう。
暴れるご本人からの相談であれば、アドバイスも有効かもしれません。
ですが、相談はご家族からのものがほとんどです。
ですから、対処が難しいのが現実です。
除霊を頼まれましても、それは原因が違います。
ではどうすれば良いのでしょうか。
まず、家の中の質の低い幽気を除去し、霊的な環境を良くする事から始めるしかありません。
霊的な環境が悪いと、悪い霊魂や、質の低い幽気の影響を受けやすくなるからです。
霊的な環境が良くなりましたら、一時的にでも対象者のオーラを強くして霊的に高級な力の影響を受けやすくする事を考えねばなりません。
そうなれば、意識が少しずつ変化して行きます。
そのうち、ご本人がご自身を見つめる努力を始められれば、光も見えてきます。
ところが、現実はとても厳しいものです。
家の霊的環境を良くするまではできますが、思春期ともなりますと、自由意思を持つ一人の人間です。
その人の意思を無視して勝手にオーラを強くするという事はできないことなのです。
高級霊魂になれば、なるほど、個人の自由意思を尊重されます。
本人の自由意思が反対を向いているのでは、誰も何も強制できず、何一つ解決できないのです。
人生には、様々な所に霊的な事柄が影響しています。
人々はそれを知らないだけなのです。
ですから、どなたであっても霊魂学を勉強され、霊的トレーニングを実習されるべきといえます。
困った事に最大の壁は人間の自由意思なのです。
これを前にしては、霊的に高級な力は何もできなくなるのです。
※中学生なりますと、霊魂学を学びたい、と熱心に希望される方がいらっしゃいます。
中学生の方でも、契山館に入会することは可能です。
ですが、霊的トレーニングの合宿参加につきましては、宿泊を伴いますので、中学生や高校生の方などは、保護者の方の承諾を得た上で、参加していただくことになっています。
ですから、多少の反抗は仕方がないと思われます。
ですが、中には仕方がないでは済まされないようなケースもあるようです。
家庭内暴力で家具が壊れたり、家族に生傷が絶えない、というような家庭もあるそうです。ここまで来てしまいますと、対処法は簡単ではありません。
できれば、そのようになる前に何らかの対処を考えておくべきと言えるでしょう。
思春期は、心の奥から強い衝動が沸いてきます。
その衝動は自分では止められない、と言う人も出ます。
さんざん暴れてから後で後悔する人もいるそうです。
この時期は、心を変えようにも、自分ではどうにもならないという事もあるようです。
それでも何とかしなければなりません。
公的機関や学校に相談しても、埒が明かないのが現実だそうです。
病気という診断が下れば、薬で何とかできるのでしょうが、本人が病院に行ってくれなければどうにもなりません。
ご家族の中には悪い霊魂に憑かれているのではないか、と考えられ、相談して来られる方もいらっしゃいますが、ほとんどの場合は、霊魂よりも、心の中にある、それまでに積み重なった『思い』が衝動となって爆発しているように思えます。
このような時、事態は心の問題を解決しない限り、改善しにくいのです。
ただ時間の経過を待つだけでは、家族が崩壊してしまいかねないご家庭もあるようです。
そんな時、私達はどのようにアドバイスすれば良いのでしょうか。
もちろん、霊魂学徒であれば、すぐにでも霊的トレーニングを実習すれば良いと思うことでしょう。
ですが、そうも行きません。
ほとんどの場合、子供は家族のアドバイスや勧めには耳を傾けてくれないでしょう。
暴れるご本人からの相談であれば、アドバイスも有効かもしれません。
ですが、相談はご家族からのものがほとんどです。
ですから、対処が難しいのが現実です。
除霊を頼まれましても、それは原因が違います。
ではどうすれば良いのでしょうか。
まず、家の中の質の低い幽気を除去し、霊的な環境を良くする事から始めるしかありません。
霊的な環境が悪いと、悪い霊魂や、質の低い幽気の影響を受けやすくなるからです。
霊的な環境が良くなりましたら、一時的にでも対象者のオーラを強くして霊的に高級な力の影響を受けやすくする事を考えねばなりません。
そうなれば、意識が少しずつ変化して行きます。
そのうち、ご本人がご自身を見つめる努力を始められれば、光も見えてきます。
ところが、現実はとても厳しいものです。
