みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.08
呪いというと、世間では『丑の刻参り』が有名です。
深夜、神社などで、ワラ人形に釘を刺して相手を呪います。こうした事は日本でも古くから行なわれていました。
もっとも、霊を信じない人から見れば、全くばかげている事でしょう。
実際、テレビなどでも、呪いが効いたという話は、全て心理的な現象であると説明している番組がありました。
ところが、現実はそんなに単純ではないのです。
つまり、呪いというようなはっきりしたものでなくても、人間という存在は「念」を発します。
この「念」が、相手の人の、肉体と重なっている、「幽体」と呼ばれる霊的な身体を刺して、肉体にまで悪い影響をもたらしてしまう、というような事が実際にあるのです。
超能力の存在を信じている方は、人の念が他の人にも通じるという事をよくご存じだと思います。
テレパシーや念力が実在するとするなら、別に超能力者でなくても、人は少なからず念を発しているということが考えられます。
一般の人にはその念が分からないだけで、実際には、(あいつが憎い。)と、強く思うと、憎いと思う相手にテレパシーのようにしてその念が飛んで行っている可能性があるのです。
けれども、現状では、この様子を科学的には実証できません。が、私達はこの結果を体験的に知ることは出来るのです。
このHP(霊をさぐるPC版)の監修者が霊的な講演を行なう時、途中で希望者には霊的調査を行ないます。
その場で、よくこの念の力が話題になります。
プライバシーの関係上、他の方の話は取り上げにくいので、ここではまず、恥ずかしながら、私の体験をお話しします。
ずいぶん前の事になります。私もまだ霊魂の事が良く分かっていませんでした。
その日は体調が悪く、監修者と打ち合わせをするにも、能率が上がりそうにありませんでした。
それを知った監修者はやむをえず、その場で霊的調査をして下さいました。
そして、外国人のことを指摘されました。
詳しいことは相手の方に失礼なので言えませんが、それは、仕事の関係で話をする事がある、ある外国人の特徴にピッタリだったのです。
どうもその外国人から攻撃的な念が来ている、それが体に悪影響を与えている、という事のようで、早速、念を消す霊術(霊的な技術)を行ないました。
霊術といっても簡単なもので、自分でもすぐに出来ました。
作法が全て終わった時です。それまでの不調が、どこ吹く風、と消えてしまいました。
霊を信じない人達は、何でも全て心理作用だと言います。
今回の私のような場合ならば、たぶん、暗示的な効果だとか、薬品のプラシーボ効果(良く効く薬であると説明の上、患者に薬ではない物を飲ませると、まるでその薬を飲んだかのような効果が現れるという現象のこと)のようなもの、と言うのでしょう。
それほど簡単に心理作用で効果が出るものならば、全て心理作用だ、と主張する方々も、そのような方法で困っている人々を直してみてはいかがでしょう。
実際には、そんなに簡単に効果が出るものではありません。
とはいえ、しょせん、科学的な証明を伴うものではありません。信じる人は信じ、信じない人は信じない、という話に終始してしまいます。
さて、ここで、霊魂を信じる方の場合は、こうした事は誰にでも起こり得るという事を知り、ぜひとも、もっと、深く霊魂を勉強して欲しいと思います。必ずや何かの役に立つことがあるはずです。
深夜、神社などで、ワラ人形に釘を刺して相手を呪います。こうした事は日本でも古くから行なわれていました。
もっとも、霊を信じない人から見れば、全くばかげている事でしょう。
実際、テレビなどでも、呪いが効いたという話は、全て心理的な現象であると説明している番組がありました。
ところが、現実はそんなに単純ではないのです。
つまり、呪いというようなはっきりしたものでなくても、人間という存在は「念」を発します。
この「念」が、相手の人の、肉体と重なっている、「幽体」と呼ばれる霊的な身体を刺して、肉体にまで悪い影響をもたらしてしまう、というような事が実際にあるのです。
超能力の存在を信じている方は、人の念が他の人にも通じるという事をよくご存じだと思います。
テレパシーや念力が実在するとするなら、別に超能力者でなくても、人は少なからず念を発しているということが考えられます。
