みずば霊魂学
霊的世界に関して初心者向けの内容です
霊的な真実を探求しています
最近流行りのシルバーバーチなどのスピリチュアリズムの主張とは異なっています
また、「テレビ等では高級な霊魂現象は起きない」と主張しております
統一教会とは一切関係がありません
水波一郎師 監修
2014.01.31
Q 他のコーナーに出ていた事を総合しますと、死後、上の方の世界へ行くためには、幽体を強化するのが最善だ、とありました。
それには、霊的トレーニング、特に「神伝鎮魂法」が良い、とありました。
それでは、霊的トレーニングをした人は誰でも死後は上の世界へ行けるのですか?
A まず間違いなく、そうなります。
幽体の善し悪しが、その人の住む環境を決める事は何度か述べたとおりです。
ですから、そのためのトレーニングをする事が最善なのです。
もちろん、人によっては、必ずしも熱心でなく、いいかげんに行なったり、注意事項を守らなかったりという方もいるでしょうから、全員が上の世界へ行ける、とは言い切れません。
それでも、受験やスポーツを考えていただけば分かるとおり、合格しうるだけの訓練を積んできた人は、アクシデントさえなければ、合格する可能性は高い、と言えます。
そこまで訓練をしてこなかった人は、合格する可能性はまずありません。
ただし、世の中には、稀な例もあって、合格するには少し訓練が足りなかった人であっても、いろいろな条件が重なって合格するということもあります。
またその逆に、不合格になる事もあります。
つまり、訓練をしているから絶対に、というようなことまでは言い切れません。
が、少なくとも、全く勉強していない人が実力で一流校に入れる事は、まずないことです。
同じように、全く幽体を強化していない人が上の世界へ入れるという事は、ありえないことなのです。
通常の場合は、幽体の性質だけを見れば、死後どのような世界へ入るかは、大体分かるのですが、厳密には、多少変動があります。
といいますのは、死の直前になってから、誰かに激しい憎悪を抱かれて強い念を受けてしまったとか、まるで交通事故のようにして悪い霊魂に侵入されてしまった、というようなアクシデントがあった場合は、予定通りとは行かなくなるのです。
また、少し幽体の成長が足りない、と思われた人であっても、死の直前に、いわば救世主のような立派な人と対面し、何か特別な霊的な力を受けた、というような場合も考えられます。
こうした人は幽体に、いわば栄養を貰ったようなものですから、一時的ではあっても幽体が、その分、強化されると推測されます。
ですから、実際には、他界してみるまで、絶対にこうだ、というようなことは言えないのです。
それでも、そういった特例的なことがなければ、幽体の状況で、大体のことが分かるのです。
これからの霊に関する研究は、幽体というものに注目していただきたい、と考えています。
それには、霊的トレーニング、特に「神伝鎮魂法」が良い、とありました。
それでは、霊的トレーニングをした人は誰でも死後は上の世界へ行けるのですか?
A まず間違いなく、そうなります。
幽体の善し悪しが、その人の住む環境を決める事は何度か述べたとおりです。
ですから、そのためのトレーニングをする事が最善なのです。
もちろん、人によっては、必ずしも熱心でなく、いいかげんに行なったり、注意事項を守らなかったりという方もいるでしょうから、全員が上の世界へ行ける、とは言い切れません。
それでも、受験やスポーツを考えていただけば分かるとおり、合格しうるだけの訓練を積んできた人は、アクシデントさえなければ、合格する可能性は高い、と言えます。
そこまで訓練をしてこなかった人は、合格する可能性はまずありません。
ただし、世の中には、稀な例もあって、合格するには少し訓練が足りなかった人であっても、いろいろな条件が重なって合格するということもあります。
またその逆に、不合格になる事もあります。
つまり、訓練をしているから絶対に、というようなことまでは言い切れません。
が、少なくとも、全く勉強していない人が実力で一流校に入れる事は、まずないことです。
同じように、全く幽体を強化していない人が上の世界へ入れるという事は、ありえないことなのです。
通常の場合は、幽体の性質だけを見れば、死後どのような世界へ入るかは、大体分かるのですが、厳密には、多少変動があります。
といいますのは、死の直前になってから、誰かに激しい憎悪を抱かれて強い念を受けてしまったとか、まるで交通事故のようにして悪い霊魂に侵入されてしまった、というようなアクシデントがあった場合は、予定通りとは行かなくなるのです。
また、少し幽体の成長が足りない、と思われた人であっても、死の直前に、いわば救世主のような立派な人と対面し、何か特別な霊的な力を受けた、というような場合も考えられます。
こうした人は幽体に、いわば栄養を貰ったようなものですから、一時的ではあっても幽体が、その分、強化されると推測されます。
ですから、実際には、他界してみるまで、絶対にこうだ、というようなことは言えないのです。
それでも、そういった特例的なことがなければ、幽体の状況で、大体のことが分かるのです。
これからの霊に関する研究は、幽体というものに注目していただきたい、と考えています。
2014.01.31
Q 臨死体験をした人達は死後の世界を見て来たのですか?
