みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.15
Q 神はいますか。
A〈霊魂〉
いない。
Q えっ、本当ですか。
A〈霊魂〉
神という存在は人間が作った考えであり、誰も見ていない。
Q では霊魂の世界に神という存在は実在しないのですか。
A〈霊魂〉
私が神であると言えば、あなたは信じるのか。
Q ……。
A〈霊魂〉
あなたにとって私が神ならば、それは神である。
しかし、私にとっては、私が神ではない。
同様に、私にとって神だと思えるような偉大な先生もやはり、自分を神だとは思っておられない。
これは、霊魂としてどこまで高貴になっても続く現実である。
Q では、神という存在は、霊魂がどの程度まで偉くなったら神かというような、言わば線引きのような問題なのですか。
A〈霊魂〉
そうではない。神という考え自体が人間的なのであり、高貴な霊魂の考えには基づいていない。
人間の頭で想像した神は、脳の機能の範囲内であり、それを超えている存在を想像してはいない。
そのために、仮に神という存在が実在したとしても、人が考える神とは違っている。
したがって、人が想像するような神は存在しない。
Q では、私たちの想像を超える意味での神なら存在するのですか。
A〈霊魂〉
人間であるあなたが理解できることはない。
それが神と呼ばれる実質の本性であり、我々のレベルでは語るべき対象ではない。
Q 分かりました。この問題を取り上げるのは早すぎたと思います。
またお願いします。
A〈霊魂〉
いない。
Q えっ、本当ですか。
A〈霊魂〉
神という存在は人間が作った考えであり、誰も見ていない。
Q では霊魂の世界に神という存在は実在しないのですか。
A〈霊魂〉
私が神であると言えば、あなたは信じるのか。
Q ……。
A〈霊魂〉
あなたにとって私が神ならば、それは神である。
しかし、私にとっては、私が神ではない。
同様に、私にとって神だと思えるような偉大な先生もやはり、自分を神だとは思っておられない。
これは、霊魂としてどこまで高貴になっても続く現実である。
Q では、神という存在は、霊魂がどの程度まで偉くなったら神かというような、言わば線引きのような問題なのですか。
A〈霊魂〉
そうではない。神という考え自体が人間的なのであり、高貴な霊魂の考えには基づいていない。
人間の頭で想像した神は、脳の機能の範囲内であり、それを超えている存在を想像してはいない。
そのために、仮に神という存在が実在したとしても、人が考える神とは違っている。
したがって、人が想像するような神は存在しない。
Q では、私たちの想像を超える意味での神なら存在するのですか。
A〈霊魂〉
人間であるあなたが理解できることはない。
それが神と呼ばれる実質の本性であり、我々のレベルでは語るべき対象ではない。
Q 分かりました。この問題を取り上げるのは早すぎたと思います。
またお願いします。
Q このHP(霊をさぐる PC版)では霊魂学は科学ではなく、むしろ宗教の分類に入ると主張されています。
ですが、一般の宗教とは違うように思うのですが。
A ずいぶんと違うと思います。
なぜかといいますと、多くの宗教は、教義といって、神や仏、あるいは教祖からの「教え」というものがあります。
また、その他に、霊魂の世界を語っていたりもします。
一方、霊魂学の場合は、そうした「教え」ではなく、科学と同様で、何が事実なのかを追求しています。
ただ、残念なことに、その方法が、意識の高級な霊魂に聞くという方法をとっているために、科学の実験のような客観性を持っていないのです。
そのために、宗教の分類に入ると考えているのです。
たとえば、人間はどう生きるべきか、という時、各宗教はいろいろな教えをもって人々を導いてくれます。
こうした生き方とか、考え方には、より善い生き方とか、より高度な考え方というものもあると思います。
とすれば、どちらの宗教の教えが正しいのか、あるいは高度なのかといったことが議論されることになります。