一般の人にはその念が分からないだけで、実際には、(あいつが憎い。)と、強く思うと、憎いと思う相手にテレパシーのようにしてその念が飛んで行っている可能性があるのです。
けれども、現状では、この様子を科学的には実証できません。が、私達はこの結果を体験的に知ることは出来るのです。
このHP(霊をさぐるPC版)の監修者が霊的な講演を行なう時、途中で希望者には霊的調査を行ないます。
その場で、よくこの念の力が話題になります。
プライバシーの関係上、他の方の話は取り上げにくいので、ここではまず、恥ずかしながら、私の体験をお話しします。
ずいぶん前の事になります。私もまだ霊魂の事が良く分かっていませんでした。
その日は体調が悪く、監修者と打ち合わせをするにも、能率が上がりそうにありませんでした。
それを知った監修者はやむをえず、その場で霊的調査をして下さいました。
そして、外国人のことを指摘されました。
詳しいことは相手の方に失礼なので言えませんが、それは、仕事の関係で話をする事がある、ある外国人の特徴にピッタリだったのです。
どうもその外国人から攻撃的な念が来ている、それが体に悪影響を与えている、という事のようで、早速、念を消す霊術(霊的な技術)を行ないました。
霊術といっても簡単なもので、自分でもすぐに出来ました。
作法が全て終わった時です。それまでの不調が、どこ吹く風、と消えてしまいました。
霊を信じない人達は、何でも全て心理作用だと言います。
今回の私のような場合ならば、たぶん、暗示的な効果だとか、薬品のプラシーボ効果(良く効く薬であると説明の上、患者に薬ではない物を飲ませると、まるでその薬を飲んだかのような効果が現れるという現象のこと)のようなもの、と言うのでしょう。
それほど簡単に心理作用で効果が出るものならば、全て心理作用だ、と主張する方々も、そのような方法で困っている人々を直してみてはいかがでしょう。
実際には、そんなに簡単に効果が出るものではありません。
とはいえ、しょせん、科学的な証明を伴うものではありません。信じる人は信じ、信じない人は信じない、という話に終始してしまいます。
さて、ここで、霊魂を信じる方の場合は、こうした事は誰にでも起こり得るという事を知り、ぜひとも、もっと、深く霊魂を勉強して欲しいと思います。必ずや何かの役に立つことがあるはずです。
2014.01.10

ある女性が誰かに恨まれて強い念を受けました。
そのため、「幽体」と呼ばれる、肉体とダブッている身体に損傷を受けました。
これを放っておくと、やがて、肉体にも影響が出るかもしれません。
その人はこれを治す為に、ある霊能力者に治療を依頼しました。
ところがどうした事でしょう。
この霊能力者は幽体の存在を知りませんでした。そのため、お祓いしかしてくれなかったのです。
やがて、その人は肉体に、医者では治療困難な病気を持つ事になりました。
しばらくして、病院のベッドから一人の人が旅立ちました。霊魂の世界に旅立ったのです。
この人は善人でした。その上、霊魂も神様も信じていました。
それなのにどうした事でしょう。
幽体の損傷が激しく、上の方の世界では暮らしにくいらしく、地獄ではないものの下の方の世界で暮らす事になったのでした。その世界は彼女には不本意な世界でした。
それから彼女の真剣な努力が始まりました。そして、長い年月の末、彼女もようやく、上の世界の入り口あたりに達しました。
「本当に辛かったです。」
彼女の叫びを、今生きている人達に知って欲しいものです。
2014.01.14
Q 霊的トレーニング(修行)などによって霊的に向上した人に対して、たとえば恨みなどといった念を強く発した人はどうなるのでしょうか。その念が自分に跳ね返ったりするものなのでしょうか。
A 人が強い念を出すと、他の人の幽体を傷つけてしまうことがあります。
これに関しては他のページでもすでに説明していると思います。
これは相手が霊的に向上した人であっても、原則として、全く同じです。
つまり、人が発する念というものは、愛であれ、憎悪であれ、発した瞬間に相手に届いてしまっていると考えた方が分かりやすいと思います。
もちろん、相手が特定されている場合ですが。
これはちょうど、メールを一方的に送り付けているようなもので、念を送れば、相手には届きます。
念を送られた人は、幽体に相手の念が付いて幽体が汚れたり、傷ついたりする、と考えてみてください。