A いいえ、そうではありません。
臨死体験をした人というのは、霊魂学では、まだ死んでいない人達なので、死後生活する世界を見て来られるわけではありません。
医学的な死の決定は「心臓が止まったり、脳が停止したりする」と「死」としているようです。
ところが、霊魂学ではそうではありません。
霊魂学では、「死後使用する身体である幽体が肉体から離れて戻れなくなった状態」を「死」と言います。
幽体は、その一部が肉体からずれたり、完全に肉体から出てしまっても、まだ元に戻り得る可能性がある時があります。
そうした状態は、霊的には人は死んでいないのです。
つまり、一見死んだように見える人が再び生き返ったというような場合は、幽体が肉体に戻り得る状態だったのであって、その人は霊的には死んでいなかったのです。
さらに細かくいうと、幽体と肉体は少しくらいずれても紐でつながっていると想像してみてください。
その紐が切れた時が霊的な死なのです。
そして、紐が切れていない人は、まだ、肉体に戻る可能性があるということになるのです。
つまり、臨死体験をした人達というのは、誰でも皆、最終的には肉体に戻っていますので、霊的にはまだ肉体と完全な分離をしていなかった人達なのです。
幽体が肉体から完全に分離しなければ、普通は死後に生活する世界へは入れないそうです。
ですから、臨死体験をした人達が花畑を見たとか、とても綺麗な所へ行って来たとか、いろいろ体験を語られていますが、それはどうも、本当に死んでから、その人が住む世界ではないようです。
ですから、臨死体験をした人達が本当に他界された場合、その人達が想像しているような美しい世界へ住めるとは限らないのです。
実際は、もっと悲しく、苦しく、暗い世界に住むことになる可能性も充分あるのです。
Q では、臨死体験をしたという人達が共通して、死は怖くない、と言ってらっしゃるのは、間違いですか。
A そうではありません。
臨死体験が本当の死の体験ではなくても、死そのものは肉体を脱ぎ捨てて幽体の存在になることですから、本来、怖いことではありません。
Q では、臨死体験は貴重な体験ではあるのでしょうが、死後の世界の探求には役立たないというわけですね。
A 残念ながらそういうことです。
A いいえ、そうではありません。
臨死体験をした人というのは、霊魂学では、まだ死んでいない人達なので、死後生活する世界を見て来られるわけではありません。
医学的な死の決定は「心臓が止まったり、脳が停止したりする」と「死」としているようです。
ところが、霊魂学ではそうではありません。
霊魂学では、「死後使用する身体である幽体が肉体から離れて戻れなくなった状態」を「死」と言います。
幽体は、その一部が肉体からずれたり、完全に肉体から出てしまっても、まだ元に戻り得る可能性がある時があります。
そうした状態は、霊的には人は死んでいないのです。
つまり、一見死んだように見える人が再び生き返ったというような場合は、幽体が肉体に戻り得る状態だったのであって、その人は霊的には死んでいなかったのです。
さらに細かくいうと、幽体と肉体は少しくらいずれても紐でつながっていると想像してみてください。
その紐が切れた時が霊的な死なのです。
そして、紐が切れていない人は、まだ、肉体に戻る可能性があるということになるのです。
つまり、臨死体験をした人達というのは、誰でも皆、最終的には肉体に戻っていますので、霊的にはまだ肉体と完全な分離をしていなかった人達なのです。
幽体が肉体から完全に分離しなければ、普通は死後に生活する世界へは入れないそうです。
ですから、臨死体験をした人達が花畑を見たとか、とても綺麗な所へ行って来たとか、いろいろ体験を語られていますが、それはどうも、本当に死んでから、その人が住む世界ではないようです。
ですから、臨死体験をした人達が本当に他界された場合、その人達が想像しているような美しい世界へ住めるとは限らないのです。
実際は、もっと悲しく、苦しく、暗い世界に住むことになる可能性も充分あるのです。
Q では、臨死体験をしたという人達が共通して、死は怖くない、と言ってらっしゃるのは、間違いですか。
A そうではありません。
臨死体験が本当の死の体験ではなくても、死そのものは肉体を脱ぎ捨てて幽体の存在になることですから、本来、怖いことではありません。
Q では、臨死体験は貴重な体験ではあるのでしょうが、死後の世界の探求には役立たないというわけですね。
A 残念ながらそういうことです。
Q 先に死んだ両親や子供、伴侶に会いたい時はどうすれば良いのですか?