ところが、霊魂学の場合は、そうした面ではなく、「何が霊的世界の事実なのか」を知ろうとしています。
つまり、霊魂の世界があるのか否か、これは考え方ではありません。
事実として「ある」あるいは「ない」、この2つしかないのです。
そして、どちらかは確実に正しく、どちらかは間違っているのです。
同じように、「幽体」はあるのか否か、あるいは、あるとした場合は、「幽体はどのようなものなのか」、こうした疑問にも正しい答えは1つしかないのです。
「守護霊はいるのか、いないのか」、「祈りは霊魂に届くのか否か」、「霊魂のメッセージは人間に届くのか否か」、あるいは、「そのメッセージはどうしたメカニズムで人間に届くのか」、このような、いわば、本来ならば、科学が探求すべき事柄を霊魂学は追及しているのです。
ですから、最初はこうだと思っていたら、実際に調べてみるとこうだった、ということも充分にありうる事なのです。
そうした意味では、霊魂学は、宗教というよりも、科学のような視点を持っているのです。
このように、霊魂学は、事実を追求していますので、正しいのか間違いなのか、または、どの程度まで真実を知ることができたのか、そして、どの程度までミスがあるのか、そういった種類の学問なのです。
他の宗教のように、教義と教義を比べて、どちらが高度なのか、といったような視点では捉えることはできないのです。
ですから、霊魂学を探求する契山館という会は、霊的な事実を探求した上で、生き方はそれぞれの自由なので、全く干渉しないのです。
もちろん、何の戒律もありません。
ただ、霊魂や神霊を求める人達の中には、やはり、どう生きたら良いのか、そういった事でアドバイスが欲しいという方もいらっしゃいます。
ですから、会では、そうした事も考慮して、高級霊魂方にお願いし、会員の方々の参考となるような意見を紹介する事もあるのです。
結論としましては、霊魂や神が科学的手法で証明できない限りは、宗教的手段で客観的ではありませんが、より真実に近い事を知りたいと願っているのが、霊魂学なのです。
ですが、一般の宗教とは違うように思うのですが。
A ずいぶんと違うと思います。
なぜかといいますと、多くの宗教は、教義といって、神や仏、あるいは教祖からの「教え」というものがあります。
また、その他に、霊魂の世界を語っていたりもします。
一方、霊魂学の場合は、そうした「教え」ではなく、科学と同様で、何が事実なのかを追求しています。
ただ、残念なことに、その方法が、意識の高級な霊魂に聞くという方法をとっているために、科学の実験のような客観性を持っていないのです。
そのために、宗教の分類に入ると考えているのです。
たとえば、人間はどう生きるべきか、という時、各宗教はいろいろな教えをもって人々を導いてくれます。
こうした生き方とか、考え方には、より善い生き方とか、より高度な考え方というものもあると思います。
とすれば、どちらの宗教の教えが正しいのか、あるいは高度なのかといったことが議論されることになります。
ところが、霊魂学の場合は、そうした面ではなく、「何が霊的世界の事実なのか」を知ろうとしています。
つまり、霊魂の世界があるのか否か、これは考え方ではありません。
事実として「ある」あるいは「ない」、この2つしかないのです。
そして、どちらかは確実に正しく、どちらかは間違っているのです。
同じように、「幽体」はあるのか否か、あるいは、あるとした場合は、「幽体はどのようなものなのか」、こうした疑問にも正しい答えは1つしかないのです。
「守護霊はいるのか、いないのか」、「祈りは霊魂に届くのか否か」、「霊魂のメッセージは人間に届くのか否か」、あるいは、「そのメッセージはどうしたメカニズムで人間に届くのか」、このような、いわば、本来ならば、科学が探求すべき事柄を霊魂学は追及しているのです。
ですから、最初はこうだと思っていたら、実際に調べてみるとこうだった、ということも充分にありうる事なのです。