その幽体が頑丈であるか、ひ弱であるかによって、ダメージは異なります。
幽体がひ弱な人は、他の人から攻撃的な念を受けると、幽体が傷つき、幽体のオーラが不調になったりし、長い間には、肉体にまで影響が出るすることがあります。
ただし、相手が霊的トレーニングによって幽体を成長、強化させている場合は、一般の人とは事情が異なります。
ですので、幽体の成長、強化は、大変有効だと言えます。
とは言いましても、人間には好、不調があります。
肉体と同様で、幽体も身体ですので、いつも調子が良いとは限りません。
ですから、霊的トレーニングを経た人も油断していては困ります。
もう1つ例を出しますと、大人に対して幼児が叩いたり蹴ったりしたとします。
確かに痛いでしょうが、それほどダメージは受けません。
ところが、相手が大人であったら、骨の1つも折れてしまいます。
そこで、霊的トレーニング、特に神伝鎮魂法のような幽体の強化法を行なうことにより、幽体を強化したとします。
これは肉体にたとえれば、プロレスラーのような頑強な身体になったといえましょう。
プロレスラーの身体なら、一般人に殴られて、痛いでしょうが、耐久力が違います。
ただし、だからといって安心しているわけには行きません。
風邪などを引いて体調を崩している時に、背後から不意打ちをされたり、相手の念に悪い霊魂が協力して来てその念が、いわばプロレスラーの放つパンチや蹴りのようであったら大変です。
したがいまして、こうした問題は全て、両者の強弱の関係、そしてタイミングの問題もあります。
したがいまして、誰でも油断は禁物なのです。
自分の発した攻撃的な念が跳ね返されて、戻って来るということは、普通の場合はありません。
そうした事は、念を受けた人が「霊術」という特殊な霊的技術を使う場合にしか起こりません。
ただし例外としましては、念を受けた人に関わっている霊魂が怒って反撃して来るという場合があります。
そのような場合は、本人が知らなくても、念を跳ね返しているのと同じ効果が相手にありますので注意が必要です。
念の話は例外も多いので、説明も難しいのですが、一般論として言えば、霊的に向上した人に攻撃的な念を出しても良いことはあまりないのは確かでしょう。
A 人が強い念を出すと、他の人の幽体を傷つけてしまうことがあります。
これに関しては他のページでもすでに説明していると思います。
これは相手が霊的に向上した人であっても、原則として、全く同じです。
つまり、人が発する念というものは、愛であれ、憎悪であれ、発した瞬間に相手に届いてしまっていると考えた方が分かりやすいと思います。
もちろん、相手が特定されている場合ですが。
これはちょうど、メールを一方的に送り付けているようなもので、念を送れば、相手には届きます。
念を送られた人は、幽体に相手の念が付いて幽体が汚れたり、傷ついたりする、と考えてみてください。
その幽体が頑丈であるか、ひ弱であるかによって、ダメージは異なります。
幽体がひ弱な人は、他の人から攻撃的な念を受けると、幽体が傷つき、幽体のオーラが不調になったりし、長い間には、肉体にまで影響が出るすることがあります。
ただし、相手が霊的トレーニングによって幽体を成長、強化させている場合は、一般の人とは事情が異なります。
ですので、幽体の成長、強化は、大変有効だと言えます。
とは言いましても、人間には好、不調があります。
肉体と同様で、幽体も身体ですので、いつも調子が良いとは限りません。
ですから、霊的トレーニングを経た人も油断していては困ります。
もう1つ例を出しますと、大人に対して幼児が叩いたり蹴ったりしたとします。
確かに痛いでしょうが、それほどダメージは受けません。
ところが、相手が大人であったら、骨の1つも折れてしまいます。
そこで、霊的トレーニング、特に神伝鎮魂法のような幽体の強化法を行なうことにより、幽体を強化したとします。
これは肉体にたとえれば、プロレスラーのような頑強な身体になったといえましょう。
プロレスラーの身体なら、一般人に殴られて、痛いでしょうが、耐久力が違います。
ただし、だからといって安心しているわけには行きません。
風邪などを引いて体調を崩している時に、背後から不意打ちをされたり、相手の念に悪い霊魂が協力して来てその念が、いわばプロレスラーの放つパンチや蹴りのようであったら大変です。
