みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
人はこの世を離れると霊魂の世界の住人となります。
ということは、この世をどう生きるかによって、また、どのように死ぬかによっても、次の世で幸福になったり不幸になったりする可能性があります。
また、この世でも、人は知らないうちに霊魂に影響されて幸福になったり不幸になったりしているのです。
ですから、この世にいる間に、ある程度の霊魂知識は学んでおいた方が良いのです。
ところが、私達は死後の世界を見たことがありませんし、科学は死後の世界を解明してはくれません。死後の世界を信じている者にとっては、歯がゆい限りです。
そこで、信頼すべき霊魂からの通信を学ぶことが有用なのです。
私達はこのHP(PC版 霊をさぐる)の監修者(水波一郎師)を霊媒として、大勢の高級霊魂の主張を得てきました。
それをより大勢の人達に紹介したいと考えています。
ところが、その内容は初学者には随分と難しいものでした。
霊魂達の主張をそのまま原稿にしましても誤解を受けそうな内容も含まれたりしています。
ですが、それらも、やはり、いずれは大勢の皆さんにも知っていただきたいと思える内容なのです。
そこで必要なのが霊的トレーニングです。
霊的トレーニングの実習を深めますと、霊的世界の事が、頭だけではなく霊的感性で理解できるようになって行きます。
そうしますと、それまで難しかった内容も理解しやすくなります。
ですから、人が霊魂に関する事を真に学ぶには霊的トレーニングが必要なのです。
そして、この霊的トレーニングは先生が生徒に教えるように、きちんとした指導が必要です。
誰でもできるトレーニングですが、いいかげんに学ぶ性質のものではありません。
ですから、きちんとしたスクールが必要なのです。
そして、そのスクールが、HP監修者が主宰している契山館なのです。
ということは、この世をどう生きるかによって、また、どのように死ぬかによっても、次の世で幸福になったり不幸になったりする可能性があります。
また、この世でも、人は知らないうちに霊魂に影響されて幸福になったり不幸になったりしているのです。
ですから、この世にいる間に、ある程度の霊魂知識は学んでおいた方が良いのです。
ところが、私達は死後の世界を見たことがありませんし、科学は死後の世界を解明してはくれません。死後の世界を信じている者にとっては、歯がゆい限りです。
そこで、信頼すべき霊魂からの通信を学ぶことが有用なのです。
私達はこのHP(PC版 霊をさぐる)の監修者(水波一郎師)を霊媒として、大勢の高級霊魂の主張を得てきました。
それをより大勢の人達に紹介したいと考えています。
ところが、その内容は初学者には随分と難しいものでした。
霊魂達の主張をそのまま原稿にしましても誤解を受けそうな内容も含まれたりしています。
ですが、それらも、やはり、いずれは大勢の皆さんにも知っていただきたいと思える内容なのです。
そこで必要なのが霊的トレーニングです。
霊的トレーニングの実習を深めますと、霊的世界の事が、頭だけではなく霊的感性で理解できるようになって行きます。
そうしますと、それまで難しかった内容も理解しやすくなります。
ですから、人が霊魂に関する事を真に学ぶには霊的トレーニングが必要なのです。
そして、この霊的トレーニングは先生が生徒に教えるように、きちんとした指導が必要です。
誰でもできるトレーニングですが、いいかげんに学ぶ性質のものではありません。
ですから、きちんとしたスクールが必要なのです。
そして、そのスクールが、HP監修者が主宰している契山館なのです。
2014.01.13
◆掲示板に投稿したものを掲載しています。
このHP(霊をさぐる PC版)をご覧の皆さんの中には、霊魂学とスピリチュアリズムの違いについて、あまりご存じない方がいらっしゃる事と思います。
中には、霊魂学を誤解していらっしゃる方もあると思われます。
そこで、少しですが、スピリチュアリズムと霊魂学について簡単にご説明したいと思います。常識的な事も含めて初心者の方々に説明させていただきます。
スピリチュアリズムとは、日本語では心霊主義と呼ばれます。
イギリスなどで行われた心霊研究の中から登場したものです。
当時のテーマは死後の世界や霊魂があるか否かでした。