そうした意味では、霊魂学は、宗教というよりも、科学のような視点を持っているのです。
このように、霊魂学は、事実を追求していますので、正しいのか間違いなのか、または、どの程度まで真実を知ることができたのか、そして、どの程度までミスがあるのか、そういった種類の学問なのです。
他の宗教のように、教義と教義を比べて、どちらが高度なのか、といったような視点では捉えることはできないのです。
ですから、霊魂学を探求する契山館という会は、霊的な事実を探求した上で、生き方はそれぞれの自由なので、全く干渉しないのです。
もちろん、何の戒律もありません。
ただ、霊魂や神霊を求める人達の中には、やはり、どう生きたら良いのか、そういった事でアドバイスが欲しいという方もいらっしゃいます。
ですから、会では、そうした事も考慮して、高級霊魂方にお願いし、会員の方々の参考となるような意見を紹介する事もあるのです。
結論としましては、霊魂や神が科学的手法で証明できない限りは、宗教的手段で客観的ではありませんが、より真実に近い事を知りたいと願っているのが、霊魂学なのです。
2014.02.07
今、世界は、少なくとも日本は、随分と環境が悪くなりました。
物理的な次元での環境の悪化も問題になっていますが、霊的な環境の悪化はそれ以上だと言えます。
物理的な環境が悪くなれば、人は住む事ができません。
地球が放射能で一杯になってしまえば、庶民が全員、核シェルターに入ることができ、そこで食物を生産することが可能でない限りは、生きる事すらできません。
そんな世の中にならない事を願っています。
ですが、問題はそれだけではなかったのです。
霊的な環境も随分と悪化していたからでした。
霊的な環境は目には見えません。
数値を計る事もできません。
霊魂の存在自体が認められていない時代では、それを語る人も、信じる人も、少ないのが実情です。
しかし、これは霊的生命体にとっては大問題だったのです。
このHP(霊をさぐる PC版)をお読みの方は概ね霊魂の実在を信じていらっしゃることと思います。
それを前提にして語っています。
この世は物質の世界ですが、同時に霊魂も干渉し得る世界です。
人間は肉体だけでなく、『幽体』という霊的な身体をも所持しています。
この世界は空気で覆われていて、人は酸素を吸収して生きています。
高級霊魂からのメッセージによりますと、それと同じように、幽体は霊魂学で『幽気』と呼ばれる霊的な気を吸収しているらしいのです。
その幽気の質が低いと、幽体は不健全になりやすく、質が良いと健全化しやすいとの事です。
つまり、霊的な環境が悪いとは、この幽気の質があたかも排気ガスのようになっているという事なのです。
そのために、各人の幽体が不健全になってしまい、幽体からオーラと呼ばれる光のようなものが出にくくなってしまっているとの事なのでした。
その状態は、高級な霊魂との接点がなくなる事を意味しているそうです。
別の見方をすれば、高級な霊魂が人間に寄りにくい環境であるということは、邪悪な霊魂にとっては、人間に寄りやすくなるということなのです。
人間にとって好ましくない霊魂が寄って来やすくなるという事は、その霊魂達の放つ霊的な気によって、霊的な環境が更に悪くなるという事なのでした。
これは、霊的には随分と悪い悪循環なのです。
どんどん霊的な環境が悪くなり、幽気があたかも放射能汚染のような状態になってしまったら、人々の守護霊や指導霊はほとんど活躍できなくなってしまいます。
そして、人々はどんどん邪悪な側の影響を受けやすくなって行きます。
死後の世界に入ってからのみでなく、この世に居る間もずっと、霊的な悪影響を受けながらの生活を余儀なくされた人々の苦悩は、更に増大することが予測されるのです。
どれほど物質的に豊かになっても、この世は精神的な苦悩で満ち溢れています。
これでは到底、幸福な社会とは言えません。
これからどんどん苦悩が増して行くことが予想されます。