したがいまして、こうした問題は全て、両者の強弱の関係、そしてタイミングの問題もあります。
したがいまして、誰でも油断は禁物なのです。
自分の発した攻撃的な念が跳ね返されて、戻って来るということは、普通の場合はありません。
そうした事は、念を受けた人が「霊術」という特殊な霊的技術を使う場合にしか起こりません。
ただし例外としましては、念を受けた人に関わっている霊魂が怒って反撃して来るという場合があります。
そのような場合は、本人が知らなくても、念を跳ね返しているのと同じ効果が相手にありますので注意が必要です。
念の話は例外も多いので、説明も難しいのですが、一般論として言えば、霊的に向上した人に攻撃的な念を出しても良いことはあまりないのは確かでしょう。
2014.01.15
(この文章は監修者 水波一郎師の発言をそのまま書いています)
人の思いは想念として外部に出る。
これは、超能力を認める人なら信じ得ることであろう。
実際、念力やテレパシーと呼ばれるものを、自分で実験してみた人もいらっしゃることと思う。
明らかに実証された、とまでは行かなくても、偶然よりは高い確率で実験が終わったという人も多いに違いない。
霊魂学の立場からいうと、人の思いは他の人の元へ飛んで行く。
これを否定する場合は、宗教における祈りを全て否定しなければならない。
神や仏に祈るという行為は、人の思いが自分から外部へ伝わることを前提にしなければ成り立たない行為なのである。
霊魂学ではこの想念を重視する。
そして、念の力の強弱も大切であるが、同時に、念には霊的な質の高低があると主張するのである。
つまり、高級な質を持つ念は高級な霊魂に届き得ると言う。
そうなると、高級な質を持っていなければ、その祈りは神や仏はおろか、高級な霊魂にすら届かないということになる。
これが、霊魂からの通信によれば、真実なのである。
そうなると、人はどうすれば高級な念を発し得るのかを知らねばならない。
笑いとか怒りとかいった、単なる感情の表現が霊的な質の高低とは無関係であることは言うまでもない。
もっと、根本的な質の違いがあるのである。
それは、あたかも、テレビやラジオのチャンネルのようなものである。
たとえ、どんな性質の放送をしていようと、国営放送は国営放送の周波数でしか見られない。
つまり、怒っていようと笑っていようと、問題はその念が出てくる元の質なのである。
つまり、一般人が愛を心に抱いていても、だからといって、黙っていて何の感情も発しておられないお釈迦様よりも、念の質が高いなどということはないのである。
では、質の高い念とは何か。それが問題なのである。
質の高い念、それは、人間的な感情や心理の状態によるのではなく、霊的な身体の質にふさわしい念の質なのである。
人の脳がいくら愛を考えてみても、それは肉の防御本能や自己保存、母性本能などに根差しており、神的な愛には根差してはいない。
それが、肉を持つということなのである。
一方、肉を捨て、食事に縛られなくなった自由な魂達は、愛も憎悪も肉体に縛られることがない、そのために、地上にいた頃よりも遥かに強大な愛や憎悪を持っている。
よって、地上の人間がどんなに愛情豊かといっても、高級霊魂のそれよりも格段劣るのであるし、また、どんなに邪悪な人間といっても、邪霊に比べれば赤ん坊同然なのである。
そのため、地上のどんな立派な人間であっても、実はなかなか高級霊魂に思いが届くことはなく、どんなに悪い人間であっても、邪霊に思いが届くなどということはないのである。
霊的な真実は奥が深く、かつ神秘的である。
しょせん、これまでの宗教や神秘学が主張してきたことは、幼児に対するおとぎ話であり、真実そのものからは遠いのである。
真の高級霊魂は今、初めて真実を出そうとしている。
ただし、それは、霊的身体を成長させなければ、教わることができない。
準備ができない者に真実が示されることはない。
それが、霊的世界のルールなのである。
『求めよ、さらば与えられん。』
人の思いは想念として外部に出る。
これは、超能力を認める人なら信じ得ることであろう。
実際、念力やテレパシーと呼ばれるものを、自分で実験してみた人もいらっしゃることと思う。
明らかに実証された、とまでは行かなくても、偶然よりは高い確率で実験が終わったという人も多いに違いない。
霊魂学の立場からいうと、人の思いは他の人の元へ飛んで行く。