その為に、霊媒という特殊な人を使って、研究者が降霊会を行いました。
そこで、机や椅子が動いたり、霊魂が霊媒を使って語ったりという事が起こりました。
その結果、死後の世界や霊魂の実在を信じる研究者が現れました。
しかし、もちろん、否定する学者も大勢いました。
中には、霊媒がトリックを使っていると主張した学者もいます。
実際のところ、霊媒の中にはトリックを使ったと思われる人もいたそうです。
どちらも自説を譲らない中、霊魂からの通信を受けるという霊媒が現れました。
それは手が勝手に動く自動書記や口で話す霊言等でした。
それらの霊媒にもニセモノが現われ、どれが正しいのかが議論になるのでした。
その中でも有名なのが、モーゼスやマイヤーズ、パイパーやバーバネル(シルバーバーチの霊媒)などです。
しかしながら、実際には、霊魂からの通信の内容はそれぞれにバラバラで、何が正しいのかがよく分からないのでした。
例えば、生まれ変わりはあるのかどうか、という事に関しては、ないという通信もあれば、あるという通信もありましたが、中には類魂説というものもあり、どれが正しいのかは研究者によって、見解が異なるのでした。
すると、より上の世界の霊魂が一番よく知っているという考えも出ました。
結局、科学的な観点から見ると、どれも立証できるものではなく、信じるか否かでしかありません。
とはいえ、一つでも本物の通信があれば大変な価値です。
ですから、霊魂との交信による霊魂の主張を信じる人達の中に、心霊主義者を名乗る人達が現れたのです。
ですが、各人の共通認識としては、死後の世界があり、人間の個性が死後も存続するというような事くらいで、それ以外の事になると、通信によって主張が異なるので、結局は、どの通信が一番信憑性が高いのかという事で議論になるのでした。
複数の通信の内容が共通している場合もあるのですが、どうも、別の霊媒の影響を受けて、潜在意識が話したのではないか、と主張する研究者も現れ、霊魂からの通信に霊媒の潜在意識が混入するという事が言われるようになったのです。
そうした中、日本では浅野和三郎氏が霊媒実験を行い、日本でも心霊主義という言葉が使われるようになりました。
その後、時が流れ、潮文社が『シルバーバーチ』という霊界通信のシリーズを出してから、日本ではシルバーバーチを信じる人達が増えたと言えます。
したがいまして、日本ではシルバーバーチが人気のようです。
もちろん、その主張に科学性はありません。
その場にいた研究者が、霊魂を見ているわけでもなく、信じない人にとってはまやかしでしかありません。
つまり、スピリチュアリズムといっても、実際には客観性はほとんどなく、それをそのまま鵜呑みにしてしまうと心霊研究ではなくなるのです。
それは単なる宗教なのです。
霊界通信は、潜在意識の影響を受けるとスピリチュアリスト(心霊主義者)も主張していますので、どこまでが信憑性を持つのかを先に研究しなければならないのです。
日本では、その内容を分析して批判することもなく、そのまま信じる事がスピリチュアリズムだと考える人が増えていると言えます。
したがいまして、スピリチュアリズムは統計学ではありません。
潜在意識の問題がありますので、共通項を探すのではなく、どれが、一番、高級なのか、とか、高級でなくても、信憑性が高いのかを分析しなければならないのです。
そうであれば、心霊研究は科学とまでは行かなくとも、学問にはなり得ると言えます。
これまでの日本の場合は、大本教や天理教など、自動書記によって神様のご意思が示されたという主張が宗教団体に発展しています。
宗教団体になると、研究ではなくなり、お告げになります。
その為に、スピリチュアリズムとは異なる形態を取ることになるのです。
一方、霊魂学も、霊媒を通じて霊魂からの通信を元にしていますので、従来の心霊研究者から見れば、広い意味ではスピリチュアリズムなのです。
ですが、霊魂学は心霊研究の対象にはなりません。
研究者の冷ややかな視線や念の前では、高級な霊的環境が作れないという理由から、そうした事をしないのです。
ただし、通信する霊魂によって知っている事が違うので、必要であれば、より詳しい霊魂が登場してくれる事によって、霊魂学は内容が変化していきます。
そういう意味では、お筆先の宗教などとも異なります。
