みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.02.24
人々はずっと昔から、神や仏といった神秘的な存在に祈ってきました。
最近では守護霊に祈る人も増えています。
人々は、目には見えない存在に対して祈りを捧げてきたのです。
彼らの祈りは本当に届いていたのでしょうか。
また、地上の人間が、高貴と言われる霊的存在と交流することは可能なのでしょうか。
可能にするためには、どのようにすれば良いのでしょうか。
人間は高貴な存在との接点が持てれば、霊的に進歩できるのでしょうか。
高貴な霊魂との接点
人は誰でも、いずれ他界します。
そして、死後の世界で生活します。
ですから、死後の世界で使用する『幽体』という霊的な身体を肉体と重ねて持っています。これに関しましては、神秘主義でも心霊研究でも、おおむね異存がないところです。
私達は、この『幽体』で死後の世界に入ります。
死後の世界には、肉体を持っている人はいません。
皆、肉体を捨てて幽体の存在になっています。
死後の世界では、先輩の霊魂方と交流する時には、幽体同士で、言葉を使用せずに意識交流をすることになります。
したがいまして、人間にとって『幽体』は大変に大切な身体なのです。
私達は普段、肉体の目、耳、口で他の人達と会話します。
肉体の脳を使用して感覚器官を使っているのです。それがないと話ができません。
同じように、私達が死後の世界に入ると、幽体の器官を使って先輩の霊魂と交流します。
つまり、人と霊魂は同じ次元の身体や器官を持っていないと意識交流できないです。
実際のところ、テレパシーのような会話であっても、幽体から『思い』が出ていると言えます。
ですから、幽体が成長していないと、死後の世界では困るのです。
さて、物質の世界にいる私達の身体はどうでしょうか、物質の肉体を持っています。
そして、肉体の脳により、肉体の口や耳を使って会話しています。
だからこそ、人間は霊魂とは会話できないのです。
次元の違う身体同士では会話はできません。
そのために、霊魂を信じない人が多いとも言えます。
少なくとも、霊能力者と呼ばれる人達を除けば、皆、誰も霊魂が見えませんし、霊魂と会話することもできないのです。
では、こうした「本来交流できる筈のない霊的な存在」と交流するためには、どのようにしたら良いのでしょうか。
答えは一つしかありません、
霊魂は肉体を持っていませんが、地上の世界の人間には幽体があります。
この地上の人間の『幽体』を使用することが、交流を可能にする唯一方法なのです。
互いに幽体同士であれば、交流が可能になりうるのです。
つまり、霊魂と人間との接点は、霊的な身体にあるのです。
最近では守護霊に祈る人も増えています。
人々は、目には見えない存在に対して祈りを捧げてきたのです。
彼らの祈りは本当に届いていたのでしょうか。
また、地上の人間が、高貴と言われる霊的存在と交流することは可能なのでしょうか。
可能にするためには、どのようにすれば良いのでしょうか。
人間は高貴な存在との接点が持てれば、霊的に進歩できるのでしょうか。
高貴な霊魂との接点
人は誰でも、いずれ他界します。
そして、死後の世界で生活します。
ですから、死後の世界で使用する『幽体』という霊的な身体を肉体と重ねて持っています。これに関しましては、神秘主義でも心霊研究でも、おおむね異存がないところです。
私達は、この『幽体』で死後の世界に入ります。
死後の世界には、肉体を持っている人はいません。
皆、肉体を捨てて幽体の存在になっています。
死後の世界では、先輩の霊魂方と交流する時には、幽体同士で、言葉を使用せずに意識交流をすることになります。
したがいまして、人間にとって『幽体』は大変に大切な身体なのです。
私達は普段、肉体の目、耳、口で他の人達と会話します。
肉体の脳を使用して感覚器官を使っているのです。それがないと話ができません。