これを否定する場合は、宗教における祈りを全て否定しなければならない。
神や仏に祈るという行為は、人の思いが自分から外部へ伝わることを前提にしなければ成り立たない行為なのである。
霊魂学ではこの想念を重視する。
そして、念の力の強弱も大切であるが、同時に、念には霊的な質の高低があると主張するのである。
つまり、高級な質を持つ念は高級な霊魂に届き得ると言う。
そうなると、高級な質を持っていなければ、その祈りは神や仏はおろか、高級な霊魂にすら届かないということになる。
これが、霊魂からの通信によれば、真実なのである。
そうなると、人はどうすれば高級な念を発し得るのかを知らねばならない。
笑いとか怒りとかいった、単なる感情の表現が霊的な質の高低とは無関係であることは言うまでもない。
もっと、根本的な質の違いがあるのである。
それは、あたかも、テレビやラジオのチャンネルのようなものである。
たとえ、どんな性質の放送をしていようと、国営放送は国営放送の周波数でしか見られない。
つまり、怒っていようと笑っていようと、問題はその念が出てくる元の質なのである。
つまり、一般人が愛を心に抱いていても、だからといって、黙っていて何の感情も発しておられないお釈迦様よりも、念の質が高いなどということはないのである。
では、質の高い念とは何か。それが問題なのである。
質の高い念、それは、人間的な感情や心理の状態によるのではなく、霊的な身体の質にふさわしい念の質なのである。
人の脳がいくら愛を考えてみても、それは肉の防御本能や自己保存、母性本能などに根差しており、神的な愛には根差してはいない。
それが、肉を持つということなのである。
一方、肉を捨て、食事に縛られなくなった自由な魂達は、愛も憎悪も肉体に縛られることがない、そのために、地上にいた頃よりも遥かに強大な愛や憎悪を持っている。
よって、地上の人間がどんなに愛情豊かといっても、高級霊魂のそれよりも格段劣るのであるし、また、どんなに邪悪な人間といっても、邪霊に比べれば赤ん坊同然なのである。
そのため、地上のどんな立派な人間であっても、実はなかなか高級霊魂に思いが届くことはなく、どんなに悪い人間であっても、邪霊に思いが届くなどということはないのである。
霊的な真実は奥が深く、かつ神秘的である。
しょせん、これまでの宗教や神秘学が主張してきたことは、幼児に対するおとぎ話であり、真実そのものからは遠いのである。
真の高級霊魂は今、初めて真実を出そうとしている。
ただし、それは、霊的身体を成長させなければ、教わることができない。
準備ができない者に真実が示されることはない。
それが、霊的世界のルールなのである。
『求めよ、さらば与えられん。』
呪い(のろい)、それは、霊術の中でも最も有名なものでしょう。
それだけに種類もいろいろあるようです。
この呪いを掛けることができる人が、どのくらい居るのかは分かりません。
ですが、人が人を呪う心理は特別なものではありません。
大抵の人は長い人生の間に1度くらいは、呪ってやりたいと思うような相手が1人や2人はいるものでしょう。
プロの人ではなくても、一般の人達の中には、できるものなら、この呪いの力を行使したい、と考えている方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
そのため、呪いの方法は、初歩的なものから高度なものに至るまで、各地に多数伝わっているものと思えます。
中でも、呪いのワラ人形などは、誰もが知っている方法なのではないでしょうか。
とは言いましても、やはり、呪いもしょせんは素人では効き目がありません。
人を恨む念は確かに、その相手に衝撃を与えます。
ですが、それは、大抵の場合は「幽体」という、人間の肉体と重なった霊的な身体の方を直撃するようです。
そして、長い目で見ると、その影響が様々に出るようですが、当事者には何も分からないのです。
そうなりますと、誰かを呪ってやりたいと考える人はやはり、その道の専門家に頼ることになります。
つまり、プロではなくても、力がある、という評価を受けている霊能力者や祈祷師、宗教家などを探すことになるのです。
実は、このHP(霊をさぐる PC版)にもそうした相談が来ることがあります。
実際、そうした方は大変苦しい思いをしていらっしゃいます。
何とかして相手を苦しめたい、という思いになるような充分な事情がおありです。