霊魂学は独自なものと言えましょう。
現在の日本のスピリチュアリズムは、実際には単なる宗教です。
団体になっているか否か、が違うだけなのです。
信じるのも自由ですが、宗教ですので、信じないのも自由という事なのです。
霊魂学は、より高級な霊魂からの通信を求め、霊的な事実は何かを探求しています。
そのために、どうすればよいかを霊魂に問い、霊魂から高級な霊魂との通信を可能にするための霊的トレーニングの指導を受けました。
更に、従来の心霊研究による霊界通信では、精神的な教えが主体で、高度な霊的トレーニングが示されていません。
それを人々に示すために、霊魂学では、現実的な霊的トレーニングの体系を求め、作成しえたのです。
それにより、単に表面意識だけを考えるのではなく、潜在意識や霊的な身体まで考えた霊的な進歩についての指導をする事になり、今日に至っております。
今後も、日々、進化し続ける事を目指しています。
このHP(霊をさぐる PC版)をご覧の皆さんの中には、霊魂学とスピリチュアリズムの違いについて、あまりご存じない方がいらっしゃる事と思います。
中には、霊魂学を誤解していらっしゃる方もあると思われます。
そこで、少しですが、スピリチュアリズムと霊魂学について簡単にご説明したいと思います。常識的な事も含めて初心者の方々に説明させていただきます。
スピリチュアリズムとは、日本語では心霊主義と呼ばれます。
イギリスなどで行われた心霊研究の中から登場したものです。
当時のテーマは死後の世界や霊魂があるか否かでした。
その為に、霊媒という特殊な人を使って、研究者が降霊会を行いました。
そこで、机や椅子が動いたり、霊魂が霊媒を使って語ったりという事が起こりました。
その結果、死後の世界や霊魂の実在を信じる研究者が現れました。
しかし、もちろん、否定する学者も大勢いました。
中には、霊媒がトリックを使っていると主張した学者もいます。
実際のところ、霊媒の中にはトリックを使ったと思われる人もいたそうです。
どちらも自説を譲らない中、霊魂からの通信を受けるという霊媒が現れました。
それは手が勝手に動く自動書記や口で話す霊言等でした。
それらの霊媒にもニセモノが現われ、どれが正しいのかが議論になるのでした。
その中でも有名なのが、モーゼスやマイヤーズ、パイパーやバーバネル(シルバーバーチの霊媒)などです。
しかしながら、実際には、霊魂からの通信の内容はそれぞれにバラバラで、何が正しいのかがよく分からないのでした。
例えば、生まれ変わりはあるのかどうか、という事に関しては、ないという通信もあれば、あるという通信もありましたが、中には類魂説というものもあり、どれが正しいのかは研究者によって、見解が異なるのでした。
すると、より上の世界の霊魂が一番よく知っているという考えも出ました。
結局、科学的な観点から見ると、どれも立証できるものではなく、信じるか否かでしかありません。
とはいえ、一つでも本物の通信があれば大変な価値です。
ですから、霊魂との交信による霊魂の主張を信じる人達の中に、心霊主義者を名乗る人達が現れたのです。
ですが、各人の共通認識としては、死後の世界があり、人間の個性が死後も存続するというような事くらいで、それ以外の事になると、通信によって主張が異なるので、結局は、どの通信が一番信憑性が高いのかという事で議論になるのでした。
複数の通信の内容が共通している場合もあるのですが、どうも、別の霊媒の影響を受けて、潜在意識が話したのではないか、と主張する研究者も現れ、霊魂からの通信に霊媒の潜在意識が混入するという事が言われるようになったのです。
そうした中、日本では浅野和三郎氏が霊媒実験を行い、日本でも心霊主義という言葉が使われるようになりました。
その後、時が流れ、潮文社が『シルバーバーチ』という霊界通信のシリーズを出してから、日本ではシルバーバーチを信じる人達が増えたと言えます。
したがいまして、日本ではシルバーバーチが人気のようです。
もちろん、その主張に科学性はありません。
その場にいた研究者が、霊魂を見ているわけでもなく、信じない人にとってはまやかしでしかありません。
つまり、スピリチュアリズムといっても、実際には客観性はほとんどなく、それをそのまま鵜呑みにしてしまうと心霊研究ではなくなるのです。
それは単なる宗教なのです。