霊魂学はこのような悪い環境を改善したいと考えているのです。
物理的な次元での環境の悪化も問題になっていますが、霊的な環境の悪化はそれ以上だと言えます。
物理的な環境が悪くなれば、人は住む事ができません。
地球が放射能で一杯になってしまえば、庶民が全員、核シェルターに入ることができ、そこで食物を生産することが可能でない限りは、生きる事すらできません。
そんな世の中にならない事を願っています。
ですが、問題はそれだけではなかったのです。
霊的な環境も随分と悪化していたからでした。
霊的な環境は目には見えません。
数値を計る事もできません。
霊魂の存在自体が認められていない時代では、それを語る人も、信じる人も、少ないのが実情です。
しかし、これは霊的生命体にとっては大問題だったのです。
このHP(霊をさぐる PC版)をお読みの方は概ね霊魂の実在を信じていらっしゃることと思います。
それを前提にして語っています。
この世は物質の世界ですが、同時に霊魂も干渉し得る世界です。
人間は肉体だけでなく、『幽体』という霊的な身体をも所持しています。
この世界は空気で覆われていて、人は酸素を吸収して生きています。
高級霊魂からのメッセージによりますと、それと同じように、幽体は霊魂学で『幽気』と呼ばれる霊的な気を吸収しているらしいのです。
その幽気の質が低いと、幽体は不健全になりやすく、質が良いと健全化しやすいとの事です。
つまり、霊的な環境が悪いとは、この幽気の質があたかも排気ガスのようになっているという事なのです。
そのために、各人の幽体が不健全になってしまい、幽体からオーラと呼ばれる光のようなものが出にくくなってしまっているとの事なのでした。
その状態は、高級な霊魂との接点がなくなる事を意味しているそうです。
別の見方をすれば、高級な霊魂が人間に寄りにくい環境であるということは、邪悪な霊魂にとっては、人間に寄りやすくなるということなのです。
人間にとって好ましくない霊魂が寄って来やすくなるという事は、その霊魂達の放つ霊的な気によって、霊的な環境が更に悪くなるという事なのでした。
これは、霊的には随分と悪い悪循環なのです。
どんどん霊的な環境が悪くなり、幽気があたかも放射能汚染のような状態になってしまったら、人々の守護霊や指導霊はほとんど活躍できなくなってしまいます。
そして、人々はどんどん邪悪な側の影響を受けやすくなって行きます。
死後の世界に入ってからのみでなく、この世に居る間もずっと、霊的な悪影響を受けながらの生活を余儀なくされた人々の苦悩は、更に増大することが予測されるのです。
どれほど物質的に豊かになっても、この世は精神的な苦悩で満ち溢れています。
これでは到底、幸福な社会とは言えません。
これからどんどん苦悩が増して行くことが予想されます。
霊魂学はこのような悪い環境を改善したいと考えているのです。
2014.02.08
質の低い幽気が蔓延してしまった背景には、人々の変化がある事は言うまでもない事です。
人々は科学の発展と共に純粋な信仰を軽んじるようになりました。
幽霊は全て錯覚であり、非科学的なものであると決め付けられています。
そこに高級霊魂の出番はありません。
人々の自由意思によって拒絶されたも同然だからです。
神や仏に、実際に人々の念や思いが届く事はないのですが、それでも、人々は祈り、それを前提として生活し、神社や仏閣に足を運べば、そこは質の良い幽気の集まる条件を備えていたのでした。
そして、その場所にいる聖職者の方が真剣に修行していらっしゃれば、そこには高級な霊魂も集まり得たのでしょう。
ところが、現代はどうでしょう。
神様や仏様の実在を信じて足を運んでいる信者がどれほどいるでしょうか。
また、聖職者自身が神の実在を本気で信じていらっしゃるのでしょうか。
誰も信じていない空間には、それに応じた幽気しかありません。
つまり、人々の自由意思が高級な幽気を遠ざけることとなり、この世の霊的環境を悪くしてしまったのです。
現代の日本には霊魂の実在を信じている人達も大勢いらっしゃいます。