A 普通は会うことはできません。
霊魂の世界はそれぞれに住む世界が違います。
それは、地上のように、同じ地球の中で距離が離れているというようなことではありません。
むしろ、ぜんぜん違う宇宙にいるような感覚です。
「次元」が違う、と言ったら分かりやすいのかもしれません。
通常「死後の世界」と呼ばれる世界では、「幽体」がそれぞれに魂の質を現しており、死んだ人はそれぞれ、自分の幽体に相応しい場所に住むことになるのです。
この場合、肉親でも、親しい友人でも、死後住む世界は、その人の幽体の状況に応じて、それぞれに異なっていることが普通です。
また、神様のように高貴な霊魂が住んでいる場所へ、霊的な進歩の遅れた霊魂が住めることはないのです。
そうなりますと「霊的に同じような状況にある人」でないと会うことはできない、ということになります。
そのため、夫婦であっても、夫は上の方に住み、妻が下の方に住んでいるとか、あるいは、その逆、といったようになることがほとんどで、まず、お互いに会えることはないのです。
それでも、会える場合も全くないというわけでもありません。
たとえば、共に会いたがっている夫婦や親子がいて、その両方が比較的上の方に住んでいて、両者の霊的な成長にそれ程の差がないという場合です。
こうした場合は、先輩の霊魂に頼めば、探し出して会わせてもらえることもあるようです。
また、両者の霊的進歩に相当な差があっても、両者とも下の世界に入っていなければ、会うことは可能です。
この場合、より上の方の世界に入っている側が自分の霊的なパワーを落とすことにより、対面が可能になります。
ただし、そうした場合は、より上の世界に住む者は霊的な成長が下がるわけですから、それなりの心積もりがいります。
いずれにしても、片方でも下の方の世界に入ってしまいますと、どうにもなりません。
下の世界の住人では、なかなか上方に上がることが出来ませんし、上の霊魂が下の世界に降りることも危険です。
それでも会いたいという人もいるでしょうが、下の世界へ入ってしまった場合、所在を掴むことも、上の世界より一段と難しいようです。
A 普通は会うことはできません。
霊魂の世界はそれぞれに住む世界が違います。
それは、地上のように、同じ地球の中で距離が離れているというようなことではありません。
むしろ、ぜんぜん違う宇宙にいるような感覚です。
「次元」が違う、と言ったら分かりやすいのかもしれません。
通常「死後の世界」と呼ばれる世界では、「幽体」がそれぞれに魂の質を現しており、死んだ人はそれぞれ、自分の幽体に相応しい場所に住むことになるのです。
この場合、肉親でも、親しい友人でも、死後住む世界は、その人の幽体の状況に応じて、それぞれに異なっていることが普通です。
また、神様のように高貴な霊魂が住んでいる場所へ、霊的な進歩の遅れた霊魂が住めることはないのです。
そうなりますと「霊的に同じような状況にある人」でないと会うことはできない、ということになります。
そのため、夫婦であっても、夫は上の方に住み、妻が下の方に住んでいるとか、あるいは、その逆、といったようになることがほとんどで、まず、お互いに会えることはないのです。
それでも、会える場合も全くないというわけでもありません。
たとえば、共に会いたがっている夫婦や親子がいて、その両方が比較的上の方に住んでいて、両者の霊的な成長にそれ程の差がないという場合です。
こうした場合は、先輩の霊魂に頼めば、探し出して会わせてもらえることもあるようです。
また、両者の霊的進歩に相当な差があっても、両者とも下の世界に入っていなければ、会うことは可能です。
この場合、より上の方の世界に入っている側が自分の霊的なパワーを落とすことにより、対面が可能になります。
ただし、そうした場合は、より上の世界に住む者は霊的な成長が下がるわけですから、それなりの心積もりがいります。
いずれにしても、片方でも下の方の世界に入ってしまいますと、どうにもなりません。
下の世界の住人では、なかなか上方に上がることが出来ませんし、上の霊魂が下の世界に降りることも危険です。
それでも会いたいという人もいるでしょうが、下の世界へ入ってしまった場合、所在を掴むことも、上の世界より一段と難しいようです。
2014.01.30
(霊魂からの証言 若くして他界した人を参照)
Q 自殺者は地獄のような世界に入ると聞いていますが。
A そんなことはありません。
ただし、自殺することはやはり良くありません。
なぜかと言いますと、人は地上に生まれてやらねばならない事があるからなのです。
Q それでは、自殺しても必ず、地獄に落ちるわけではないのですね。
A そうです。しかし、自殺は勧められません。
人は死ぬと肉体をなくします。