霊界通信は、潜在意識の影響を受けるとスピリチュアリスト(心霊主義者)も主張していますので、どこまでが信憑性を持つのかを先に研究しなければならないのです。
日本では、その内容を分析して批判することもなく、そのまま信じる事がスピリチュアリズムだと考える人が増えていると言えます。
したがいまして、スピリチュアリズムは統計学ではありません。
潜在意識の問題がありますので、共通項を探すのではなく、どれが、一番、高級なのか、とか、高級でなくても、信憑性が高いのかを分析しなければならないのです。
そうであれば、心霊研究は科学とまでは行かなくとも、学問にはなり得ると言えます。
これまでの日本の場合は、大本教や天理教など、自動書記によって神様のご意思が示されたという主張が宗教団体に発展しています。
宗教団体になると、研究ではなくなり、お告げになります。
その為に、スピリチュアリズムとは異なる形態を取ることになるのです。
一方、霊魂学も、霊媒を通じて霊魂からの通信を元にしていますので、従来の心霊研究者から見れば、広い意味ではスピリチュアリズムなのです。
ですが、霊魂学は心霊研究の対象にはなりません。
研究者の冷ややかな視線や念の前では、高級な霊的環境が作れないという理由から、そうした事をしないのです。
ただし、通信する霊魂によって知っている事が違うので、必要であれば、より詳しい霊魂が登場してくれる事によって、霊魂学は内容が変化していきます。
そういう意味では、お筆先の宗教などとも異なります。
霊魂学は独自なものと言えましょう。
現在の日本のスピリチュアリズムは、実際には単なる宗教です。
団体になっているか否か、が違うだけなのです。
信じるのも自由ですが、宗教ですので、信じないのも自由という事なのです。
霊魂学は、より高級な霊魂からの通信を求め、霊的な事実は何かを探求しています。
そのために、どうすればよいかを霊魂に問い、霊魂から高級な霊魂との通信を可能にするための霊的トレーニングの指導を受けました。
更に、従来の心霊研究による霊界通信では、精神的な教えが主体で、高度な霊的トレーニングが示されていません。
それを人々に示すために、霊魂学では、現実的な霊的トレーニングの体系を求め、作成しえたのです。
それにより、単に表面意識だけを考えるのではなく、潜在意識や霊的な身体まで考えた霊的な進歩についての指導をする事になり、今日に至っております。
今後も、日々、進化し続ける事を目指しています。
2014.01.13
Q 水波師の霊魂学は科学ですか?
A 違います。
科学とは、誰が行なっても同じ結果を得られるというような、客観性がある実験や理論を持って成り立つ学問だと思えます。
ところが、残念ながら、霊魂学はそのような要素を備えていません。
霊魂学は、霊魂が水波師の身体を使用して通信を行ない、それによって得られた結果を元に成り立っています。
このような事を研究するためは、たとえば、他の大勢の人達にも、霊魂が全く同じ内容の通信を送ってくるという事でない限り、科学的な証明には至ることができません。
霊魂が人間の口や手、あるいは脳などを用いて通信を送ってくるというと時、いわば、使いやすい人間とそうでない人間が出てしまいます。
その上、人間というものは日によっても調子の良い日と悪い日があります。
その上で、科学的な立証をすることは、まず困難と言えます。
このような観点から見ますと、霊魂学は科学ではありません。
また、単なる思想だとも言えません。
なぜかと言いますと、思想は人間が頭で一生懸命に考えたものだからです。
霊魂学においては、霊魂は霊媒となる人間がそれまで知らなかったり、考えた事もなかったような事柄をも通信して来るのです。
つまり、死後の世界がどうなっているのか、といった、地上に住む人間にはとうてい分からないことまで通信してきたりします。
通信の受け手である霊媒自身も、そのような通信が正しいのかどうか、通信を受け取った後で検討するといった具合です。
したがいまして、霊魂学は科学でもなく思想でもありません。
しいて言えば、おそらく宗教の分野に入るかと思えます。
一般の人達の認識から言っても、科学でも哲学でもなく、霊魂や神霊の存在を肯定する学問だということからすれば、宗教の分野に分類されると思えます。
ですが、どの分野に入るのかは定義上の問題です。