同じように、私達が死後の世界に入ると、幽体の器官を使って先輩の霊魂と交流します。
つまり、人と霊魂は同じ次元の身体や器官を持っていないと意識交流できないです。
実際のところ、テレパシーのような会話であっても、幽体から『思い』が出ていると言えます。
ですから、幽体が成長していないと、死後の世界では困るのです。
さて、物質の世界にいる私達の身体はどうでしょうか、物質の肉体を持っています。
そして、肉体の脳により、肉体の口や耳を使って会話しています。
だからこそ、人間は霊魂とは会話できないのです。
次元の違う身体同士では会話はできません。
そのために、霊魂を信じない人が多いとも言えます。
少なくとも、霊能力者と呼ばれる人達を除けば、皆、誰も霊魂が見えませんし、霊魂と会話することもできないのです。
では、こうした「本来交流できる筈のない霊的な存在」と交流するためには、どのようにしたら良いのでしょうか。
答えは一つしかありません、
霊魂は肉体を持っていませんが、地上の世界の人間には幽体があります。
この地上の人間の『幽体』を使用することが、交流を可能にする唯一方法なのです。
互いに幽体同士であれば、交流が可能になりうるのです。
つまり、霊魂と人間との接点は、霊的な身体にあるのです。
2014.02.24
霊魂学から見ますと、『卑弥呼』の立場で行なうような、古代の儀式こそが霊的に大切な行事だったのです。
それでは、現代に卑弥呼を誕生させるにはどうすれば良いのでしょうか。
その方法は一つです。
誰かが高貴な霊魂から、霊的身体を成長させ強化させ得る技法を学べば良いのです。
それを得て訓練すれば、複数の卑弥呼が誕生し得るのです。
地上の世界には、そんな技法はなかなかありません。
いにしえより、有名な修行法は不老不死が目的だったり、神人合一や悟りが目的で、どれも、霊的身体の強化法ではないからなのです。
もちろん、このHP(霊をさぐる PC版)の監修者(水波一郎師)はそれを得ています。ですから、ご自身の主宰する会の会員には指導なさっています。
ですが、霊的修行の会となりますと、宗教的な会になります。
そのため、現代の人達は警戒感を持たれ、なかなか入会されません。
このままでは、霊的な分野に真の意味での発展はないのです。
HPの監修者の作成した霊的技法は『神伝の法』と呼ばれ、基本的には富士山に力を降ろされる神霊と、その御眷属の方々の協力で為し得た体系です。
ですから、そうした高貴な霊的存在に対して失礼のない方にしか教示できないのです。
となりますと、信仰心の有る方が対象者になりますので、HPで公開することはできないのです。
また、誰かがその次第を流出させても、富士山の神霊と、その御眷属に認められなければ力を生みません。
つまり、会員以外の方には無関係な技法となっております。
同様の事を為されたいというのであれば、他の誰かが頑張って、霊的技法を作成されるしかないのですが、それが難しいのです。
なぜならば、その前に、その人が霊的身体を高級にさせていなければならないからです。
つまり、霊的身体を高級にする為には、霊的技法が必要で、それを得るには、その前に霊的身体が高級な人が存在しなければならず、結局、不可能になってしまうのです。
ではどうすれば良いのでしょうか。
答えは一つです。
何もないところから一歩一歩、努力することです。
最初は古神道や密教、あるいはヨーガの修行でも構いません。
そこから始めるのです。
そうした人達の中には、一定以上、少なくとも、一般の人よりも高級な霊的身体を持っている人がいるのです。
そうした修行を必死に行ない、相応の霊的身体を持つようになられ、その時は、高貴な霊的存在に願うしかありません。
そして、その為の体系の作成に協力を求めるしかないのです。
もっとも、質の高い修行を教えてくれる師匠や、団体は概ね宗教団体か宗教的な集団です。