しかし、地上時代の記憶が全て消えて別人になりはしません。
つまり、幽体という死後の世界で使う霊的な身体を持ち、その身体が肉体の脳とダブっていたために、死後も自分の意識を持っていられるのです。
幽体がなければ、たとえ、死後の世界には入れたとしても、それまでの自分は消えています。
そのため、幽体は非常に大切で、その幽体が住めないような質の世界では生きられません。
そうなると、神様が住むような世界にも、大邪霊が住むような世界にも住めないのです。
ですが、そこまで上や下ではなくても、少し下の世界でも、かなり辛い世界だったりするのです。
(幽界の生活 を参照)
ですから、生きているうちに幽体を下の世界に相応しいような質に下げない事が大切なのです。
Q ということは、自殺であろうと、病死であろうと、死後に行く世界は、その人の幽体の質が問題だということですか。
A そうです。基本的には死に方はどうであれ、問題なのは幽体です。
ただし、中には例外もあります。
たとえば、殺されたために恨みの思いが強く、死後の世界に行く前に地上をさまよったという霊魂がいたりします。
こうした霊魂は死の時点ではそれほど悪い幽体でもなかったのに、いずれ、気が変わって幽界に行くまでに、幽体を低くしてしまうということもあります。
ですから、実際にはいろいろなケースがあります。
Q でも、自殺したからすぐに地獄ということだけは間違いですね。
A そうです。
Q では、なぜ、自殺してはいけないのですか。神からもらった命だからですか。
A そうではありません。
人は生殖して生まれたのであって、神様が生ましめたのではありません。
そうではなく、人は霊的なカルマというものがあり、それを解消しないといけない生命体だからなのです。
それを無視して自ら死んでしまうと、霊的生命体としてのその人の荷物が重くなると考えてください。
Q では、その霊的カルマとは何ですか。
A それは、少し長くなりますので、別の機会に説明したいと思います。
Q では、自殺すると、結果としては、霊的カルマを解消できないので、良くないという事になりますが、そうなると、自殺した人は他の人達よりも魂の質が低いという事になりませんか。
A そうでもありません。
つまり、自殺しなかった人も、だからといって、霊的なカルマを解消したり、霊的に進歩したりしている人はほとんどいません。
そのために、自殺した人とも差がないのです。
結局、霊的身体の質だけが問題になります。
Q それでは、霊的に向上しない人は、どんな人生を送っても同じではないですか。
A そんなに簡単には言えません。個々でいろいろなケースがあります。
とはいえ、そうした人達が死後行く世界は、上の方でない事だけは確かです。
また、霊的な進歩向上、霊的カルマの解消は必ずしも、霊的トレーニングをしないと行けない、というものではないのです。
つまり、高度に成果を出すという意味では、霊的トレーニングをしないと無理なのですが、それなりで良いのなら、たとえば、低い霊魂に影響されていない宗教の信仰をしているだけでも、進歩は可能です。
Q 現代では難しいのですか。
A 現代人は科学を信仰していて、神や霊魂をばかにしています。
こうした場合は、自由意思の原則から言っても、高級な霊魂からの力が入りません。
そのために、霊的な進歩が得にくくなっています。
そうなると、幽体が成長せず、死後も低い世界に入る可能性が高くなってきます。
つまり、自殺はしない方がよいのですが、だからといって、自殺した人よりも死後、幸福になれるというものではありません。
Q 分かりました。
Q 自殺者は地獄のような世界に入ると聞いていますが。
A そんなことはありません。
ただし、自殺することはやはり良くありません。
なぜかと言いますと、人は地上に生まれてやらねばならない事があるからなのです。
Q それでは、自殺しても必ず、地獄に落ちるわけではないのですね。
A そうです。しかし、自殺は勧められません。
人は死ぬと肉体をなくします。
しかし、地上時代の記憶が全て消えて別人になりはしません。
つまり、幽体という死後の世界で使う霊的な身体を持ち、その身体が肉体の脳とダブっていたために、死後も自分の意識を持っていられるのです。
幽体がなければ、たとえ、死後の世界には入れたとしても、それまでの自分は消えています。
そのため、幽体は非常に大切で、その幽体が住めないような質の世界では生きられません。
そうなると、神様が住むような世界にも、大邪霊が住むような世界にも住めないのです。
ですが、そこまで上や下ではなくても、少し下の世界でも、かなり辛い世界だったりするのです。
(幽界の生活 を参照)
ですから、生きているうちに幽体を下の世界に相応しいような質に下げない事が大切なのです。