ですが、現実は厳しく、そこに高級な幽気はなかなか集まりません。
人々はスピリチュアルな話は好きでも、信仰や宗教と言うと毛嫌いし、団体を恐れ、個人でしか動かないからです。
その上、一部の宗教団体や類似の団体には、昔では考えられなかったような邪悪な霊魂集団が集まっているらしいのです。
これでは、ますます、この世の幽気の質が悪くなってしまいます。
人々は視点を変えるべきと言えます。
人々が一つの場所に集まり、霊的な修行をし、そこに強くて高級な幽気を放てる人を招き、高級な霊魂やより質の高い幽気を集めるべきなのです。
そうすることにより、そこに集まった人達は、より質の高い幽気を吸収する事ができるのです。
少しずつでも、そのような場所が増えていけば、この世の霊的環境は良くなって行くのです。
霊魂学はいつも叫んでいます。
人々は科学の発展と共に純粋な信仰を軽んじるようになりました。
幽霊は全て錯覚であり、非科学的なものであると決め付けられています。
そこに高級霊魂の出番はありません。
人々の自由意思によって拒絶されたも同然だからです。
神や仏に、実際に人々の念や思いが届く事はないのですが、それでも、人々は祈り、それを前提として生活し、神社や仏閣に足を運べば、そこは質の良い幽気の集まる条件を備えていたのでした。
そして、その場所にいる聖職者の方が真剣に修行していらっしゃれば、そこには高級な霊魂も集まり得たのでしょう。
ところが、現代はどうでしょう。
神様や仏様の実在を信じて足を運んでいる信者がどれほどいるでしょうか。
また、聖職者自身が神の実在を本気で信じていらっしゃるのでしょうか。
誰も信じていない空間には、それに応じた幽気しかありません。
つまり、人々の自由意思が高級な幽気を遠ざけることとなり、この世の霊的環境を悪くしてしまったのです。
現代の日本には霊魂の実在を信じている人達も大勢いらっしゃいます。
ですが、現実は厳しく、そこに高級な幽気はなかなか集まりません。
人々はスピリチュアルな話は好きでも、信仰や宗教と言うと毛嫌いし、団体を恐れ、個人でしか動かないからです。
その上、一部の宗教団体や類似の団体には、昔では考えられなかったような邪悪な霊魂集団が集まっているらしいのです。
これでは、ますます、この世の幽気の質が悪くなってしまいます。
人々は視点を変えるべきと言えます。
人々が一つの場所に集まり、霊的な修行をし、そこに強くて高級な幽気を放てる人を招き、高級な霊魂やより質の高い幽気を集めるべきなのです。
そうすることにより、そこに集まった人達は、より質の高い幽気を吸収する事ができるのです。
少しずつでも、そのような場所が増えていけば、この世の霊的環境は良くなって行くのです。
霊魂学はいつも叫んでいます。
2014.02.08
それでは、より高級で強い幽気、あるいは、幽気を越えるような霊的な気を集めることはできるのでしょうか。
できます。
なぜならば、人間は幽体の他にも霊的な身体を持っているからです。
霊的な身体の事は、西洋の神秘主義でも心霊研究でも、共に指摘しています。
ですが、見解は多少異なります。
神秘主義の場合は、人によっては、細かい分類をしている人もいます。
もっとも、細かいからと言って、それが正しいとは限らないところが難しいところです。
『幽体』の他にも霊的な身体があり、それは幽体よりも高貴な身体なのだそうです。
その身体を霊魂学では『霊体』と呼んでいます。
霊体から良好なオーラが出ますと、それに相応しい霊的な気を集める事が可能になってきます。
それを霊魂学では、『霊気』と呼んでいます。
幽体や霊体が成長し、強くなることで、より高級な霊的な気を地上に呼ぶ事が可能になるという事です。
これを電波にたとえれば、アンテナを立てることで、遠くにある放送局の電波を引くことができるという事なのです。
より高級な霊的な気を呼ぶためには、人々が幽体や霊体を成長させることが必要となります。
まず、幽体を健全にするためには、質の良い幽気が必要でした。