それを避けるのであれば、本などを読んでご自分の力で行をするしかありません。
それには、常に、霊的な危険を考えねばなりませんし、一人で孤独に行ないながら、信念を持続させねばなりません。
仮に困難を越えて、それを為し得たとします。
やがて、何かしら霊感が得られるかもしれません。
ですが、それからが問題なのです。
まず、その人自身の心の奥に隠れていた意識が、高貴な霊魂からのメッセージだと言わんばかりに蘇って来ます。
そして、それが自分の意識なのか他の意識なのかが分かりにくいのです。
最初はまず自分の意識の方が多いのでしょう。
そして、精神の混乱の危機に陥ります。
この時点で、異常者にならないようにしなければなりません。
仮に、それを時間を掛けて乗り切ったとします。
次には、本物の霊魂との交流が始まります。
ですが、まだ真に高級な霊魂との接点は小さいのです。
その為に、そうでもない霊魂からの霊感が一日中、自分の中で響きます。
もはや、仕事はできなくなります。
ですから、暮らしは貧乏になります。
その時点で、子供を育てるのは無理ですから、しばらく結婚は諦めるしかありません。
やがて、階段を上り得たとします。
高級霊魂との接点が増えるようになりました。
そろそろ、霊的身体を強化、成長させるように指導を受ける時期に入りました。
一歩ずつですが、それを為し得たとします。
どれだけ時間が経ったでしょうか、女性であれば、もう子供を生める年齢では有りません。
古来、巫女は皆、独身と言われるのももっともだと思えてしまいます。
男性であれば、まだまだ子供も持ち得るでしょう。
ですが、仕事がありません。
このまま、先に進んで、高級な霊的身体を持ち得たとします。
ですが、それで生きて行けるのでしょうか。
それが悩みになりました。
また、卑弥呼のようになり得ても、宗教にはしたくありません。
富士の神霊からの技法とは違い、宗教色を無くしたいのが目的の一つだったはずです。
ですから、信仰を前提にせずに行なえねばなりません。
ところが、高級な霊魂ほど神霊に対する意識は強いのです。
どうすれば、信仰を外せるのでしょうか。
更には、宗教団体を作らずに、その人はどうやって生活して行けるのでしょうか。
それが問題なのでした。
これまでの苦労を思えば、どんな高給を取っても当然だという思いはあります。
ですが、団体を作れば、宗教団体と呼ばれてしまいます。
団体を作らずに人々に呼び掛けて行事を行なっても、批判的な人達からは必ず教祖と呼ばれます。
行事でお金を集めれば金儲けと言われます。
その人も、それまでは、霊的なことでお金を取るのは低級霊のする事だと思っていました。
ですが、無料にすれば、生活はできません。
そうなれば、就職するしかありません。
もう仕事は可能だと思えます。
ですが、そうなると、残業も休日出勤も決してできません。
霊的な活動ができなくなってしまうからです。
その上、儀式や行事の前には体調を整えねばなりませんので、前日に疲労するような仕事はできません。
更には、できれば、前日には会場に入って、事前調査をしておきたいのです。
何しろ、大勢の人達の霊的な進歩がかかっているのですから。結局、普段は、占い師か霊能力者になるしかないのです。
ところが、神人合一等が目的の修行から霊的身体の強化へと修行をしてきましたので、占い師や霊能力者では本物というわけには行かなくなっています。
高い存在ばかりに視点を合わせていますと、それより下の方の存在が見えにくくなっているのでした。
それを強行すれば、ニセモノになってしまいます。
それ以前に、霊能力でお金を儲けること自体、間違いだと大勢の人達が言っていました。
深く考えれば、やはり自分が卑弥呼になるのではなく、他の誰かがなるのを待つしかないということなのでした。
現代の卑弥呼が出現する為には、自分の人生を棒に振っても、人類の為に苦悩と闘える人でなければ難しいのでした。