Q ということは、自殺であろうと、病死であろうと、死後に行く世界は、その人の幽体の質が問題だということですか。
A そうです。基本的には死に方はどうであれ、問題なのは幽体です。
ただし、中には例外もあります。
たとえば、殺されたために恨みの思いが強く、死後の世界に行く前に地上をさまよったという霊魂がいたりします。
こうした霊魂は死の時点ではそれほど悪い幽体でもなかったのに、いずれ、気が変わって幽界に行くまでに、幽体を低くしてしまうということもあります。
ですから、実際にはいろいろなケースがあります。
Q でも、自殺したからすぐに地獄ということだけは間違いですね。
A そうです。
Q では、なぜ、自殺してはいけないのですか。神からもらった命だからですか。
A そうではありません。
人は生殖して生まれたのであって、神様が生ましめたのではありません。
そうではなく、人は霊的なカルマというものがあり、それを解消しないといけない生命体だからなのです。
それを無視して自ら死んでしまうと、霊的生命体としてのその人の荷物が重くなると考えてください。
Q では、その霊的カルマとは何ですか。
A それは、少し長くなりますので、別の機会に説明したいと思います。
Q では、自殺すると、結果としては、霊的カルマを解消できないので、良くないという事になりますが、そうなると、自殺した人は他の人達よりも魂の質が低いという事になりませんか。
A そうでもありません。
つまり、自殺しなかった人も、だからといって、霊的なカルマを解消したり、霊的に進歩したりしている人はほとんどいません。
そのために、自殺した人とも差がないのです。
結局、霊的身体の質だけが問題になります。
Q それでは、霊的に向上しない人は、どんな人生を送っても同じではないですか。
A そんなに簡単には言えません。個々でいろいろなケースがあります。
とはいえ、そうした人達が死後行く世界は、上の方でない事だけは確かです。
また、霊的な進歩向上、霊的カルマの解消は必ずしも、霊的トレーニングをしないと行けない、というものではないのです。
つまり、高度に成果を出すという意味では、霊的トレーニングをしないと無理なのですが、それなりで良いのなら、たとえば、低い霊魂に影響されていない宗教の信仰をしているだけでも、進歩は可能です。
Q 現代では難しいのですか。
A 現代人は科学を信仰していて、神や霊魂をばかにしています。
こうした場合は、自由意思の原則から言っても、高級な霊魂からの力が入りません。
そのために、霊的な進歩が得にくくなっています。
そうなると、幽体が成長せず、死後も低い世界に入る可能性が高くなってきます。
つまり、自殺はしない方がよいのですが、だからといって、自殺した人よりも死後、幸福になれるというものではありません。
Q 分かりました。
A あります。
霊魂の世界には法則があります。
人は法則の中でしか生きられません。
どんな立派な人でも、栄養失調になれば体を壊し、悪くすると死んでしまいます。
立派な人であることと、病気や死は、関係がないのです。
それと同じで、死後の世界で使用する幽体が傷ついていれば、どんなに立派な人であっても、その幽体が過ごしやすい世界にしか入れないのです。
そして、それは決して高級な世界ではありません。
けれども、もともと高貴な魂であれば心配は要りません。
本来の魂の質が高ければ、幽体の修復につれて、自然に上の世界に住みうるようになって行きます。
霊魂の世界には法則があります。
人は法則の中でしか生きられません。
どんな立派な人でも、栄養失調になれば体を壊し、悪くすると死んでしまいます。
立派な人であることと、病気や死は、関係がないのです。
それと同じで、死後の世界で使用する幽体が傷ついていれば、どんなに立派な人であっても、その幽体が過ごしやすい世界にしか入れないのです。
そして、それは決して高級な世界ではありません。
けれども、もともと高貴な魂であれば心配は要りません。
本来の魂の質が高ければ、幽体の修復につれて、自然に上の世界に住みうるようになって行きます。
A 可能性はかなりあります。
ただし、ここのケースは単純ではありません。
つまり、「恨みの念」と一口に言っても、人によって強弱があるからです。
また、単に念だけならば、それほど大きな傷は出来ません。
本当に怖いのは、そこに霊魂が関与して来た場合です。
霊魂がそうした恨みのような念を利用しますと、恨まれた人の幽体が非常に強く衝撃を受ける事がしばしばあります。
実際にはそれぞれに皆、事情が異なっていますので、個々に分析してみませんと、正確なことは言えないのです。
ただし、ここのケースは単純ではありません。