霊魂学を他の分野と独立させて、「霊魂学」という新しい分野だと言えば、そう言い切れないこともないかもしれません。
A 違います。
科学とは、誰が行なっても同じ結果を得られるというような、客観性がある実験や理論を持って成り立つ学問だと思えます。
ところが、残念ながら、霊魂学はそのような要素を備えていません。
霊魂学は、霊魂が水波師の身体を使用して通信を行ない、それによって得られた結果を元に成り立っています。
このような事を研究するためは、たとえば、他の大勢の人達にも、霊魂が全く同じ内容の通信を送ってくるという事でない限り、科学的な証明には至ることができません。
霊魂が人間の口や手、あるいは脳などを用いて通信を送ってくるというと時、いわば、使いやすい人間とそうでない人間が出てしまいます。
その上、人間というものは日によっても調子の良い日と悪い日があります。
その上で、科学的な立証をすることは、まず困難と言えます。
このような観点から見ますと、霊魂学は科学ではありません。
また、単なる思想だとも言えません。
なぜかと言いますと、思想は人間が頭で一生懸命に考えたものだからです。
霊魂学においては、霊魂は霊媒となる人間がそれまで知らなかったり、考えた事もなかったような事柄をも通信して来るのです。
つまり、死後の世界がどうなっているのか、といった、地上に住む人間にはとうてい分からないことまで通信してきたりします。
通信の受け手である霊媒自身も、そのような通信が正しいのかどうか、通信を受け取った後で検討するといった具合です。
したがいまして、霊魂学は科学でもなく思想でもありません。
しいて言えば、おそらく宗教の分野に入るかと思えます。
一般の人達の認識から言っても、科学でも哲学でもなく、霊魂や神霊の存在を肯定する学問だということからすれば、宗教の分野に分類されると思えます。
ですが、どの分野に入るのかは定義上の問題です。
霊魂学を他の分野と独立させて、「霊魂学」という新しい分野だと言えば、そう言い切れないこともないかもしれません。
2014.01.14
Q 霊魂を勉強すると人生の目的が分かりますか?
A 学校のように何年生になったら何が分かるというものではありません。
それでも、少しずつ自分という霊的な生命体の正体が理解できます。
ただし、全てが分かるというものではありません。
なぜなら、それは人間が神霊という最高位の霊的生命体にならない限りは分からないからです。
霊魂の世界には、大勢の霊魂が居ますが、それぞれに魂の成長の度合いが異なっています。
そのために、霊魂になってから使用する身体の質もそれぞれに異なっています。
霊魂として進歩すると、その身体も高貴になるそうです。
したがいまして、より高貴な身体を所持した、より進歩した霊魂と、そうでない霊魂とでは、いろいろな面で違いがあります。
たとえば、死後、千年経っても、それほど進歩せず、幽界という世界にずっといる霊魂は、死後の世界といっても幽界という世界しか知りません。
一方、霊魂として進歩し、幽界とは違う更に上の世界に入った霊魂は、上の世界のことも知っています。
つまり、霊魂の世界では進歩した霊魂は、そうでない霊魂よりも深い知識を持っているのです。
たとえば、「生まれ変わり」といった問題を例にしてみましょう。
仮に、他界後、ずっと幽界という世界で生活している霊魂は、幽界では誰も生まれ変わっている霊魂を知らないから、生まれ変わりはない、と考えているとします。
ところが、霊的に進歩向上して、はるか上の世界にいる霊魂達の場合、周囲に大勢生まれ変わっている霊魂を知っているかもしれません。
そうなると、生まれ変わりに関しては、進歩した霊魂しか真実を知らないという事になります。
ですから、「人生の目的」という事も、他界後、霊魂となって進歩すればする程、良く分かるようになって行きます。
そして、地上の人生だけではなく、霊魂として、長く生きて行くわけですから、その生きる意味といったテーマが大切になってきます。
そうした事も、より進歩した霊魂ほど詳しく知っているわけですから、私達が地上に生きている間は、まず全ての真実を知る事は難しいと言えましょう。
それでも、そうした真実の一端を知る事は可能です。
霊魂学はより進歩した霊魂から直接通信を得ているからです。