それなのに現実には、何ら講ずる手段が見出せなかったりするのです。
たとえば、法的に裁くことができないとか、誰に相談するでもなく解決の糸口が現実世界に見出せないとかいうことがあったとします。
そのような時、客観的には、相手の人が何らかの形で裁かれないと不公平だと思えるような悲しい話もあるのです。
このような方々は思ったより大勢いらっしゃいます。
それでも、残念ながら、私の場合はそうした呪いの方法を師から習っておりません。
また、そのような技術を行なう資格もありませんので、相談者の方は大変辛い思いをしていらっしゃるとは思うのですが、残念ながら何もしてさしあげることができません、とお返事するしかないのです。
そして、そのように辛く悲しい思いをしていらっしゃる方々は、「呪いができる」という人物に出会ったとしたら、間違いなく呪いを依頼されると思うのです。
呪いは世間では迷信や心理作用だと思われています。(「呪いって、ほんとうに存在する?」参照)ところが、現実はそうでもありません。
霊魂を自在に動かせるような霊能力者や祈祷師にとっては、呪いは不可能ではなくなるのです。
呪いを掛けると、多くの場合は、呪いを掛ける人のもとで動く霊魂が相手の人の側まで行き、あの手この手でその人が不幸になるように仕掛けるのです。
そのため呪いを掛けられた相手には、時として、急に車道に飛び出したくなったり、駅のホームから飛び降りたいような衝動が起きることもあります。
このように、霊魂達はできる限りの方法を駆使して相手の人に不幸を与えようとすることがあるのです。
果たしてどのくらいの効力があるかは、霊能力者と霊魂達の力量にもよりますので簡単には判断できません。
ですが、人間は霊魂から霊感を受けることができる、と信じている方であれば、それが理解できると思います。
霊能力者の指示で動く霊魂が、呪いの対象者に対してあたかも霊感を与えるかのように思想を与え、誘導することも不可能ではないのです。
また、別の人の意識に影響を与えて、呪いの対象者を事故にひき合わせたり、側で思いを四六時中発し続けることにより、対象者をノイローゼにしたりするような霊魂もいるそうです。
このような呪いの技は決して世に出てはなりません。
呪う人の事情は様々で確かに同情すべき点は多々あります。
ですが、神でも仏でもない私達人間が、いくら霊魂を動かすことができるようになったとしても、その事に対する善し悪しはなかなか正しく判断できません。
そして、何よりも、呪いの場合は、相手の人を死に至らしめる可能性もあるのです。
めったにない事でしょうが、絶対にないとは言えません。
いわば人殺しになる可能性があるのです。
そうした事を判断するには、神様のような判断力が必要になります。
私はこうした技術は世の中から消えた方が善いと思っています。
それでも、社会の片隅には、今だにこうした技術が隠れているという話を聞きます。
事実、このHP(霊をさぐる PC版)を立ち上げた頃に、早速、ある人から、某流派の技術によって、こちらを呪ってやる、と掲示板に書かれたこともありました。
これがこうした世界の現実なんだ、と大変悲しく思いました。
世の中には、逆恨み等のために、呪いの被害に遭う方も少なからずいらっしゃることと思います。
私も「呪いに対する対処の技術」を習っておりますので、でき得る限り、そういった方々の相談に乗ってさしあげたいと思っております。(「霊相談」参照。)
皆さんも、充分、ご注意ください。皆さんがこのようなことに不要に巻き込まれないよう願わずにいられません。
それだけに種類もいろいろあるようです。
この呪いを掛けることができる人が、どのくらい居るのかは分かりません。
ですが、人が人を呪う心理は特別なものではありません。
大抵の人は長い人生の間に1度くらいは、呪ってやりたいと思うような相手が1人や2人はいるものでしょう。
プロの人ではなくても、一般の人達の中には、できるものなら、この呪いの力を行使したい、と考えている方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
そのため、呪いの方法は、初歩的なものから高度なものに至るまで、各地に多数伝わっているものと思えます。
中でも、呪いのワラ人形などは、誰もが知っている方法なのではないでしょうか。