つまり、「恨みの念」と一口に言っても、人によって強弱があるからです。
また、単に念だけならば、それほど大きな傷は出来ません。
本当に怖いのは、そこに霊魂が関与して来た場合です。
霊魂がそうした恨みのような念を利用しますと、恨まれた人の幽体が非常に強く衝撃を受ける事がしばしばあります。
実際にはそれぞれに皆、事情が異なっていますので、個々に分析してみませんと、正確なことは言えないのです。
2014.01.30
A そうではありません。
原則として、無関係なのです。
けれども、個々には、そうした傾向がないとも言えません。
たとえば、ある人が誰かを殺したとします。
その殺人者は、当然、相手の家族から恨まれます。
その場合、恨んだ人の強い念が、恨まれた人の幽体に突き刺さる事があります。
その結果、その犯人の幽体は傷ついてしまいます。
それがあまりに強い影響を持つようですと、死後の世界へ入っても、その幽体の傷のために、上の世界には馴染めず、結局、下の世界に入ってしまうといった事があります。
良い事をした結果、上の世界へ行けて、悪い事をしたから下の世界へ行く、というのは基本的には間違っていますが、悪い事をすると他の人から恨まれやすいので、結果として下の世界へ行きやすいということがあるのです。
つまり、悪い事をしたから下の世界へ行くのではなく、人に恨まれるような事をしたので下の世界へ行きやすい、と言った方が正確なのです。
そうなりますと、人に分からなければ、悪い事をしても恨みを買わず、下の世界へは行かないで済む人もいます。
逆に、悪い事はしていないのに、逆恨みをされて、下の世界へ入ってしまう人も出るのです。
結局、法律に違反しようとしまいと、霊的には関係がないのです。関係があるのはむしろ、その行為による他の人達の反応なのです。
原則として、無関係なのです。
けれども、個々には、そうした傾向がないとも言えません。
たとえば、ある人が誰かを殺したとします。
その殺人者は、当然、相手の家族から恨まれます。
その場合、恨んだ人の強い念が、恨まれた人の幽体に突き刺さる事があります。
その結果、その犯人の幽体は傷ついてしまいます。
それがあまりに強い影響を持つようですと、死後の世界へ入っても、その幽体の傷のために、上の世界には馴染めず、結局、下の世界に入ってしまうといった事があります。
良い事をした結果、上の世界へ行けて、悪い事をしたから下の世界へ行く、というのは基本的には間違っていますが、悪い事をすると他の人から恨まれやすいので、結果として下の世界へ行きやすいということがあるのです。
つまり、悪い事をしたから下の世界へ行くのではなく、人に恨まれるような事をしたので下の世界へ行きやすい、と言った方が正確なのです。
そうなりますと、人に分からなければ、悪い事をしても恨みを買わず、下の世界へは行かないで済む人もいます。
逆に、悪い事はしていないのに、逆恨みをされて、下の世界へ入ってしまう人も出るのです。
結局、法律に違反しようとしまいと、霊的には関係がないのです。関係があるのはむしろ、その行為による他の人達の反応なのです。
2014.01.30
A すでに他のコーナーでも述べていますが、さらに説明します。
答は、「どちらとも言えない」です。
つまり、地上の世界で「悪い事」と言っても、それは地上の世界の、ある国だけの法律に違反しているというに過ぎません。
それは別に霊魂の世界の法律ではありませんので、霊魂の世界では、関係がないことなのです。
たとえば、大変悪い事をしていても、法律的には裁かれない人がいます。
逆に、法律をよく知らないで、罰金を払わされる人もいます。
つまり、そうした「良い」、「悪い」は、地上でのみ通用する事なのです。
したがいまして、地上でいくら悪い人と言われても、霊魂となれば関係がないのです。
死後、どのような世界に入るのかは、別の基準に拠っています。
参照 「人をだますと本当に地獄に落ちるのか?」
答は、「どちらとも言えない」です。
つまり、地上の世界で「悪い事」と言っても、それは地上の世界の、ある国だけの法律に違反しているというに過ぎません。
それは別に霊魂の世界の法律ではありませんので、霊魂の世界では、関係がないことなのです。
たとえば、大変悪い事をしていても、法律的には裁かれない人がいます。
逆に、法律をよく知らないで、罰金を払わされる人もいます。
つまり、そうした「良い」、「悪い」は、地上でのみ通用する事なのです。
したがいまして、地上でいくら悪い人と言われても、霊魂となれば関係がないのです。
死後、どのような世界に入るのかは、別の基準に拠っています。
参照 「人をだますと本当に地獄に落ちるのか?」
2014.01.29
Q 宗教を信じなかった人は地獄へ落ちますか?