いかに、本物の霊媒から霊魂よりの通信を得たとしても、他界後間もない霊魂や、他界後あまり進歩していない霊魂からの通信では、知り得る事は少ないのです。
むしろ、間違っている事を真面目に語ってくる場合が多いのです。
霊魂と霊媒が真面目であっても、レベルが高くない場合は、その内容の信憑性はその分低いのです。
やはり、霊的な身体と霊的な深い意識を、成長、強化した霊媒が出現しないと真実は得られないのです。
それが、今はこの国にあるのです。私はそれを皆さんに紹介したいと考えています。
ただ、霊魂によれば、人は霊的な訓練をして、霊的な身体と霊的な意識を成長させないと、真の意味での高度な霊的感性も磨かれないために、霊的な真実も理解しにくいのだそうです。
ですから、訓練のできた人にしか明かされない事柄もあります。
結局、より高貴でより真実に近い内容は、不特定多数が読む出版物やインターネットでは開示されないもののようです。
ですが、知りたい方がいれば、それに応じて書籍やHP(霊をさぐる PC版)でも開示される部分もあると考えております。
人生の目的は、人間がいったい何者なのか、を知らないと何も分かりません。
人間がただの物質ならば別ですが、そうでない場合は複雑です。
霊魂とは何か、魂とは、幽体とは、霊体とは、神霊とは、こうした事まで知らないと、真実は見えてきません。
真実の一端を知るには、やはり、自らの霊的な身体と霊的な意識の向上、これが不可欠なのです。
A 学校のように何年生になったら何が分かるというものではありません。
それでも、少しずつ自分という霊的な生命体の正体が理解できます。
ただし、全てが分かるというものではありません。
なぜなら、それは人間が神霊という最高位の霊的生命体にならない限りは分からないからです。
霊魂の世界には、大勢の霊魂が居ますが、それぞれに魂の成長の度合いが異なっています。
そのために、霊魂になってから使用する身体の質もそれぞれに異なっています。
霊魂として進歩すると、その身体も高貴になるそうです。
したがいまして、より高貴な身体を所持した、より進歩した霊魂と、そうでない霊魂とでは、いろいろな面で違いがあります。
たとえば、死後、千年経っても、それほど進歩せず、幽界という世界にずっといる霊魂は、死後の世界といっても幽界という世界しか知りません。
一方、霊魂として進歩し、幽界とは違う更に上の世界に入った霊魂は、上の世界のことも知っています。
つまり、霊魂の世界では進歩した霊魂は、そうでない霊魂よりも深い知識を持っているのです。
たとえば、「生まれ変わり」といった問題を例にしてみましょう。
仮に、他界後、ずっと幽界という世界で生活している霊魂は、幽界では誰も生まれ変わっている霊魂を知らないから、生まれ変わりはない、と考えているとします。
ところが、霊的に進歩向上して、はるか上の世界にいる霊魂達の場合、周囲に大勢生まれ変わっている霊魂を知っているかもしれません。
そうなると、生まれ変わりに関しては、進歩した霊魂しか真実を知らないという事になります。
ですから、「人生の目的」という事も、他界後、霊魂となって進歩すればする程、良く分かるようになって行きます。
そして、地上の人生だけではなく、霊魂として、長く生きて行くわけですから、その生きる意味といったテーマが大切になってきます。
そうした事も、より進歩した霊魂ほど詳しく知っているわけですから、私達が地上に生きている間は、まず全ての真実を知る事は難しいと言えましょう。
それでも、そうした真実の一端を知る事は可能です。
霊魂学はより進歩した霊魂から直接通信を得ているからです。
いかに、本物の霊媒から霊魂よりの通信を得たとしても、他界後間もない霊魂や、他界後あまり進歩していない霊魂からの通信では、知り得る事は少ないのです。
むしろ、間違っている事を真面目に語ってくる場合が多いのです。
霊魂と霊媒が真面目であっても、レベルが高くない場合は、その内容の信憑性はその分低いのです。
やはり、霊的な身体と霊的な深い意識を、成長、強化した霊媒が出現しないと真実は得られないのです。
それが、今はこの国にあるのです。私はそれを皆さんに紹介したいと考えています。
ただ、霊魂によれば、人は霊的な訓練をして、霊的な身体と霊的な意識を成長させないと、真の意味での高度な霊的感性も磨かれないために、霊的な真実も理解しにくいのだそうです。