とは言いましても、やはり、呪いもしょせんは素人では効き目がありません。
人を恨む念は確かに、その相手に衝撃を与えます。
ですが、それは、大抵の場合は「幽体」という、人間の肉体と重なった霊的な身体の方を直撃するようです。
そして、長い目で見ると、その影響が様々に出るようですが、当事者には何も分からないのです。
そうなりますと、誰かを呪ってやりたいと考える人はやはり、その道の専門家に頼ることになります。
つまり、プロではなくても、力がある、という評価を受けている霊能力者や祈祷師、宗教家などを探すことになるのです。
実は、このHP(霊をさぐる PC版)にもそうした相談が来ることがあります。
実際、そうした方は大変苦しい思いをしていらっしゃいます。
何とかして相手を苦しめたい、という思いになるような充分な事情がおありです。
それなのに現実には、何ら講ずる手段が見出せなかったりするのです。
たとえば、法的に裁くことができないとか、誰に相談するでもなく解決の糸口が現実世界に見出せないとかいうことがあったとします。
そのような時、客観的には、相手の人が何らかの形で裁かれないと不公平だと思えるような悲しい話もあるのです。
このような方々は思ったより大勢いらっしゃいます。
それでも、残念ながら、私の場合はそうした呪いの方法を師から習っておりません。
また、そのような技術を行なう資格もありませんので、相談者の方は大変辛い思いをしていらっしゃるとは思うのですが、残念ながら何もしてさしあげることができません、とお返事するしかないのです。
そして、そのように辛く悲しい思いをしていらっしゃる方々は、「呪いができる」という人物に出会ったとしたら、間違いなく呪いを依頼されると思うのです。
呪いは世間では迷信や心理作用だと思われています。(「呪いって、ほんとうに存在する?」参照)ところが、現実はそうでもありません。
霊魂を自在に動かせるような霊能力者や祈祷師にとっては、呪いは不可能ではなくなるのです。
呪いを掛けると、多くの場合は、呪いを掛ける人のもとで動く霊魂が相手の人の側まで行き、あの手この手でその人が不幸になるように仕掛けるのです。
そのため呪いを掛けられた相手には、時として、急に車道に飛び出したくなったり、駅のホームから飛び降りたいような衝動が起きることもあります。
このように、霊魂達はできる限りの方法を駆使して相手の人に不幸を与えようとすることがあるのです。
果たしてどのくらいの効力があるかは、霊能力者と霊魂達の力量にもよりますので簡単には判断できません。
ですが、人間は霊魂から霊感を受けることができる、と信じている方であれば、それが理解できると思います。
霊能力者の指示で動く霊魂が、呪いの対象者に対してあたかも霊感を与えるかのように思想を与え、誘導することも不可能ではないのです。
また、別の人の意識に影響を与えて、呪いの対象者を事故にひき合わせたり、側で思いを四六時中発し続けることにより、対象者をノイローゼにしたりするような霊魂もいるそうです。
このような呪いの技は決して世に出てはなりません。
呪う人の事情は様々で確かに同情すべき点は多々あります。
ですが、神でも仏でもない私達人間が、いくら霊魂を動かすことができるようになったとしても、その事に対する善し悪しはなかなか正しく判断できません。
そして、何よりも、呪いの場合は、相手の人を死に至らしめる可能性もあるのです。
めったにない事でしょうが、絶対にないとは言えません。
いわば人殺しになる可能性があるのです。
そうした事を判断するには、神様のような判断力が必要になります。
私はこうした技術は世の中から消えた方が善いと思っています。
それでも、社会の片隅には、今だにこうした技術が隠れているという話を聞きます。
事実、このHP(霊をさぐる PC版)を立ち上げた頃に、早速、ある人から、某流派の技術によって、こちらを呪ってやる、と掲示板に書かれたこともありました。
これがこうした世界の現実なんだ、と大変悲しく思いました。
世の中には、逆恨み等のために、呪いの被害に遭う方も少なからずいらっしゃることと思います。
私も「呪いに対する対処の技術」を習っておりますので、でき得る限り、そういった方々の相談に乗ってさしあげたいと思っております。(「霊相談」参照。)
皆さんも、充分、ご注意ください。皆さんがこのようなことに不要に巻き込まれないよう願わずにいられません。