A もちろん、落ちません。
と言いますか、普通の人は、多少の善人でも、多少の悪人でも、いきなり、地獄とか天国とかいった、極端に差のある世界に入ることは、まずありません。
人は死後、幽体という身体で過ごします。
その際、その幽体が過ごしやすい世界でないと、生活できません。
ところが、天国とか地獄とかいう所は、霊魂達の身体が相当に高貴であるか、または逆に、相当に邪悪でないと、どちらも入れない世界です。
そのため、よほどの悪人であっても、まだ100年も悪行をしていない程度の人では、死後すぐに地獄のような世界には住むことは出来ません。
邪悪の道で何百年、いえ、それ以上のキャリアを持つ邪霊達が住む世界に、地上の生活を終えたばかりの新参者が入れるはずがないのです。
Q それでは、どんな人でもすぐに地獄には落ちないのですか?
A もちろんです。
ただし、例外はあるかもしれません。
また、地獄でなくとも、下の方の幽界で地獄と呼びたくなるほど苦しい世界は、かなりありますので、そのような世界に行かれる方はいらっしゃいます。
ですから、地獄へ落ちるというようなことではありませんが、霊魂を否定している人達の場合は、死後、戸惑う方もかなり多いようです。
その上、先輩が導こうとしても、拒絶したりする方もいらっしゃるようで、おのずと下の世界に行きやすいのは確かです。
一口に宗教と言っても、いろいろな信仰があります。
それらを一口で言うことは出来ません。
何しろ、霊魂を認めない宗教もありますから。
ただ、一般に、宗教に入って霊魂の実在を信じている人は、入っていない人よりも、死後の世界を受け入れやすいので、救われる確率が高いのは確かです。
Q では、その人次第、といったところでしょうか。
A そうですね。しかし、現代は複雑な時代です。
一般の人達の間には宗教を嫌がる風潮があります。
その影響からか、霊魂を真面目に語ることを嫌がる人も増えているそうです。
そして、もう皆さんもご存知のとおり、人の自由意思を重んじる高級霊魂は、嫌がる人の意思を無視して関与することが出来ません。
そのため、高級霊魂は地上に寄りづらくなり、邪悪な霊魂が地上に増えつつあるそうです。
ということになれば、ただ、霊魂を信じているだけでは、悪い霊魂に寄られてしまう可能性が強くなります。
宗教であれ、宗教ではない霊魂の探求であれ、これからの時代はそうした悪い霊魂達から自分を守ることを考えないと、結局、下の世界に入ってしまうことになりそうです。
Q 分かりました。
A もちろん、落ちません。
と言いますか、普通の人は、多少の善人でも、多少の悪人でも、いきなり、地獄とか天国とかいった、極端に差のある世界に入ることは、まずありません。
人は死後、幽体という身体で過ごします。
その際、その幽体が過ごしやすい世界でないと、生活できません。
ところが、天国とか地獄とかいう所は、霊魂達の身体が相当に高貴であるか、または逆に、相当に邪悪でないと、どちらも入れない世界です。
そのため、よほどの悪人であっても、まだ100年も悪行をしていない程度の人では、死後すぐに地獄のような世界には住むことは出来ません。
邪悪の道で何百年、いえ、それ以上のキャリアを持つ邪霊達が住む世界に、地上の生活を終えたばかりの新参者が入れるはずがないのです。
Q それでは、どんな人でもすぐに地獄には落ちないのですか?