ですから、訓練のできた人にしか明かされない事柄もあります。
結局、より高貴でより真実に近い内容は、不特定多数が読む出版物やインターネットでは開示されないもののようです。
ですが、知りたい方がいれば、それに応じて書籍やHP(霊をさぐる PC版)でも開示される部分もあると考えております。
人生の目的は、人間がいったい何者なのか、を知らないと何も分かりません。
人間がただの物質ならば別ですが、そうでない場合は複雑です。
霊魂とは何か、魂とは、幽体とは、霊体とは、神霊とは、こうした事まで知らないと、真実は見えてきません。
真実の一端を知るには、やはり、自らの霊的な身体と霊的な意識の向上、これが不可欠なのです。
2014.01.14
Q これからの時代は、やはり、霊魂を知る事が一番大切だと思います。
死後の世界や霊魂の実在を信じる人達にとって、今後、一番知らねばならない事は何でしょうか。
A それは、霊的な技術や仕組みです。
霊魂の事は残念ながら、今の科学では解明できそうにありません。
したがって、科学のような断定的な説明の仕方ができません。
それでも、信じる人達は、この霊的な技術や仕組みによって、体験的に理解できるものです。
そうした観点から見ると、今知るべき事は、人生訓よりもむしろ霊的な技術や仕組みであると言えます。
人生訓はイエスやシャカ、その他大勢の偉い方々が言葉を残しておられます。
日本の宗教団体でも高度な教えは数多い事でしょう。
神や仏を信じなくても、生き方を学ぶだけなら、偉い宗教家の先生の書物も多数あります。
ところが、それでも人は必ずしも幸福にはなれませんし、霊的な進歩にも至れません。
それは何故でしょうか。
幸福という問題は、主観的な要素が強いので客観的には判断しにくいという点があります。
第三者がとやかく言いにくいと言えましょう。
しかし、霊的な進歩には客観性があります。
幽体の質や幽体のオーラ、その他の霊的身体の質とオーラを見れば進歩の度合いを判断する事が可能なのです。
こうした視点から見ますと、立派な人生訓や教えを受けているのであろう方々の霊的な進歩がそれ程高くない、いや、かえって、一般の人よりも低い場合があるのです。
つまり、宗教団体に入っている人の場合で言えば、高度な教えを日々実践していらっしゃるのでしょうが、その教団で行なっている宗教的な作法が、霊的な視点から見て良い作法ではないために、意識の低い霊魂の関与を受けてしまっている人達がいるのです。
そうなると、いかに立派な教えを受け、日々、愛の心を考え、実践しようとしていても、霊的な成長が得られないばかりか、逆に幽体が不調になり、結果として、その人の守護霊から遠ざかってしまっていることが多いのです。
また、宗教団体には入らず、本などを読んで、霊的、宗教的な人生訓を実践している方にも同様の事が言えます。
頭では高級な霊的存在を念じてみても、人は急に想念の質が上がるわけではありませんから、最初のうちはこれまでと同様の想念の質しか持っていないのです。
そのため、最初から高級な霊魂に思いが届くわけではありません。
これが霊魂の世界の法則なのです。
そうなりますと、本人は高級な人生訓や教えを読んでいるつもりでいても、側には意識の低い霊魂が来ている場合があり、霊的になればなるほど、かえって、質の低い霊魂に関与されるという場合もあるのです。
大変立派な教えを読んでいらっしゃっても、実際には他の人に低い幽気を発してしまうという事にもなります。
また、無意識的に、他の人を傷つけるような言動が多くなり、敵を作ってはその念を自分が受けてしまい、結果として、幽体がボロボロになってしまうという事も珍しくありません。
こうなりますと、他界後も上の世界には行けませんし、霊的にもむしろ退歩してしまいます。
実際には、低い霊魂に関与されなくても、他の人を知らないうちに傷つけるのが人間です。
それを考えると、低い霊魂の関与を受けて、知らないうちに、他の人に攻撃的な幽気を発しているのでは、何のための教えなのか分からなくなってしまいます。
したがいまして、一番大事なのは、まず、宗教的、霊的な作法や修行、儀式等の霊的分析、あるいは、意識の低い霊魂が関与する仕組みの解明、こうした事が何よりも大事なのです。
単に、愛の思いを発したから低い霊魂が来ない、といった単純な考えを信じていては、いつまで経っても、霊魂による憑依はなくなりません。