そうした人が大勢出てくれば、この国の霊的な事情は大きく変わることでしょう。
それでは、現代に卑弥呼を誕生させるにはどうすれば良いのでしょうか。
その方法は一つです。
誰かが高貴な霊魂から、霊的身体を成長させ強化させ得る技法を学べば良いのです。
それを得て訓練すれば、複数の卑弥呼が誕生し得るのです。
地上の世界には、そんな技法はなかなかありません。
いにしえより、有名な修行法は不老不死が目的だったり、神人合一や悟りが目的で、どれも、霊的身体の強化法ではないからなのです。
もちろん、このHP(霊をさぐる PC版)の監修者(水波一郎師)はそれを得ています。ですから、ご自身の主宰する会の会員には指導なさっています。
ですが、霊的修行の会となりますと、宗教的な会になります。
そのため、現代の人達は警戒感を持たれ、なかなか入会されません。
このままでは、霊的な分野に真の意味での発展はないのです。
HPの監修者の作成した霊的技法は『神伝の法』と呼ばれ、基本的には富士山に力を降ろされる神霊と、その御眷属の方々の協力で為し得た体系です。
ですから、そうした高貴な霊的存在に対して失礼のない方にしか教示できないのです。
となりますと、信仰心の有る方が対象者になりますので、HPで公開することはできないのです。
また、誰かがその次第を流出させても、富士山の神霊と、その御眷属に認められなければ力を生みません。
つまり、会員以外の方には無関係な技法となっております。
同様の事を為されたいというのであれば、他の誰かが頑張って、霊的技法を作成されるしかないのですが、それが難しいのです。
なぜならば、その前に、その人が霊的身体を高級にさせていなければならないからです。
つまり、霊的身体を高級にする為には、霊的技法が必要で、それを得るには、その前に霊的身体が高級な人が存在しなければならず、結局、不可能になってしまうのです。
ではどうすれば良いのでしょうか。
答えは一つです。
何もないところから一歩一歩、努力することです。
最初は古神道や密教、あるいはヨーガの修行でも構いません。
そこから始めるのです。
そうした人達の中には、一定以上、少なくとも、一般の人よりも高級な霊的身体を持っている人がいるのです。
そうした修行を必死に行ない、相応の霊的身体を持つようになられ、その時は、高貴な霊的存在に願うしかありません。
そして、その為の体系の作成に協力を求めるしかないのです。
もっとも、質の高い修行を教えてくれる師匠や、団体は概ね宗教団体か宗教的な集団です。
それを避けるのであれば、本などを読んでご自分の力で行をするしかありません。
それには、常に、霊的な危険を考えねばなりませんし、一人で孤独に行ないながら、信念を持続させねばなりません。
仮に困難を越えて、それを為し得たとします。
やがて、何かしら霊感が得られるかもしれません。
ですが、それからが問題なのです。
まず、その人自身の心の奥に隠れていた意識が、高貴な霊魂からのメッセージだと言わんばかりに蘇って来ます。
そして、それが自分の意識なのか他の意識なのかが分かりにくいのです。
最初はまず自分の意識の方が多いのでしょう。
そして、精神の混乱の危機に陥ります。
この時点で、異常者にならないようにしなければなりません。
仮に、それを時間を掛けて乗り切ったとします。
次には、本物の霊魂との交流が始まります。
ですが、まだ真に高級な霊魂との接点は小さいのです。
その為に、そうでもない霊魂からの霊感が一日中、自分の中で響きます。
もはや、仕事はできなくなります。
ですから、暮らしは貧乏になります。
その時点で、子供を育てるのは無理ですから、しばらく結婚は諦めるしかありません。
やがて、階段を上り得たとします。
高級霊魂との接点が増えるようになりました。
そろそろ、霊的身体を強化、成長させるように指導を受ける時期に入りました。
一歩ずつですが、それを為し得たとします。