その質の良い幽気、それを呼ぶ為には、幽体の成長が不可欠です。
では、幽体の成長のためには、どうすれば良いのでしょうか。
実際のところ、人は一人一人霊的な課題を背負っているそうです。
それは人により、皆、違っています。
一人一人の顔が違うのと同じで、皆それぞれに、背負っている荷物が違うのです。
その為に、一律の教えでは課題を解決することができないのです。
課題が一律でないために、人は自分の力で自分の課題を解決すべく生まれて来ています。だからこそ、『霊的トレーニング』が必要なのです。
実は、その為に作成されたのが『神伝鎮魂法』という霊的トレーニングなのです。
神伝鎮魂法を実習することにより、人は幽体や霊体を成長させる事ができます。
そうすることにより、この世により高級な幽気や霊気を呼び得るようになって行きます。
すなわち、それは不道徳な霊魂が寄りにくい環境が出来て行くことであり、人々が霊的生命体として個々に成長しやすくなることなのです。
そして、意識の奥に霊的な刺激を当て、まず最初に意識の奥を変革することにより、課題を解決しやすくする霊的トレーニングが『神伝禊法』です。
霊的トレーニングは、一人一人の霊的生命体としての進歩向上の為に行ないますが、それだけではなく、結果として、この世の霊的環境を良くする事につながり、人類全体の為にも必要なものなのです。
*詳しくは『霊的トレーニング』をご参照ください。
できます。
なぜならば、人間は幽体の他にも霊的な身体を持っているからです。
霊的な身体の事は、西洋の神秘主義でも心霊研究でも、共に指摘しています。
ですが、見解は多少異なります。
神秘主義の場合は、人によっては、細かい分類をしている人もいます。
もっとも、細かいからと言って、それが正しいとは限らないところが難しいところです。
『幽体』の他にも霊的な身体があり、それは幽体よりも高貴な身体なのだそうです。
その身体を霊魂学では『霊体』と呼んでいます。
霊体から良好なオーラが出ますと、それに相応しい霊的な気を集める事が可能になってきます。
それを霊魂学では、『霊気』と呼んでいます。
幽体や霊体が成長し、強くなることで、より高級な霊的な気を地上に呼ぶ事が可能になるという事です。
これを電波にたとえれば、アンテナを立てることで、遠くにある放送局の電波を引くことができるという事なのです。
より高級な霊的な気を呼ぶためには、人々が幽体や霊体を成長させることが必要となります。
まず、幽体を健全にするためには、質の良い幽気が必要でした。
その質の良い幽気、それを呼ぶ為には、幽体の成長が不可欠です。
では、幽体の成長のためには、どうすれば良いのでしょうか。
実際のところ、人は一人一人霊的な課題を背負っているそうです。
それは人により、皆、違っています。
一人一人の顔が違うのと同じで、皆それぞれに、背負っている荷物が違うのです。
その為に、一律の教えでは課題を解決することができないのです。
課題が一律でないために、人は自分の力で自分の課題を解決すべく生まれて来ています。だからこそ、『霊的トレーニング』が必要なのです。
実は、その為に作成されたのが『神伝鎮魂法』という霊的トレーニングなのです。
神伝鎮魂法を実習することにより、人は幽体や霊体を成長させる事ができます。
そうすることにより、この世により高級な幽気や霊気を呼び得るようになって行きます。
すなわち、それは不道徳な霊魂が寄りにくい環境が出来て行くことであり、人々が霊的生命体として個々に成長しやすくなることなのです。
そして、意識の奥に霊的な刺激を当て、まず最初に意識の奥を変革することにより、課題を解決しやすくする霊的トレーニングが『神伝禊法』です。
霊的トレーニングは、一人一人の霊的生命体としての進歩向上の為に行ないますが、それだけではなく、結果として、この世の霊的環境を良くする事につながり、人類全体の為にも必要なものなのです。
*詳しくは『霊的トレーニング』をご参照ください。