家の霊的環境を良くするまではできますが、思春期ともなりますと、自由意思を持つ一人の人間です。
その人の意思を無視して勝手にオーラを強くするという事はできないことなのです。
高級霊魂になれば、なるほど、個人の自由意思を尊重されます。
本人の自由意思が反対を向いているのでは、誰も何も強制できず、何一つ解決できないのです。
人生には、様々な所に霊的な事柄が影響しています。
人々はそれを知らないだけなのです。
ですから、どなたであっても霊魂学を勉強され、霊的トレーニングを実習されるべきといえます。
困った事に最大の壁は人間の自由意思なのです。
これを前にしては、霊的に高級な力は何もできなくなるのです。
※中学生なりますと、霊魂学を学びたい、と熱心に希望される方がいらっしゃいます。
中学生の方でも、契山館に入会することは可能です。
ですが、霊的トレーニングの合宿参加につきましては、宿泊を伴いますので、中学生や高校生の方などは、保護者の方の承諾を得た上で、参加していただくことになっています。
2014.02.16
受験戦争は、なかなかなくなりません。
世が、競争社会である限り、消えようがないのでしょう。
競争して勝つのは自由です。
ですが、勝つ人がいれば、負ける人もいます。
順位を付ける限り、たとえ、全員が優秀であっても、1番がいれば、必ず誰かが最下位になるのです。
世の中には、能力を伸ばす事が第一、という宗教もあります。
競争社会では正々堂々と戦うしかありません。
ですが、それで全員が勝者になれるわけではありません。
世の中の人皆が能力を発揮しても、必ず誰かが最下位になるからです。
つまり、全員が医学部に入れるような学力を身に付けたとしても、何割かの人は、大学に入らなくても就けるような仕事をするしかないのです。
学力が付き、哲学を持つようになった人でも、能力に合った仕事に就けるとは限りません。
それでは、人は努力した分だけ悔しい思いをしてしまいます。
まして、採用が縁故で決まっていたのを知ると、辛い勉強が空しくなってしまいます。
世の中にはいつも矛盾があります。
それでも、私達はこのような社会の中で生きて行くしかありません。
この世で終わりだと思うと、競争に負けた人は投げやりになってしまいます。
ですが、あの世にまでも人生が続くと思うと、そうも行かなくなります。
今、どうあるべきなのかを知らなければ、霊魂の世界で苦悩する事になるからです。
その為には、霊魂の世界では、どんな人がどのようになるのかを知らなければなりません。
(「死後の世界」参照)
この世の競争の勝ち負けとは別に、人間には霊的生命体としての価値や存在意義があるのです。
やはり、まず、霊魂の学を学ぶ事から始めなければなりません。
世が、競争社会である限り、消えようがないのでしょう。
競争して勝つのは自由です。
ですが、勝つ人がいれば、負ける人もいます。
順位を付ける限り、たとえ、全員が優秀であっても、1番がいれば、必ず誰かが最下位になるのです。
世の中には、能力を伸ばす事が第一、という宗教もあります。
競争社会では正々堂々と戦うしかありません。
ですが、それで全員が勝者になれるわけではありません。
世の中の人皆が能力を発揮しても、必ず誰かが最下位になるからです。
つまり、全員が医学部に入れるような学力を身に付けたとしても、何割かの人は、大学に入らなくても就けるような仕事をするしかないのです。
学力が付き、哲学を持つようになった人でも、能力に合った仕事に就けるとは限りません。
それでは、人は努力した分だけ悔しい思いをしてしまいます。
まして、採用が縁故で決まっていたのを知ると、辛い勉強が空しくなってしまいます。
世の中にはいつも矛盾があります。
それでも、私達はこのような社会の中で生きて行くしかありません。
この世で終わりだと思うと、競争に負けた人は投げやりになってしまいます。
ですが、あの世にまでも人生が続くと思うと、そうも行かなくなります。
今、どうあるべきなのかを知らなければ、霊魂の世界で苦悩する事になるからです。
その為には、霊魂の世界では、どんな人がどのようになるのかを知らなければなりません。
(「死後の世界」参照)
この世の競争の勝ち負けとは別に、人間には霊的生命体としての価値や存在意義があるのです。
やはり、まず、霊魂の学を学ぶ事から始めなければなりません。