どれだけ時間が経ったでしょうか、女性であれば、もう子供を生める年齢では有りません。
古来、巫女は皆、独身と言われるのももっともだと思えてしまいます。
男性であれば、まだまだ子供も持ち得るでしょう。
ですが、仕事がありません。
このまま、先に進んで、高級な霊的身体を持ち得たとします。
ですが、それで生きて行けるのでしょうか。
それが悩みになりました。
また、卑弥呼のようになり得ても、宗教にはしたくありません。
富士の神霊からの技法とは違い、宗教色を無くしたいのが目的の一つだったはずです。
ですから、信仰を前提にせずに行なえねばなりません。
ところが、高級な霊魂ほど神霊に対する意識は強いのです。
どうすれば、信仰を外せるのでしょうか。
更には、宗教団体を作らずに、その人はどうやって生活して行けるのでしょうか。
それが問題なのでした。
これまでの苦労を思えば、どんな高給を取っても当然だという思いはあります。
ですが、団体を作れば、宗教団体と呼ばれてしまいます。
団体を作らずに人々に呼び掛けて行事を行なっても、批判的な人達からは必ず教祖と呼ばれます。
行事でお金を集めれば金儲けと言われます。
その人も、それまでは、霊的なことでお金を取るのは低級霊のする事だと思っていました。
ですが、無料にすれば、生活はできません。
そうなれば、就職するしかありません。
もう仕事は可能だと思えます。
ですが、そうなると、残業も休日出勤も決してできません。
霊的な活動ができなくなってしまうからです。
その上、儀式や行事の前には体調を整えねばなりませんので、前日に疲労するような仕事はできません。
更には、できれば、前日には会場に入って、事前調査をしておきたいのです。
何しろ、大勢の人達の霊的な進歩がかかっているのですから。結局、普段は、占い師か霊能力者になるしかないのです。
ところが、神人合一等が目的の修行から霊的身体の強化へと修行をしてきましたので、占い師や霊能力者では本物というわけには行かなくなっています。
高い存在ばかりに視点を合わせていますと、それより下の方の存在が見えにくくなっているのでした。
それを強行すれば、ニセモノになってしまいます。
それ以前に、霊能力でお金を儲けること自体、間違いだと大勢の人達が言っていました。
深く考えれば、やはり自分が卑弥呼になるのではなく、他の誰かがなるのを待つしかないということなのでした。
現代の卑弥呼が出現する為には、自分の人生を棒に振っても、人類の為に苦悩と闘える人でなければ難しいのでした。
そうした人が大勢出てくれば、この国の霊的な事情は大きく変わることでしょう。
2014.02.24
昔と今では随分と事情が違います。
昔は信仰心が深い人も多かった事でしょう。
迷信も多かったかもしれませんが、純朴な人達の方が現代人よりも素直に霊的な力を引き寄せられたのではないかと思います。
科学万能の現代とは、物質的な環境も霊的な環境も違うのは確かでしょう。
卑弥呼が今の日本に出現しても、昔と同じ事をして通用する事はないでしょう。
何かしら、現代人向きの儀式や技法を考えざるを得なくなっている事と思います。
仮に現代の卑弥呼が一名育ったとします。
その人は早速、人を集めて何かしら霊的な儀式を行なおうとします。
ですが、簡単には行きません。
一人の本物が出る時代には、どうした訳か、時をほぼ同じくして、複数のニセモノが現れているのです。
そうした人達は、頭が柔らかいので、テレビ等に受ける特徴を持っています。
ニセモノは自分が売れる為には、マスコミの都合に合わせる事もできるのです。
結局、どちらが本物なのか、という事になります。
ですが、霊的な世界は科学で証明できる世界ではありませんので、絶対に正しいという証明ができません。
ですから、人気のある方に人々は動いてしまうのです。
ニセモノには大抵の場合、邪悪な霊魂が影で応援しています。