A もちろんです。
ただし、例外はあるかもしれません。
また、地獄でなくとも、下の方の幽界で地獄と呼びたくなるほど苦しい世界は、かなりありますので、そのような世界に行かれる方はいらっしゃいます。
ですから、地獄へ落ちるというようなことではありませんが、霊魂を否定している人達の場合は、死後、戸惑う方もかなり多いようです。
その上、先輩が導こうとしても、拒絶したりする方もいらっしゃるようで、おのずと下の世界に行きやすいのは確かです。
一口に宗教と言っても、いろいろな信仰があります。
それらを一口で言うことは出来ません。
何しろ、霊魂を認めない宗教もありますから。
ただ、一般に、宗教に入って霊魂の実在を信じている人は、入っていない人よりも、死後の世界を受け入れやすいので、救われる確率が高いのは確かです。
Q では、その人次第、といったところでしょうか。
A そうですね。しかし、現代は複雑な時代です。
一般の人達の間には宗教を嫌がる風潮があります。
その影響からか、霊魂を真面目に語ることを嫌がる人も増えているそうです。
そして、もう皆さんもご存知のとおり、人の自由意思を重んじる高級霊魂は、嫌がる人の意思を無視して関与することが出来ません。
そのため、高級霊魂は地上に寄りづらくなり、邪悪な霊魂が地上に増えつつあるそうです。
ということになれば、ただ、霊魂を信じているだけでは、悪い霊魂に寄られてしまう可能性が強くなります。
宗教であれ、宗教ではない霊魂の探求であれ、これからの時代はそうした悪い霊魂達から自分を守ることを考えないと、結局、下の世界に入ってしまうことになりそうです。
Q 分かりました。
2014.01.29
Q 何事も平凡に経験して、特に悪い事もせず、これといって善い事もせずに生きて、他界した人は、人に恨まれることも少ないと思いますが、こんな人はどうなりますか。
A 霊的、宗教的な事を信じる人と、信じない人とで異なります。
また、一口に「平凡」と言っても、実際には個々に違う人生があります。
それでも、あえて「一般的に」言うとすれば、不思議に思われるかもしれませんが、霊的な事を信じない人の場合は、上の世界に入る可能性はあまりありません。
なぜかと言いますと、まず第一に、死後の世界などあるはずがない、と思い込んでいる人達の多くは、死んだ時に、たとえば、幸いにも、導こうとする善意の霊魂に来てもらえた人でも、それに素直に従う人は非常に少ないからなのだそうです。
そのような人は、あとから悪い霊魂に狙われる可能性も出てきます。
また、地上に生きている頃に霊的に良い環境に身をおいていませんので、霊的に上の方の「気」と接する機会がありません。
文明人から「原始的だ」と言われる人達が、魔術師とか祈祷師とか呼ばれる人を中心に、神を祭る儀式をしているのを笑う人がいます。
けれども、人間は、そうした行為をして高級霊魂と知らないうちに接触し、高級な気と接してきたのです。
つまり、そうした未開な人達は現代でも、死後は上の世界に入れる可能性が高く、文明人はその逆なのです。
現代人は、残念ながら、平凡に暮らしていると、死後は辛い思いをする可能性が高いのです。
現代の宗教団体はうそつきでも、人間には、霊的、宗教的儀式が必要なのです。
A 霊的、宗教的な事を信じる人と、信じない人とで異なります。
また、一口に「平凡」と言っても、実際には個々に違う人生があります。
それでも、あえて「一般的に」言うとすれば、不思議に思われるかもしれませんが、霊的な事を信じない人の場合は、上の世界に入る可能性はあまりありません。
なぜかと言いますと、まず第一に、死後の世界などあるはずがない、と思い込んでいる人達の多くは、死んだ時に、たとえば、幸いにも、導こうとする善意の霊魂に来てもらえた人でも、それに素直に従う人は非常に少ないからなのだそうです。
そのような人は、あとから悪い霊魂に狙われる可能性も出てきます。
また、地上に生きている頃に霊的に良い環境に身をおいていませんので、霊的に上の方の「気」と接する機会がありません。
文明人から「原始的だ」と言われる人達が、魔術師とか祈祷師とか呼ばれる人を中心に、神を祭る儀式をしているのを笑う人がいます。
けれども、人間は、そうした行為をして高級霊魂と知らないうちに接触し、高級な気と接してきたのです。
つまり、そうした未開な人達は現代でも、死後は上の世界に入れる可能性が高く、文明人はその逆なのです。
現代人は、残念ながら、平凡に暮らしていると、死後は辛い思いをする可能性が高いのです。
現代の宗教団体はうそつきでも、人間には、霊的、宗教的儀式が必要なのです。