いくら、表面の心が愛を考えていても、幽体が肉体からずれていれば、霊魂は喜んで身体内に侵入して来てしまうのです。
今、大切な事、それは、教えよりもむしろ、霊魂の実際的な作用を知る事なのです。
法則や事実を知った上で、生き方を語るべきなのです。
もちろん、その前提の上で、霊的トレーニングが大切な事は言うまでもありません。
死後の世界や霊魂の実在を信じる人達にとって、今後、一番知らねばならない事は何でしょうか。
A それは、霊的な技術や仕組みです。
霊魂の事は残念ながら、今の科学では解明できそうにありません。
したがって、科学のような断定的な説明の仕方ができません。
それでも、信じる人達は、この霊的な技術や仕組みによって、体験的に理解できるものです。
そうした観点から見ると、今知るべき事は、人生訓よりもむしろ霊的な技術や仕組みであると言えます。
人生訓はイエスやシャカ、その他大勢の偉い方々が言葉を残しておられます。
日本の宗教団体でも高度な教えは数多い事でしょう。
神や仏を信じなくても、生き方を学ぶだけなら、偉い宗教家の先生の書物も多数あります。
ところが、それでも人は必ずしも幸福にはなれませんし、霊的な進歩にも至れません。
それは何故でしょうか。
幸福という問題は、主観的な要素が強いので客観的には判断しにくいという点があります。
第三者がとやかく言いにくいと言えましょう。
しかし、霊的な進歩には客観性があります。
幽体の質や幽体のオーラ、その他の霊的身体の質とオーラを見れば進歩の度合いを判断する事が可能なのです。
こうした視点から見ますと、立派な人生訓や教えを受けているのであろう方々の霊的な進歩がそれ程高くない、いや、かえって、一般の人よりも低い場合があるのです。
つまり、宗教団体に入っている人の場合で言えば、高度な教えを日々実践していらっしゃるのでしょうが、その教団で行なっている宗教的な作法が、霊的な視点から見て良い作法ではないために、意識の低い霊魂の関与を受けてしまっている人達がいるのです。
そうなると、いかに立派な教えを受け、日々、愛の心を考え、実践しようとしていても、霊的な成長が得られないばかりか、逆に幽体が不調になり、結果として、その人の守護霊から遠ざかってしまっていることが多いのです。
また、宗教団体には入らず、本などを読んで、霊的、宗教的な人生訓を実践している方にも同様の事が言えます。
頭では高級な霊的存在を念じてみても、人は急に想念の質が上がるわけではありませんから、最初のうちはこれまでと同様の想念の質しか持っていないのです。
そのため、最初から高級な霊魂に思いが届くわけではありません。
これが霊魂の世界の法則なのです。
そうなりますと、本人は高級な人生訓や教えを読んでいるつもりでいても、側には意識の低い霊魂が来ている場合があり、霊的になればなるほど、かえって、質の低い霊魂に関与されるという場合もあるのです。
大変立派な教えを読んでいらっしゃっても、実際には他の人に低い幽気を発してしまうという事にもなります。
また、無意識的に、他の人を傷つけるような言動が多くなり、敵を作ってはその念を自分が受けてしまい、結果として、幽体がボロボロになってしまうという事も珍しくありません。
こうなりますと、他界後も上の世界には行けませんし、霊的にもむしろ退歩してしまいます。
実際には、低い霊魂に関与されなくても、他の人を知らないうちに傷つけるのが人間です。
それを考えると、低い霊魂の関与を受けて、知らないうちに、他の人に攻撃的な幽気を発しているのでは、何のための教えなのか分からなくなってしまいます。
したがいまして、一番大事なのは、まず、宗教的、霊的な作法や修行、儀式等の霊的分析、あるいは、意識の低い霊魂が関与する仕組みの解明、こうした事が何よりも大事なのです。
単に、愛の思いを発したから低い霊魂が来ない、といった単純な考えを信じていては、いつまで経っても、霊魂による憑依はなくなりません。
いくら、表面の心が愛を考えていても、幽体が肉体からずれていれば、霊魂は喜んで身体内に侵入して来てしまうのです。
今、大切な事、それは、教えよりもむしろ、霊魂の実際的な作用を知る事なのです。
法則や事実を知った上で、生き方を語るべきなのです。
もちろん、その前提の上で、霊的トレーニングが大切な事は言うまでもありません。