邪悪な霊魂にしてみると、本物の出現は、自らの敵を作る事になるからです。
ニセモノは手段を選びません。
結局、本物は世に出ず、世に出なければ影響力もほとんどありません。
つまり、現代に卑弥呼が育っても、人々がそれを理解できなければ無意味なのです。
まず、霊的な世界のニセモノを見抜く目を養う必要があるのです。
昔は信仰心が深い人も多かった事でしょう。
迷信も多かったかもしれませんが、純朴な人達の方が現代人よりも素直に霊的な力を引き寄せられたのではないかと思います。
科学万能の現代とは、物質的な環境も霊的な環境も違うのは確かでしょう。
卑弥呼が今の日本に出現しても、昔と同じ事をして通用する事はないでしょう。
何かしら、現代人向きの儀式や技法を考えざるを得なくなっている事と思います。
仮に現代の卑弥呼が一名育ったとします。
その人は早速、人を集めて何かしら霊的な儀式を行なおうとします。
ですが、簡単には行きません。
一人の本物が出る時代には、どうした訳か、時をほぼ同じくして、複数のニセモノが現れているのです。
そうした人達は、頭が柔らかいので、テレビ等に受ける特徴を持っています。
ニセモノは自分が売れる為には、マスコミの都合に合わせる事もできるのです。
結局、どちらが本物なのか、という事になります。
ですが、霊的な世界は科学で証明できる世界ではありませんので、絶対に正しいという証明ができません。
ですから、人気のある方に人々は動いてしまうのです。
ニセモノには大抵の場合、邪悪な霊魂が影で応援しています。
邪悪な霊魂にしてみると、本物の出現は、自らの敵を作る事になるからです。
ニセモノは手段を選びません。
結局、本物は世に出ず、世に出なければ影響力もほとんどありません。
つまり、現代に卑弥呼が育っても、人々がそれを理解できなければ無意味なのです。
まず、霊的な世界のニセモノを見抜く目を養う必要があるのです。
2014.02.24
日本では、古来、鏡を宗教的な物品として扱ってきました。
卑弥呼がそれをどのように使っていたのかは知りません。
ですが、HP(霊をさぐる PC版)監修者(水波一郎師)の主宰する会では、霊的トレーニングに鏡を使う事があります。
鏡だけではありません。
玉や石を使用する事によって、霊的な儀式や技法を成功させているのです。
人間は物質の身体で生きています。
その目も耳も、物質しか見え聞こえしないのです。
いくら天におられる神様を思おうとしても、漠然としていて、なかなかイメージが沸かないのです。
偶像を崇拝するなと言われても、見たこともない神にどう祈って良いのかも分からないのが人間なのです。
人は物質の脳を使用しているから仕方がないのです。
物質の脳でいくら想像しても、それはやはり空想上の神でしかないのです。
そこで、鏡や玉が登場するのです。
鏡や玉は、人の像とは違って神様にはなりません。
ですが、神様と人間を繋ぐための道具にはなり得るのです。
つまり、放送局にいる高貴な霊魂と、人々を繋ぐテレビが鏡なのです。
日本の神社の御神体は鏡や剣なのです。
日本にはそうした伝統が残っていたのです。
人間は肉体の他に霊的な身体を持っています。
そして、真に高貴な霊的存在とは、幽体ではなく、霊体を使用しなければ接点ができません。
ですが、地上の人間の霊体は高貴な霊的存在のようではありません。
ですから、間を繋ぐ何かが必要なのです。
鏡も、そして、玉も、単なる物質です。
それ自体に神秘性はありません。
それを神秘的な物品にする技が必要とされています。
その技を行使し得る者、その人こそが、本物の卑弥呼なのです。
人々と高貴な霊的存在とを結び得る偉大な卑弥呼を現代は待っているのです。
卑弥呼がそれをどのように使っていたのかは知りません。
ですが、HP(霊をさぐる PC版)監修者(水波一郎師)の主宰する会では、霊的トレーニングに鏡を使う事があります。
鏡だけではありません。
玉や石を使用する事によって、霊的な儀式や技法を成功させているのです。
人間は物質の身体で生きています。
その目も耳も、物質しか見え聞こえしないのです。
いくら天におられる神様を思おうとしても、漠然としていて、なかなかイメージが沸かないのです。
偶像を崇拝するなと言われても、見たこともない神にどう祈って良いのかも分からないのが人間なのです。
人は物質の脳を使用しているから仕方がないのです。
物質の脳でいくら想像しても、それはやはり空想上の神でしかないのです。
そこで、鏡や玉が登場するのです。
鏡や玉は、人の像とは違って神様にはなりません。
ですが、神様と人間を繋ぐための道具にはなり得るのです。
つまり、放送局にいる高貴な霊魂と、人々を繋ぐテレビが鏡なのです。
日本の神社の御神体は鏡や剣なのです。
日本にはそうした伝統が残っていたのです。
人間は肉体の他に霊的な身体を持っています。
そして、真に高貴な霊的存在とは、幽体ではなく、霊体を使用しなければ接点ができません。
ですが、地上の人間の霊体は高貴な霊的存在のようではありません。
ですから、間を繋ぐ何かが必要なのです。
鏡も、そして、玉も、単なる物質です。
それ自体に神秘性はありません。
それを神秘的な物品にする技が必要とされています。
その技を行使し得る者、その人こそが、本物の卑弥呼なのです。
人々と高貴な霊的存在とを結び得る偉大な卑弥呼を現代は待っているのです。
2014.02.24
どんな世界の達人にも師匠はいます。
そして、卑弥呼の真の師匠は神霊に仕える高貴な霊魂方です。
ですから、その主張はどうしても宗教的なのです。
どんなに宗教を排除しようとしても、神霊を敬愛する気持ちは変えられません。
神霊を前提にすれば、それはやはり宗教なのです。
人々が霊的な世界の真実を知ろうとしたり、体験しようとしたり、霊的に進歩しようとしたりすれば、その先生は必ず宗教の世界の住人なのです。
つまり、霊魂の世界自体が物質科学で説明できない世界であり、その世界についての主張を信じることは宗教だからなのです。
更には、その世界には高級、そして、高貴な世界があります。
その上位の霊的存在を神や仏と呼んでいるのです。
そして、高級な霊魂方はそうした存在に仕えていらっしゃいます。
ですから、霊的な世界を知る事は、宗教的な世界に入る事に他ならないのです。
そして、それは人間には必要な事なのです。
人間の身体は肉体の他に幽体や霊体を持っています。
霊魂はそれらの身体が目に入ります。
人間が霊的な生命体として進歩する為には、必ず霊的な身体の成長が必要になるのです。
そして、それには、神霊に仕えている高級霊魂の協力が不可欠なのです。
真実は一つしかないのです。
そして、卑弥呼の真の師匠は神霊に仕える高貴な霊魂方です。
ですから、その主張はどうしても宗教的なのです。
どんなに宗教を排除しようとしても、神霊を敬愛する気持ちは変えられません。
神霊を前提にすれば、それはやはり宗教なのです。
人々が霊的な世界の真実を知ろうとしたり、体験しようとしたり、霊的に進歩しようとしたりすれば、その先生は必ず宗教の世界の住人なのです。
つまり、霊魂の世界自体が物質科学で説明できない世界であり、その世界についての主張を信じることは宗教だからなのです。
更には、その世界には高級、そして、高貴な世界があります。
その上位の霊的存在を神や仏と呼んでいるのです。
そして、高級な霊魂方はそうした存在に仕えていらっしゃいます。
ですから、霊的な世界を知る事は、宗教的な世界に入る事に他ならないのです。
そして、それは人間には必要な事なのです。
人間の身体は肉体の他に幽体や霊体を持っています。
霊魂はそれらの身体が目に入ります。
人間が霊的な生命体として進歩する為には、必ず霊的な身体の成長が必要になるのです。
そして、それには、神霊に仕えている高級霊魂の協力が不可欠なのです。
真実は一つしかないのです。